カテゴリー「115長野県 」の記事

2010.08.31

{船影(ふなかげ)]の忠兵衛(5)

「なぜに、あっしに目をおつけになったので---?」
30歳にはまだ間がありそうな、背の高い、角ばった顔つきの男が質(ただ)した。

「おぬしは、人を探していたふうであった」
「へえ---?」
「それから、磔柱に縛られた宝船の雛形を見たとき、顔色が変わった」
たったこれだけの平蔵(へいぞう 32歳)の解説を聞いただけで、男は恐れいってしまった。

ところは、九蔵町(くぞうまち)の塩売り店〔九蔵屋〕(くぞうや)の奥の九蔵の部屋であった。
男は、烏川端からまっすぐにここへ連れてこられていた。

牢屋へ入れられると覚悟をしていたらしく、不審げにあたりを見回していたが、ついに自分から問いかけたのである。

男の両側を、長野佐左衛門孝祖(たかのり 32歳)と多田伴蔵(ばんぞう 41歳)同心、脊後は矢島同心と九蔵とその配下が固めていた。

「お武家さまは、火盗改メ方で---?」
「そうではない。拙は、長谷川平蔵宣以といい、西丸の書院番士だ。お主の右にいるのは長野佐左(さざ)といって、同じ書院番士だ」
「番方のお武家さまが、なにゆえに---?」
「〔船影ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 30代半ば)を追っているのかと質(き)きたいのであろう?」
「へい」

忠兵衛を追ってなぞ、いない」
「へえ---?」
「ま、九蔵元締のせっかくのお志しのお茶でも呑め---」

平蔵も茶碗をとりあげながら、
「そなた、名前しはなんといったかな?」
仁三郎(にさぶろう)と申しやす」
「では、仁三郎どん。訊くがな、なぜに〔船影〕一味を追いだされた?」
「えっ?」
忠兵衛が忌みきらうようなことをしでかしたか?」
「お分かりになりやすか?」
「おお。宝船の雛形が槍で突かれておる時の仁三郎、おぬしの痛がるような顔といったらなかったぞ」
「恐れいりやす」
「いまでも、〔船影〕の忠兵衛を敬っておるな。しかし、追い出された。押しこみの時、おんなを犯したか?」
「へえ」
「どこでだ?」
「沼田でございやした」

「やはり、な。だが、宝船づくりの佐次郎が暮らしている沼田あたりでは、仕事(つとめ)はしないことになっていたのではないのか?」
佐次爺(と)っつぁんのことまでお調べが---?」
「お上を甘く見るでない」
「へえ」

仁三郎が白状したところによると、忠兵衛の使いで、沼田の在で宝船をつくってもらっている佐次郎のところへ、出来あがったいくつかの雛形を受けとりに仲間と行ったとき、なんとかいう酢問屋の奉公人長屋の雨戸が開けっぱして、2人の女中の寝みだれた姿を目にしたので、つい、犯す気になったと。

ちゅうすけ注】それで追放された顛末は、聖典の文庫巻18[一寸の虫]に明かされている。

「どうであろう、仁三郎。おぬし、拙のお使番(つかいばん)となり、忠兵衛どんのもとへ顔をだし、今後、高崎城下では盗み(つとめ)はしないという約束をとりつけてきてくれないか。質(しち)は、佐次郎だ。〔船形〕のがこれから10年---とはいわない、いまのご藩主がご老中職に就いておいでのあいだ、約定を守ってくれれば、佐次郎には手をつけない」

約束は守られたし、平蔵も高崎藩も、仁三郎をおかまいなしと見逃した。
内密のことゆえ、この密約は、藩史には記されていない。

藩主・右京太夫輝高(てるたか 53歳 8年2000石)は、これから4年のち---天明元年(1781)9月24日、老中職のまま亡じた。


参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () () 

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2010.08.30

{船影(ふなかげ)]の忠兵衛(4)

安永6年(1777)2月20日---。

真っ青に晴れてはいたが、春がそこまできているというのに、高崎は上州特有の冷たい大気におおわれていた。

にもかかわらず、烏川(からすがわ)の川原に設けられた処刑場の見物人の矢来柵には、朝から200人を超える物見高い者たちがつめかけ、町名を書いた区画に陣どっていた。

高札に書かれていた時刻---四ッ(午前10時)近くには、人数は倍にもふくれあがった。

江戸から出張ってきた火盗改メ同心・多田伴蔵(ばんぞう 41歳)と、南町奉行所の矢島同心が立会い役の席に着くと、見物人たちの私語が制止された。

真新しい磔柱が運びこまれ、見物席がどよめいたのは、十字の柱に人がくくられていなかったためであった。
磔柱の後ろの矢来には、黒幕がかかってい、平蔵(へいぞう 32歳)と賊に襲われた旅籠〔越後屋〕の番頭が、黒幕にあけられた小穴になにやら差しこんで見物人席をたしかめていた。
そのころ、江戸で流行っていた遠眼鏡であった。

〔越後屋〕の番頭があたりをつけていたのは、町名が指定された区画ではなく、「その他の区域」と示されている区画の見物人たちであった。

平蔵は、まんべんなく、改めていた。

矢島同心が立ちあがり、見物人に向かって声高に語りかけた。

「〔越後屋〕を襲った賊は、磔柱にしばられている宝船の雛形を残して去った。ゆえに、この雛形を片割れと断じて処刑する。始めい」

槍を構えていた2人の小者が、小さな宝船の雛形を何度も突き、雛形はばらばらにこわれて川原へ落ちた。
見物たちは、期待をうらぎられてがっかり顔のや、話の種がひろえておもしろ顔のや、いろいろであったが、矢島同心の声に、あらためてことの重大さを読みとった。

「町ごとに、組頭が顔をあらためるから、退去は、お城に近い町内から順に出口へ。町の区画外にいたものは、いっとう、最後になる」

そういわれてみると、区画外の席は、もっとも奥に指定されていた。

区画外の群れが出口へ向かったとき、そこには平蔵長野佐左衛門孝祖(たかのり 32歳)、それに捕り方の5人が待ち伏せてい、ある男に狙いをつけていた。


参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () (

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2010.08.29

〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(3)

3日目。
まだ陽のあるうちに、高崎へ入り、城に近いあら町の旅籠〔豊田屋〕に部屋をとった、

高崎藩からは、参勤交代の往来のほとんどない季節で、本陣格の〔大黒屋〕九兵衛が空(す)いているからとすすめられていたが、あえて避けた。
〔大国屋〕には、一日先行していた火盗改メ方の同心・多田伴蔵(ばんぞう 41歳)が宿泊していた。
平蔵(へいぞう 32歳)は、〔豊田屋〕の一番番頭に、1刻(2時間)ほどのあいだでよいから、藩や多田からの問い合わせには、
「まだ、お着きではない」
と答えるように命じ、独りでふらりと町へでかけた。

蓮雀町、元紺屋町、田町を北へぬけ、九蔵町(くぞうまち)の塩売り店で、
九蔵どのに、江戸の長谷川が参ったとお伝えありたい」

前もっていわれていたらしく、小僧がすっとんで奥へかけこみ、すぐに戻ってき、脇の三和土(たたき)の内通路から庭の離れへ導いた。

九蔵屋〕の九蔵は、平蔵と同じくらいの年配だが、相撲取りのような巨躯で、首の脂肪のせいか声がかん高かった。
「〔音羽(おとわ)の重右衛門(じゅうえもん 51歳)どんからいいつかっとりやす」
5両(80万円)のつつみをだし、
「手みやげ代わりにもならないほどのもので、かえって〔音羽〕の元締のお顔をつぶすようで、お恥ずかしいかぎりだが、お納め願いたい」

「お気づかい、痛みいりやす。高崎にご滞在中は、自分の家の者同様に、こき使ってくだせえ」
「お言葉にあまえ、この20日の警備、なにぶんともに---」
「委細は、〔音羽〕のから申しつかっておlやす。おまかせを---」

三国街道口であり、安中への中山道口でもある札の辻の高札をあらため、〔豊田屋〕へ戻ると、すでに多田同心と藩の南町奉行所の矢島同心が待っていた。

高崎藩の町奉行所は、江戸を見習い、南北に分かれて月ごとに交替で開いてい、それぞれ留役1、同心5が勤めていた。
ほかに牢屋同心3、助郷人馬改方2。
この月は、南が月番であった。

暗くならないうちにと、烏川の川原しつらえられた処刑場の矢来(やらい)囲いを下検分に誘った。

割り竹を組んだ矢来の柵が2重にしつらえられており、一方の端は袋の底のようにつながり、それより先へは行けなくなっていた。

つまり、入り口が出口をかねていたのである。
平蔵がうなずいた。

矢島同心が、磔(はりつけ)柱は明日のその時刻に運びこむこと、その後ろの矢来にかける黒い幕もその時に張ることになっていると告げた。

平蔵が訊いた。
「各町内の顔役たちの手くばりも、ぬかりないでしょうな?」
矢島同心ずうなずき、
「町方の顔役は組頭(くみがしら)といい、町内のほとんどの組子と顔なじみです。捕り方の人数も十分に集めてあります」
「けっこう。矢来の外側の見張りは、〔九蔵屋〕の手のものがあたるから、奉行所側の捕り方は、出口をしっかり固めていただきたい」


参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () (


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2010.08.28

〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(2)

「それにしても、よくも指名してくれた。組内(くみうち)での風向きが変わった」
明け六ッ半(午前7時)に、本郷通りの壱岐(いき)坂上で落ちあった、盟友・長野佐左衛門孝祖(たかのり 32歳 600俵)が、供の恭助(きょうすけ 22歳)の耳をはばかりながらささやいた。

高崎への旅の始まりであった。
本郷通りを北上し、加賀藩邸の先で中仙道へ切れこむ。

「なにをいう。われわれの助けあいは、一生つづくのだ」
「恩に着る」
「ばか---」

長谷川平蔵(へいぞう 32歳)と長野佐左(さざ)とは、9年前の明和5年(1768)9月4日の初見(はつおめみえ)同士の仲であった。
平蔵は西丸・書院番4の組に出仕しているが、歴代の火盗改メから頼りにされ、きょうは、本役・土屋帯刀守直もりなお 46歳 1000石)---というより、老中・松平右京太夫輝高(てるたか 53歳 高崎藩主 5万7000石)から特別に頼まれ、盗賊の探索に出張(でぱ)るところであった。

そのとき、助手(すけて)がいると探索がはかどるといいたて、西丸・書院番3の組の番士の佐左を指名した。
佐左が、お(はす 32歳)というおんなにおぼれていたのを見かねた経緯(いきさつ)は、すでに明かした。

松造、高崎藩から借りた冬合羽の2人分を、恭助へ渡してやるがよい」
平蔵の供の松造(まつぞう 26歳)が、荷の一つを恭助へゆずった。
上州名物の空っ風除けの羅紗の道中合羽を、用人がこころ遣いを示した。

松造。合羽はわすれても、あのお宝だけは忘れるな」
平蔵の注意を、佐左が聞きとがめ、
「お宝とはなんのことだ?」
「高崎へ着けば、分かる」
はぐらかした。
「助手にも秘密なのか」
「孫子曰く。敵をあざむくには、まず、味方から---と。悪くおもうな。佐左の第一の役目、あざむかれ役に徹すること」
「いい加減にしろ」
2人とも、屈託なく笑った。

日本橋から2里八丁(9km弱)の板橋駅でお茶にした。

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(板橋駅 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

「幸い、晴れがつづきそうだから、今宵の泊まりは、上尾(あげお)ではなく、桶川宿にしよう」
平蔵の案に、佐左がうなずいた。
平蔵にしてみれば、京からの帰りに泊まった宿場ではないところを体験したかった。


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(『木曾街道 蕨之駅 戸田川渡 英泉画)

浦和で昼餉(ひるげ)とした。


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(浦和宿 浅間山遠望 英泉画)


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(大宮宿 富士遠景 英泉画)


上尾宿で、横目で本陣・〔井上〕五郎右衛門の前を通りすぎるころには、冬の陽はだいぶ傾いていた。
4人とも、もう口をきかない。


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(上尾宿 加茂之社 英泉画)


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(桶川宿・曠野之景 英泉画)


上尾宿から30丁(3..5km)で桶川宿に着いた。
〔玉屋〕弁蔵方で草鞋を脱いだ。
すぐ、風呂を頼み、平蔵佐左が先につかい、酒をなめながら、松造恭助があがってくるのを待った。

松造。お(くめ 36歳)どのが10夜も独り寝で、さみしがっていよう」
たまの遠路歩きで酒がまわったらしい佐左のざれごとを、
「いいえ。さみしがったのは、2人の子どもたちのほうでございます」
軽くうけ流した。

火盗改メからは、平蔵佐左に、供の分ふくめて、それぞれ1日2分(4万円)ずつの旅費と、別に3両(48万)の手当てが渡されていたから、平蔵佐左は別々の部屋をとった。


翌日は、鴻巣、熊谷と9里(36km)近くをこなし、


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(鴻巣 吹上富士遠望 英泉画)


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(熊谷宿 八丁堤ノ景 英泉画)

深谷宿で、〔近江屋〕彦右衛門方へ投宿した。


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(深谷之駅 英泉画)


佐左の部屋には、芸者がはべった。
恭助も朝帰りであった。


参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () (

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2010.08.27

〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛

高崎行きを承諾した平蔵(へいぞう 32歳)に、高崎藩の江戸藩邸から用人が金包みをとどけてきた。

「首尾よくいきました折りに、いただきましょう」
押し返したが、老齢の秋池某と名のった用人は、
「そのときはそのときに。藩主・右京太夫さまのご存念は、絹市につどう商人(あきんど)衆に、安んじて滞在できる城下とわかってもらえれば、それでよろしいのです」
無理に押しつけた。
10両(160万円)という半端な金額が包まれていた。

「あと3日ののちに、ご藩邸へ書状をおとどけします。公用の早飛脚を仕立ててお国元へお送りいただき、高札へ写し、ご城下への出入りの辻々へお立ておきを願います」
「いともお易(やす)いこと---」

火盗改メ・土屋帯刀守直(もりなお 46歳 2000石)の組下同心・多田伴蔵(ばんぞう 41歳)が作図のひと組を持参してきた。

作図は、盗賊・〔船影(ふなかげ)〕一味が、高崎城下あら町の旅籠〔越前屋〕に押しいったときに残していった宝船の雛形を採寸した精緻なものであった。

参照】2010年8月7日~[安永6年(1777)の平蔵宣以] () () () () () (

それを手に、平蔵は今戸橋際の料亭〔銀波楼〕に、元締の今助(いますけ 30歳)を訪ねた。

「浅草寺の仲見世に、さまざまな手遊び(玩具)や人形を商(あきな)っている店の納め先の工匠なら、この図面どおりの宝船を、2日のうちに組み立てられようか?」
今助(いますけ 30歳)が貫禄をみせ、太鼓判をおして引きうけた。

参照】2009年6月20日~[〔銀波楼〕の今助] () () () () () 

その晩、〔木賊(とくさ)〕の今助が、白髪の男を伴い、三ッ目通りの長谷川邸へやってきた。
男は、時次郎(ときじろう 68歳)と名と齢を告げ、宝船の作図を示し、実物がどこにあるかと質(ただ)した。
火盗改メの役宅---と答え、高崎城下で手に入れたものだと教えると、大きくうなずき、
「おもったとおり、佐次(さじ 70歳)兄ィの技(わざ)でござんしたか」

時次郎の兄弟子---佐次郎は腕利きの手遊び工匠であったが、15年前、55歳を過ぎたときに流行り病いで女房を逝かせると、さっさと工房をたたみ、上州・沼田の在へ引っこんでしまった、とつぶやくように打ちあけ、
「これだけの細工ができるのは、佐次兄ィのほかにはおりませんです。およばずながら、弟弟子の意地にかけても、あすの晩までにやってみます」

金づくではないと謝絶する時次郎に、平蔵は無理やり包んだ1両を押しつけた。
かたわらで、今助も元締らしい口ぶりで、
さん、長谷川さまのお志しだ、いただいておきねえ。長谷川さまが、もし、高崎で佐次兄ィさんにお会いなさるようなことがあったら、なんと託(ことづ)けてもらうかね?」

その夜、平蔵はおそくまで案を練り、

あら町の旅籠〔越後屋〕へ押しいった賊の片割れを逮捕したから、2月20日の四ッ(午前10時)、見せしめのために、烏川(からすがわ)の洲(す)で、磔(はりつけ)の刑に処する。

認(したた)め終わると、にんまりと笑みをうかべ、冷酒をあふって床へ臥(ふ)した。


参照】2010年8月27日~[〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛] () () () (

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2010.05.03

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(16)

一方、こちらは、小網町2丁目の料理屋〔肴屋〕の2階座敷での昼どき。

もてなし側は、南伝馬町2丁目に為替両替の店をかまえている〔門(かど)屋〕の店主・嘉兵衛(かへえ 55歳)と一番番頭・富造(とみぞう 66歳)であった。
客側は、長谷川平蔵(へいぞう 30歳)と万吉(まんきち 23歳)と啓太(けいた 22歳)。 

信濃の岩村田城下の同業〔有田屋〕から顛末の大要を報せる速飛脚便と、火盗改メからの達しによって危険が去ったことを確認した嘉兵衛は、平蔵にお礼の伺いをたてた。

「立役者は、万吉啓太であるから、2人ともどもであれば、お招きに応じる。ただし、非番の日の午後は剣術のおさらいをみなければならないから、昼餉にしていただきたい」

〔門屋〕とすれば、昼飯なら酒もつけなくてすむから安くあがると喜んだ。

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(小網町の料理の〔肴屋〕)

鯉の洗いと精進揚げなどの食事が一段落したところで、嘉兵衛が用意していた金包みを、
「失礼でございますが、手前どもの寸志でございます」
差し出すと、平蔵は、
「お志だけ受けます。これは、この場で2つに割り、万吉どんと啓太どんへの餞別ということにしてくだされ。2人は、明日、京へ戻るのです」

「気がつきませず、失礼いたしました」
富造が後ろむきになり、5両(80万円)ずつに包みなおした。

「〔門屋〕どの。拙への礼をくださるお気持ちがおありなら、銭相場と為替の仕組みの才覚と、秘伝をお教え願いたい」
「造作もないことです。富造どんが何10年にもわたって会得した知恵を、つつみかくさす、お話しいたしましょう、が、お武家さまが、なにゆえに、金銀相場などのことを---お勘定方へでも---?」
「いや。わが長谷川家は、大権現(家康)さまのときから両番(書院番と小姓組)と申す番方(武官系)の家柄でしてな。まかりまちがっても勘定方にまわされることはない」
「それなのに---?」
「ご疑問はもっともなれど、番方だからといって、勝手方(財政)にうとくていい、というものでもあるまい」

礼金を断り、金銀相場の裏の裏を知りたいという平蔵に、嘉兵衛は興味をもった。
(この若者、ただの武家でおさまる仁ではない。きっと計略家におなりになるであろう。これをご縁に、つきあいを深めておこう)

ちゅうすけ注】この日から16年後、人足寄場を建議し、その創設と運営をまかされた平蔵が、2年目に予算不足から銭相場に手をだして400両をひねりだしたのも、隠居していた〔門屋〕嘉兵衛の入れ知恵によったとおもわれる。

参照】2007年9月19日[『よしの冊子』] (18) (31
2009年5月5日{相良城・曲輪堀の石垣} (
2005年1月16日[〔初鹿野(はじかの)〕の音松] 

万吉啓太が江戸を発つとき、刷りあがったばかりの〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 55,6歳)とお賀茂(かも 36,7歳)の人相書を15枚、〔左阿弥(さあみ)〕の若元締・角兵衛(かくぺえ 43,4歳)と東町奉行所の同心・加賀美千蔵(せんぞう 32歳)、それに箱根関所の足軽小頭(こがしら)・打田内記(ないき)にわたすようにもたせた。


参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (14) (15

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2010.05.02

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(15)

中山道を、ずんくり小肥の岩次郎(いわじろう 52歳)と青白い肌を赤く焼いた由三(よしぞう 19歳)が碓氷峠を上っているころ、江戸では、町名主の代理人たちが町年寄役所へ呼ばれ、火盗改メ本役・菅沼藤十郎定亨(さだゆき 45歳 2022石)の達しを写しいた。

間口4間以上の商舗で、信濃国に人別がある者を、ここ5年以内に雇いいれた店は、名、年齢、職、請け人を記し、7日のうちに提出すること。

一風変わった達しであった。

さらに奇妙だったのは、この達しの5日のあいだに、男7人、おんな5人が雇い主に断りなしに姿を消したことであった。

結果を聞いた先手・弓の2番手の菅沼組の筆頭与力の脇屋清助(きよよし 47歳)と長谷川平蔵(へいぞう 30歳)は、腹をかかえて笑いあった。
策は、平蔵が樹(た)てたものであった。

それから旬日後、京都では、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 54歳)が、持ち家である五条大橋東詰jの宿屋〔藤や〕の地下に設けられた秘密の部屋で、2人の配下とともに〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 55歳)と〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 59歳)と談じこんでいた。

蓑火〕側の配下2人は、身の丈6尺(180cm)はあろうかという大男で小頭筆頭の〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろうぞう 38歳)と軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人〔神畑(かばたけ)〕の田兵衛(でんべえ 47歳)である。

参照】2008年8月30日[{蓑火(みのひ)〕のお頭] (

「それがね、〔蓑火〕の。どうにも、解(げ)せないのよ。火盗改メ・本役の菅沼藤十郎定亨というご仁について、うさぎ人の小浪(こなみ 36歳)に風評をあたらせたのだが、配下にまかせきりで、自分から策を練る頭(かしら)ではないと。西丸の目付時代にもさしたる働きはなかったそうで--」

参照】2008年10月23日~〔うさぎ人(にん)・小浪] () (2) (3) (4) (5) (6) (7)

「で、がしょう? うちの草の根(諜者)にも、菅沼が組頭に任じられている先手・弓の第2組にもさぐりを入れさせたが、動いた気配いないのですよ」
喜之助お頭の言を引き継いだ田兵衛が、
「まったく不思議です。調べが、信濃からので出稼ぎ人にしぼられたということは、まるで、うちの組に狙いを定めたとしかおもえやせん」

大滝〕の五郎蔵は、なにかを思案しているように、腕組みをほどかず、じっと天井をにらんでいた。

「〔蓑火〕のお頭。軍者(ぐんしゃ 軍師)の〔殿さま栄五郎(えいごろう )どんは---?」
瀬戸川〕の源七が、座の空気をやわらげるようにしようとでもかんがえたのであろう、
「どう、見ていると---?」
「それが、岩村田城下から戻ってきた由三岩次郎を寝掘り葉掘り問いつめたが、かいもく見当がつかないと書いてきているのですよ」

五郎蔵が何かをおもいついたかのように腕組みをほどいたが、口にしなかった。

ちゅうすけが察するに、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)を〔狐火〕へ譲ったことが手落ちではないか、と気づいたのではないかとおもう。
は、うさぎ人の小浪とちがい、考えぬくほうだから、この場合の手違いを指摘できたろうと。

さすがの五郎蔵も、つなぎ(連絡)役の〔尻毛(しりげ)〕の長助(ちょうすけ 31歳)の毛むくじゃらが手がかりになっていたというところまでは考えがおよばない。
自分たちは長年見なれているから気にしたことがないからでもあり、仲間を疑うことはしたくないとのおもいが働いていたこともあろう。

「とにかく、江戸での盗(おつとめ)は、しばらく、休むより仕方がない」
うなずいた勇五郎が、
「まあ、手前のところは、江戸はずっと手びかえてきたから仕事には差しつかえはないが、〔蓑火〕どんのところは手びろくやってござるから、お困りでしょう」

勇五郎源七も、お平蔵(当時は銕三郎)とが、躰でむすばれた仲になっていたことは秘しとおした。
蓑火〕が平蔵に仕掛けをしては、大器に育ち始めたあの若者の将来に傷がつくことを恐れたからである。

参照】2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (
2008年11月25日[屋根船
2008年11月27日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (
2009年5月21日~[真浦(もうら)の伝兵衛] () (

参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (14) (16

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2010.05.01

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(14)

「あの2人だ」
南伝馬2丁目の東側の路地に身をかくし、向いの両替商〔門(かど)屋〕喜兵衛方の表をひそかにうかがっていた長谷川平蔵(へいぞう 30歳)が、旅姿の若者2人に告げた。

〔門屋〕の店先でも、2人の旅姿の男が、店の衆たちに見送れていた。
見送られているのは、手代・由三(よしぞう 19歳)と下男・岩次郎(いわじろう 52歳)であった。

昨夕、突然、べつべつに番頭・富造(とみぞう 66歳)に呼ばれ、取引先の信濃・佐久郡の岩村田城下の同業〔春日屋〕へも分厚い書き付けの包みをとどけるようにいわれた。
岩次郎は、その供の者ということで、道中手形も用意されていた。

日本橋橋を北へわたっていく2人を尾行(つ)けるのは、万吉(まんきち 24歳)と啓太(けいた 20歳)であった。

日本橋をわたると、由三岩次郎の下僕のように入れ替わった。
そして、中山道へつながる道を、なぜか西へ折れ、一石橋を堀沿いに竜閑橋へ向かった。

はん。こら、荒物屋へ行くつもりや」
「そうらし、おすな」
尾行(つ)けている2人のささやきである。

荒物屋が見張れる足袋・草履屋で休んでいると、2人が出てきた。
毛むくじゃらな〔尻毛しりげ)〕の長助(ちょうすけ 31歳)はあらわれなかった。

6月(旧暦)の日差しが強まる中を、板橋宿まで尾行(つ)けた万吉啓太は、街道ぞいの茶店でひと休みしてから、江戸へ引き返した。
尾行は板橋宿まででいいと、平蔵からきつく言われていたからである。

だから、このあとは、ちゅうすけが尾行するしかない。

板橋宿で休まなかった2人は、浦和宿はずれで、昼餉(ひるげ)にはまだまがあるというのに、小じんまりとした商人(あきんど)旅籠〔蓑(みの)屋〕へ入っていった。

ここは、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 54歳)が中山道ぞいの10数ヶ所にかまえている商人旅籠兼盗人宿のひとつで、小頭の一人---〔五井(ごい)の亀吉(かめきち 35歳)が、熊谷宿の旅籠〔蓑(みの)屋〕ともに預かっていた。

事情を聞いた亀吉は、離れの〔殿さま栄五郎(えいごろう)を呼び、知恵をかり、指示をあおいだ。
「なんで、発覚(バレ)たとおもうかいのう?」
「火盗改メ・本役組の与力が、〔門屋〕の主人・喜兵衛(きへえ 55歳)に会いにきたということでやす」
岩次郎が応え、岩田村城下の〔春日屋〕へという、厳重に包装されてどっしりとした紙包みを差し出した。
じろりと一瞥した栄五郎は、
「このまま、手つかずで〔春日屋〕へとどけんと、いけん」

2人が出立すると、亀吉はことの次第をしたため、京・五条大橋東詰にある宿屋〔藤や〕へ速飛脚に託した。
〔藤や〕は、このところ、〔蓑火〕の本拠となっていた。

日照りのつづき4日後の夕方、岩次郎由三は岩村田城下へ着いた。
中山道沿いの岩村田(現・佐久市)は、江戸から41里、500戸ほどの家が小さくまとまった、内藤志摩守正興(ただおき 32歳 1万5000石)が統治する城下町であった。

両替為替商〔春日屋〕は、ニ宮明神社の前に、間口3間の店を構えていた。
江戸の〔門屋〕から届けられた紙包みをひらいた主人は、ぎょっとした面もちで2人を瞶(みつめ)た。

中にあったのは、たった一枚の紙片と仕舞い金(しまいがね 退職金)2両(32万円)にすぎなかった。

「わけあって、由三岩次郎をお戻しいたします。
商いはこれまでどおりにつづけさせていただきます」


参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (15) (16

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2010.04.30

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(13)

白粉問屋〔福田屋〕では、長谷川平蔵(へいぞう 30歳)を目ざとく見つけた一番番頭の常平(つねへい 48歳)が、
「おどん」
仕事の手をとめたお(かつ 33歳)に、手をふり、そうではないと示した。

「ご当主・文次郎どのに頼みごとがある」
常平が奥へ小走りに消え、やがて、文次郎(ぶんじろう 41歳)ともどもにあらわれ、中庭に面した座敷へ招じた。

「南伝馬町2丁目の両替商〔門(かど)屋〕の店主をご存じなら、番頭ともども、こちらへ来てもらいたいのだが。店の命運にかかわるほどの話だと伝えてくださってよろしい」

番頭の常平が、あわてて座敷をでていった。
〔野田屋〕は、京の小町紅の仕入れ代金などの為替決済などに〔門屋〕を使っていると文次郎が話し、平蔵が相槌をうちながらお茶をすすっているまに、〔門屋〕の店主・嘉兵衛(かへえ 55歳)と番頭・富造(とみぞう 62歳)が伴われてきた。
嘉兵衛は、胃の腑でも患っているのか、痩せて、青黒い肌をしていた。

道々に常平が説明したのであろう、額が畳につくほどにお辞儀をしたが、目尻には、武家の若造に為替のことがわかってたまるかといった気負いがみえた。

「〔門屋〕どの。お忙しいのにわざわざお運び願ったのは、金蔵(かねぐら)が、日本一の盗賊に狙われているからです」
嘉兵衛もと富造も、さすがに、表情をあらためた。
気配を察した文次郎と常平が、こころのこりな顔で座をはずした。

「この2年、いや3年---そうだな、5年がうちに新しく雇いいれた者の名と、齢かっこう、その役どころを書いてみなさい」

2人が相談をし、富造が書いてさしだした紙を見、
岩次郎 52歳 下男
を指さし、
「この仁を雇いいれたのは?」
「3年前です。信濃・佐久郡の岩村田城下の、同業の〔春日屋〕さんの請(う)けで---」
「その〔春日屋〕を介して雇った者は、この書き出しの中には、ほかにおらぬかな?」
「はい、5年前に小僧として入り、いまは手代をしております由三(よしぞう 19歳が---」

平蔵は、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 54歳)のおそろしいほどの遠慮と深謀をしり、身がふるえほどに感銘を覚えた。
(〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)が心酔したのも当然だ)

その〔蓑火〕は、軍者(ぐんしゃ 軍師)の一人であったおを盟友・〔狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 55歳)に譲り、備前岡山の浪人で〔殿さま栄五郎(えいごろう 30半ば)という、頭も剣の腕も秀でたのを軍者として配下にくわえたという。

参照】2008年11月2日[『甲陽軍鑑〕] (

〔門屋〕はおろか、〔福田屋〕へもおへも報復の手がおよばないように、〔蓑火〕一味に手を引かせるには、〔殿さま栄五郎のものの考え方をもうすこし知りたい。

こういうときに、おまさ(19歳)の父親・〔(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 享年53歳)がいてくれたら、どれほどこころ強いか。

参照】2005年2月12日{[鶴(たずがね)〕の忠助]
2008年4年29日~[{盗人酒屋〕の忠助] () () () () () () (

参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (14) (15) (16

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2010.04.29

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(12)

下城の帰り、鎌倉町横丁の角で足袋・草履をあきなっている〔遠州屋〕へ立ちよるのが、平蔵(へいぞう 30歳)のきまりになっていた。

〔遠州屋〕は、老夫婦がやっている小さな店で、むすめと婿夫婦は神田須田町で草履問屋をやっているとのことであった。

店の横の3畳の部屋を借りたとき、長谷川と名乗ったら、「あの、行人坂の大火の火付け人を逮捕してくださった火盗改メの長谷川さまのご縁の方かと訊かれ、そうだと応えたら、一もニもなく承知してくれた。
大火にあったが、むすめ婿が店を再建してくれたと自慢もされた。

3畳の間では話もできはないから、万吉(まんきち 24歳)と啓太(けいた 22歳)をいちいち竜閑橋北詰の茶店へつれだすのは不便でもあったが、そのうち、心得て、時刻になると、2人は先にきて茶を飲んでいるようになった。

2丁西の御宿(みしゃく)稲荷脇の里貴(りき 30歳)の家で打ちあわせることも考えたが、なにも2人に里貴との仲を教えることもないと断じた。

この日、万吉が新しい報らせを告げた。
見張っていた〔尻毛(しりげ)〕の長吉(ちょうきち 31歳)が動いたといった。
「指の脊ぇまで毛むくじゃらどしたよって、まちがいおまへん」

7日前に平蔵が尾行(つ)けたのとまったく逆の道順をたどり、外堀端から南大工町と南鍛冶町のあいだの道を南伝馬町2丁目へでる手前で、あたりに人影がないのを見すまし、猫の鳴き声を真似たという。
すると、商家の裏手とおもえる路地から、50男があらわれ、何かを手わたし、ちょっと会話してすぐに別れ、〔尻毛〕はそのまま、引き返したというのである。

万吉どん。でかした」
「その商家、両替屋で〔門(かど)屋〕いいます」

平蔵が、にっこりと面持ちをくずし、
「見張りはそこまでだ。〔遠州屋〕を引き払おう。ついでに、そろそろ、貞妙尼(じょみょうに 享26歳)ことも忘れられたころあいだ、〔音羽(おとわ)〕の元締にお願いして、京へ戻してもろおう」

顔をみあわせた万吉啓太は、複雑な表情をし、
「どないしても、京へ戻らなあきまんやろか?」
「なんだ、なじみのおんなでもきたのか?」
そうではなく、平蔵の下で密偵の仕事をつづけたい、という。

「それはいかぬ。おれは平の書院番士として出仕して2ヶ月にもならぬ。火盗改メになるのは30年も先であろうよ」
2人はしょげかえった。

ちゅうすけ注】平蔵が実際に火盗改メを下命されたのは30年先ではなく、22年先ではあった。

〔遠州屋〕の老夫婦に、礼として小粒をひとつひねって押しつけ、その足で日本橋通3丁目箔屋町の白粉問屋〔野田屋〕へまわった。


       ★     ★     ★

『週刊 池波正太郎の世界 20 幕末新撰組/近藤勇 』(朝日新聞出版)が送られてきた。

N

A_2タイトルにもかかわらず、巻末[わたしと池波作品]は『鬼平犯科帳』で久栄夫人役の多岐川裕美さん。
ぼくは撮影所で出をまっている裕美さんを見かけたことがある。
鬼平の居間からつづいている廊下が左手へおれたセットで、この日はカメラが狙わない場所の椅子に、引く裾をまくって坐り、30分間ほどもじっと動かないで、役への没入をしているふうで、役者さんもたいへんだなあとおもった。

ぼくだって、このブログを書くためにパソコンへ向かう前には、手当たりしだいに文庫『鬼平犯科帳』をとりあげ、どのページでも開いて数ページ読んでから、キーをたたきはじめる。


参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (13) (14) (15) (16

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