安永6年(1777)の平蔵宣以(6)
「奇妙な盗賊がいまして---」
平蔵(へいぞう 32歳)が坐るなり、高遠'(たかとう)筆頭与力(58歳)が切りだした。
先手・弓の7番手、火盗改メ本役の組頭の土屋帯刀守直(もりなお 46歳 1000石)の小石川の江戸川端の役宅玄関脇、控え間であった。
守直との閑談が終わり、帰ろうとしたところを、高遠に足止めされた。
「盗賊はみんな奇妙ですよ。まともなこころの持ち主は盗みなんかしませぬ」
「それはそうですが---」
しごくまっとうな言い分に、高遠筆頭はしばらく言葉につまった。
「どう、奇妙なのですか?」
「獲物をさらって引きあげたあとに、宝船の雛形を置いていくのです」
「宝船の雛形?」
「さしわたしが3寸(9cm)ほどの造ものです」
「実物がありますか?」
出ていき、戻ったときには、一人の中年の同心を伴っていた。
「多田さん。お久しぶりです」
平蔵のほうから先に言葉をかけた。
つい1ヶ月前までの足かけ14年ほどのあいだ、弓の7番手の組頭は本家の長谷川太郎兵衛正直(まさなお 69歳 1450石)が勤めていたから、西丸・書院番士として出仕する前の平蔵は、番町の屋敷にはよく出入し、ほとんどの組下と顔なじみになっていた。
「高崎の現場へは、手前が出張(でば)りましたゆえ---」
「事件(こと)は、松平(右京太夫輝高 てるたか 53歳 高崎藩主 5万7000石)侯のご城下で?」
「ご老中から、とくにとのご要請がありましたので---」
「新年早そう、ご苦労さまでした」
多田伴蔵(ばんぞう 41歳)の祖も、武田方の同心であったと聞いたことがあった。
一族のだれかの引きで、徳川方の拡充・新設の先手組の同心に組みこまれた。
多田同心によると、宝船の雛形をのこしていく盗人は、上野(こうずけ)や甲斐、信州、越中でばかり知られた存在で、初代を〔船影(ふなかげ)〕の忠治(ちゅうじ 60代)といったが、いまは息子で2代目を継いだ忠兵衛(ちゅうべえ 30代)が首領となってかせいでいるらしい。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻18[一寸の虫]のサブ・キャラの〔船影〕の忠兵衛がその人物。
高崎城下でやったのは、あら町の旅籠〔越後屋〕で、絹市(きぬいち)の客たちの仕入れ金をねらった大がかりな盗(しごと)みであった。
旅籠〔越後屋〕では、絹市が立つ前後は一見(いちげん)の客はとらない。
それを見こんで3年前から季節はずれの時期に、奥州の種紙問屋〔あぶくま屋〕の番頭・茂兵衛(30代後半)というふれこみで投宿し、顔なじみとなったうえで、初市どきにやってき、ふとん部屋でいいからと泣きついたため、ほだされて泊めてやると、その男が引きこみであったという。
その夜、気がついてみると、20人ばかりの黒装束で抜き身の男たちが寝巻のままの宿泊客を一部屋へつめこみ、亭主・八兵衛をおどして客たちが帳場へ預けた総計1,540両を取りあげて逃げた。
藩としても、城下町のにぎわいを支えている絹市の信用にかかわると、火盗改メに出張りを、次席老中の藩主をうごかし、要請したらしい。
「申しわけないが、いまは西丸の番士なので、部屋住みのかつてのように、なかなか暇がとれませぬ」
「重々、お察ししております。が、考えの手がかりだけでもお示しいただけば---」
「考えておきます。多田さん、それより、一夕、お付きあいください。お帰りが遠くなりますが、深川あたりで---」
「いつなりと、ご指定ください」
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コメント
これまで10人を超える火盗改めが登場していますがも印象にの残っているのは、もちろん平蔵宣雄さんと、お佐和を伴って奈良奉行へ赴任した菅沼藤十郎貞亨さん、そして裸で馬を乗りまわした土屋帯刀守直さんですね。
投稿: tsuko | 2010.08.11 05:06
>tuuko さん
日替わりブログでは、肉付け(肉付き、じゃなく)---人物造形がむつかしいです。
ちょっとしたエピソードで人物像が浮き出してくることはわかっているのですが。
これからも配慮します。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.11 11:42