{船影(ふなかげ)]の忠兵衛(5)
「なぜに、あっしに目をおつけになったので---?」
30歳にはまだ間がありそうな、背の高い、角ばった顔つきの男が質(ただ)した。
「おぬしは、人を探していたふうであった」
「へえ---?」
「それから、磔柱に縛られた宝船の雛形を見たとき、顔色が変わった」
たったこれだけの平蔵(へいぞう 32歳)の解説を聞いただけで、男は恐れいってしまった。
ところは、九蔵町(くぞうまち)の塩売り店〔九蔵屋〕(くぞうや)の奥の九蔵の部屋であった。
男は、烏川端からまっすぐにここへ連れてこられていた。
牢屋へ入れられると覚悟をしていたらしく、不審げにあたりを見回していたが、ついに自分から問いかけたのである。
男の両側を、長野佐左衛門孝祖(たかのり 32歳)と多田伴蔵(ばんぞう 41歳)同心、脊後は矢島同心と九蔵とその配下が固めていた。
「お武家さまは、火盗改メ方で---?」
「そうではない。拙は、長谷川平蔵宣以といい、西丸の書院番士だ。お主の右にいるのは長野佐左(さざ)といって、同じ書院番士だ」
「番方のお武家さまが、なにゆえに---?」
「〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 30代半ば)を追っているのかと質(き)きたいのであろう?」
「へい」
「忠兵衛を追ってなぞ、いない」
「へえ---?」
「ま、九蔵元締のせっかくのお志しのお茶でも呑め---」
平蔵も茶碗をとりあげながら、
「そなた、名前しはなんといったかな?」
「仁三郎(にさぶろう)と申しやす」
「では、仁三郎どん。訊くがな、なぜに〔船影〕一味を追いだされた?」
「えっ?」
「忠兵衛が忌みきらうようなことをしでかしたか?」
「お分かりになりやすか?」
「おお。宝船の雛形が槍で突かれておる時の仁三郎、おぬしの痛がるような顔といったらなかったぞ」
「恐れいりやす」
「いまでも、〔船影〕の忠兵衛を敬っておるな。しかし、追い出された。押しこみの時、おんなを犯したか?」
「へえ」
「どこでだ?」
「沼田でございやした」
「やはり、な。だが、宝船づくりの佐次郎が暮らしている沼田あたりでは、仕事(つとめ)はしないことになっていたのではないのか?」
「佐次爺(と)っつぁんのことまでお調べが---?」
「お上を甘く見るでない」
「へえ」
仁三郎が白状したところによると、忠兵衛の使いで、沼田の在で宝船をつくってもらっている佐次郎のところへ、出来あがったいくつかの雛形を受けとりに仲間と行ったとき、なんとかいう酢問屋の奉公人長屋の雨戸が開けっぱして、2人の女中の寝みだれた姿を目にしたので、つい、犯す気になったと。
【ちゅうすけ注】それで追放された顛末は、聖典の文庫巻18[一寸の虫]に明かされている。
「どうであろう、仁三郎。おぬし、拙のお使番(つかいばん)となり、忠兵衛どんのもとへ顔をだし、今後、高崎城下では盗み(つとめ)はしないという約束をとりつけてきてくれないか。質(しち)は、佐次郎だ。〔船形〕のがこれから10年---とはいわない、いまのご藩主がご老中職に就いておいでのあいだ、約定を守ってくれれば、佐次郎には手をつけない」
約束は守られたし、平蔵も高崎藩も、仁三郎をおかまいなしと見逃した。
内密のことゆえ、この密約は、藩史には記されていない。
藩主・右京太夫輝高(てるたか 53歳 8年2000石)は、これから4年のち---天明元年(1781)9月24日、老中職のまま亡じた。
最近のコメント