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2008.12.05

銕三郎、初お目見(みえ)(3)

「今年も、去年(明和4年 1967)と同じく、初見(しょけん)が1回きりかと、こころぼそくおもっていての----はっ、ははは」
水谷(みずのや)出羽守勝久(かつひさ 46歳 小姓番頭 3500石)は、大身にも似合わず、気のおけない口調で、対峙してくれていた。

ちゅうすけ注】この、勝久の言葉をいれようかどうしようかと、ずいぶん迷った。『徳川実紀』が書き落としているかもしれないからである。
実紀』よると、将軍・家治による初見は、明和3年は、3月18日に11人、7月18日14人、12月3日17人で、計42人であった。
しかるに、4年は、12月8日の22人きりしか記されていない。
この年---すなわち明和5年(1768)は4月9日に19人がすませいたから、勝久の横にひかえている勝政(かつまさ 25歳)や銕三郎(てつさぶろう 23歳)たち30人の12月5日分を加えると49人と、ほぼ平年並みの人数になるから、明和4年の22人はいかにも少なすぎる。

「例年、師走(しわす)の上旬には、あたかも棚卸しのように初見がおこなわれますから、手前は安心しておりました」
長谷川平蔵宣雄(のぶお 50歳 400石 先手・弓の8番手組頭)が冗談めかして応じた。
「在庫一掃の棚卸しはよかったな」
勝久は、養子・勝政をふりむき、
「棚卸し組どの。長年の棚ざらしがやっとおわるな」
勝政は、義父の憎まれ口になれているのか、けろりと受けた。
むしろ、宣雄があわてた。
出羽さま。あまりなんでも、棚ざらしは---ちと---。棚卸しと申しましたのは、役方(事務系の幕臣)の仕事ぶりを言ってみたまでで---」

「いや、お気になさるな。こちらの勝政どのは、25歳での初見でしてな。もっとも、新番頭・戸田七内政友(まさとも)どののところのご養子・光稟(みつつぐ)どのも28歳ゆえ、どちらかが、お礼の言上役を申しつかるはず。このところ、勝政どのに、そのこころがまえを申し聞かせておりますのじゃ」

初お目見(みえ)は、将軍家の家臣としての資格が認められる儀式で、齢ごろになると、家長あるいは後見者から願い書があげられる。
それにしたがって、目付衆から命をうけた徒(かち)目付が、身上を調べる。
銕三郎(てつさぶろう 23歳)の身辺を、徒目付の下働きの徒押(かちおし)がさぐったのは、初見願いがでていたせいもないではない。

初見の当日は、願い主---すなわち、父親か後見者も同道で城に上がる。
家禄にあわせて供ぞろえもつける。
3500石の勝久・勝政だと、若侍や鉄砲・槍持ちが5,6人、着替えを入れた挟み持ちや馬の口取りなどで総勢30人はくだるまい。
400石の銕三郎でも、6,7人にはなる。

勝久が言ったお礼言上は、年長者から選ばれることもあれば、『実紀』の先頭に記載されている者が引きうける場合もある。

明和5年12月5日の項の先頭の10人に補記をくわえながら書きならべると、、

〔寄合〕柴田岩五郎勝房(かつふさ 18歳 
  2500石 養子 実家1702石)
〔書院番頭]曾我若狭守助馬の養子・主水助造
  (すけより 22歳 4500石 祖父のニ男)

ちゅうすけ注】主水助造の「造」には竹カンムリがあるが、辞書にないので。

〔小姓組番頭〕水谷出羽守勝久の養子・兵庫勝政
  (実家1万石)
〔普請奉行〕久松忠次郎定愷の養子・鉄之丞定安
  (さだやす 16歳 200俵 実家ほぼ700石)
〔新番頭〕戸田七内政友の養子・万造光稟
  (実家・8万石)
〔留守居番〕近藤半次郎政房の嫡孫・玄蕃政盈
  (まさみつ 21歳 300俵)
〔留守居番〕三浦五郎左衛門義如の子・左膳義和
  (よしかず 17歳 500俵)
〔先手頭〕奥田山城守忠祇の養子・吉五郎直道
  (なおみち 20歳 300俵 実家1300石)
〔先手頭〕長谷川平蔵宣雄の子・銕三郎宣以
〔西城先手頭〕松平忠左衛門勝周の嫡・又太郎勝武
  (かつつぐ 20歳 500石)

この順序が、どうにも、判断できない。
職位の高低順であろうか?

先手頭---奥田山城守長谷川宣雄、松平勝周の席順は想像がつく。
本城の先手頭が西丸よりも上位であり、奥田山城守宣雄より2年ばかり先任である。

戸田七内光稟の個人譜を掲げておく。

_360
_360_2
(戸田七内光稟の[個人譜])

参照】[銕三郎、初お目見(みえ)] (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) 


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コメント

ちゅうすけ様、はじめまして。
こんな素敵なサイトを作っていただいてありがとうございます!!

家の近くに長谷川伸先生の碑があり、なんとなーく調べてみたら、こちらにたどり着きました。

なつかしさでいっぱいになりました。
押入れの奥にしまいこんであった池波コレクション、また読み返そうと思います。

投稿: 楓子 | 2008.12.05 08:36

>楓子 さん
いらっしゃいませ。
長谷川伸師のゆかりの地にお住まいなんですね。いいなあ。
目白台の長谷川伸師の旧・屋敷に、平岩弓枝さんのご了解をいただいて、カメラを入れ---といっても素人記録写真術---貴重な本棚を撮影させていただきました。

http://homepage1.nifty.com/shimizumon/dig/hasegawa_syoko/hasegawasyoko_sanko.html

お時間がおありの節、おのぞきになってみてください。

投稿: ちゅうすけ | 2008.12.05 15:46

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