カテゴリー「107茨城県 」の記事

2007.03.06

初代〔狐火(きつねび)〕の勇五郎

[6-4 狐火]は、寛政3年(1791)夏の事件である。

ついでだから、この年に起きた事件を列記しておく。
[6-1 礼金二百両]   1月
[6-2 猫じゃらしの女]  1月~2月
[6-3 剣客]       春
[2-3 女掏摸お富]   夏の陽ざし 
[6-4 狐火]        夏
[6-6 盗賊人相書]   盛夏
[2-2 谷中・いろは茶屋]晩夏
[6-5 大川の隠居]   初秋
[6-7 のっそり医者]   初秋
[2-4 妖盗葵小僧]   初秋から翌年
[7-1 雨乞い庄右衛門] 秋
[2-5 密(いぬ)偵]  初冬(12月)

_6 こうしてみると、文庫巻6には、連載延長のための歳月補足の創作篇を盛り込んだとはとうていおもえない秀作が多い---[大川の隠居]をはじめとして、[猫じゃらしの女]しかり、[狐火]しかり。[のっそり医者]もいい。

しかも、[狐火]は、密偵・おまさの女としての過去と、その情念を再燃させるおまけまでついている。

それはそれとして、あれこれ検証してみる。
まず、初代〔狐火(きつねび)〕の勇五郎は、4年前に死んだことになっている。65、6歳。

4年前といえば天明7年(1787)で、長谷川平蔵はこの年の秋、9月19日に冬場の火盗改メ・助役(すけやく)を命じられた。
本役は、堀帯刀秀隆である。
翌年春に、助役を解かれた。

その年---すなわち天明8年(1788)10月2日に火盗改メ本役を命じられる。
その2,3日後に、おまさが出頭してきて、いま働いている〔乙畑おつばた)〕の源八一味を訴人する。この時、おまさは30歳を越えた([4-4 血闘])---とあるから、31歳か。

狐火]で再会した又太郎(2代目〔狐火〕は32歳。
1歳上おまさ は33歳---勘定が1歳あわない。このとき33歳なら、天明8年は30歳であらねば。

又太郎の母親は、初代〔狐火〕の勇五郎の妾だったが、小田原に住んでいた時に本妻が死んだので、京都へ呼ばれて、又太郎と本妻の子・文吉を分け隔てなく育てたが、38歳で病死。

2代目〔〔狐火きつねび)〕を次ぎ、京都で仏具屋を隠れ蓑にしていた又太郎は、父親・勇五郎の体質よりも、母親・おのほうを受け継いでいたのだろう、流行やまいにかかり、32歳であっけなく逝ってしまう。

もちろん、2代目・勇五郎が病歿しないと、おまさ鬼平の許へ帰ってくる口実がつかない。幾人もの首領のしたで働いたおまさは、100人以上の盗人の顔をおぼえており、発見や逮捕のきっかけをつくるとともに、物語に深みと現実みをあたえているのだから。

彦十にいわせると、おまさ又太郎は、
「男と女の躰のぐあいなんてものはきまりきっているようでいて、そうでねえ。たがいの肌と躰が。ぴったりと、こころくまで合うんてことは百に一つさ。まあちゃん。お前と二代目は、その百に一つだったんだねえ」

いや、初代〔狐火〕の勇五郎を紹介するつもりではじめた。
この首領は、懐の深い仁で、銕三郎と、 家督前の名で呼ばれていた幕臣の長男とも親しくし、下ごころなしに小遣いを与えたりするだけの度量があった。

可愛がっていた妾のおが、銕三郎とできてしまった時も、
「お前さんは武家のお子だ。人のもちものを盗(と)っちゃあいけねえ」
と諭しただけですませた。
勇五郎は45,6歳の男ざかり、よくそれだけで済ませたものだ。

平蔵は、いまでも、その時のことを思い出すと冷や汗をかくという。
いくら、若い時の失敗は、恥のうちに入らない---といわれても、ね。

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2007.02.14

〔乙畑(おつばた)〕の源八

[19-6 引き込み女]は、密偵おまさが、〔乙畑(おつばた)〕の源八一味にいて〔引き込み〕を手伝っていたとき、同様に〔引き込み〕をしていたお元(もと 35,6歳)が物語の中心とたなっている篇である。おまさは、お元と仲がよかった。

この篇に、〔乙畑〕の源八は、こう書かれている。

おまさとお元の〔お頭〕だった乙畑の源八は、ずっと以前に病死してしまい、以来、一味の盗賊たちは四散してしまった。p267 新装p278

『鬼平犯科帳』シリーズへのおまさの登場は、[4-4 血闘]で、

おまさに、平蔵が二十年ぶりに再会したのは、去年(天明8年)の十月初旬の或日のことだ。
おまさのほうから、役宅へ名のり出て来たのである。p136 新装p143

このおまさによって〔乙畑の源八一味〕が〔火盗改メ〕に捕らえられたことはもちろんだが、その後、平蔵は、おまさを密偵にするつもりはなかった。p138 新装p144

[5-3 女賊]にも、こう、ある。

おまさの自白によって、乙畑の源八一味を長谷川平蔵が捕らえたのは、去年の十二月七日である。
そのとき、おまさは平蔵のために女密偵としてはたらく決意をかため、乙畑一味を裏切ったわけだ。
ために平蔵は乙畑一味十二名を一網打尽(いちもうだじん)にしたとき、これをあくまで隠密(おんみつ)にはからい、ひそかに島送りとしてしまった。p85 新装p90

さて、〔乙畑〕の源八は病死か獄死か。
一味は解散か島送りか。

常識的な推測だと、初めに書かれたほうが池波さんの心に近いといえようか。

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2006.09.27

〔吉間(よしま)〕の仁三郎・追記

文庫巻4-4[血闘]で、おまさを密偵と見破った〔吉間(よしま)〕の仁三郎については、すでに、常陸国真壁郡吉間村の出身として取りあげている。

_4

そのときは現行の町名を明野町としたが、その後、同町が近隣の町村と大合併し、筑西市となったことを知ったので、それも訂正した。

確認のために筑西市のホームページにアクセス、明野図書館館報「花さき山」で、三輪 巴館長のお名前が目にとまった。学識が深く、利用者のためには調べものもいとわない方とお見受けしたので、思いついて、吉間村が明野町へ包括された経緯をお尋ねしてみた。

Photo

ブログの記録は、データが手に入った都度々々、順次つけくわえてこそ、充実し、後続の士の道しるべとなる。

三輪館長は、お忙しいにもかかわらず、データをそろえて送ってきてくださった。

『角川 日本地名大辞典8 茨城県』(昭和58年) もと西に芦間という入江があったという。芦と吉は同音であるためこの地名になったという(杉山私記)。

吉田東伍博士『増補 大日本地名辞書 第6巻 坂東』(昭和61年 冨山房) 今村田村と改む。(略)南北争乱の際に聞こえし、村田城址は、吉間に伝説せらる。

村田村となったのは、明治22年(1889)の市町村制施行の5村1新田の合併による。
明野町の成立は昭和29年(1954)11月3日。

『茨城県の地名 日本歴史地名大系 8』(1998年 平凡社) 元和9年(1623)には藩主水谷氏の検地が行われ、同年2月の水野谷様御代下館領村々村高ならびに名主名前控(中村家文書)に村高1,098.185石とある。寛永16年(1667)の水谷氏転封に伴い天領---(略)。

や、これは凄い発見!

この水谷(みずのや)が転封した先が備中・松山(5万石。高梁市)なら、同藩に仕えていた馬廻役・三原七郎右衛門(100石)が水谷家の改易とともに失職、そのむすめ長谷川平蔵宣雄(鬼平の父親)のである。
また、3,000石の幕臣となっていた後裔の伊勢守勝久は、西丸書院番士として出仕した平蔵宣以番頭(ばんがしら)で、平蔵の引き立て役でもあった。

この、吉間村を領していた水谷(みずのや)家が、長谷川平蔵と関係が深い水谷かどうか、再度探索する必要ががある。

もちろん、〔吉間〕の仁三郎が育ったときには、水谷家は真壁郡を去り、村は旗本・飯塚帯刀、井上越中守、石巻栄吉らがそれぞれ、520石余、507石余、75石余を知行しており、さらに安藤伝蔵支配が93石余、三所神社領5石となっていた。

仁三郎の家がこれらのいずれの支配下にあったかは調べえうるべくもない。

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2006.02.23

敵(かたき)持ち・土田万蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻6の末尾篇[のっそり医者]で、主人公の萩原宗順(60すぎ)を親の敵(かたき)と狙ってきた、下総・古河藩の浪人・土田万蔵。16歳のときから敵討ちの旅に出てほぼ25年---この間、辛酸をなめつくし、いろんな悪事にも手を染めた。
最近では、稲荷堀(とうかんぼり)の近くで辻斬りもやった。
相棒は〔落合(おちあい)〕の儀十(30がらみ)という盗人。
(参照: 〔落合〕の儀十の項)

206

年齢・容姿:40すぎ。しっかりした身なり。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこおり)古河(こが)(現・茨城県古河市)
父が古河藩の膳番。

探索の発端:鬼平が萩原宗順のもとへ送った小娘およしが、不審な男2人が宗順の身辺をさぐているようだと、鬼平へ告げたことから、宗純の身元もあらわれ、彼が敵(かたき)討ちをうける身であることがわかった。が、いまの宗順は、前非を悔いて、医術でもって世のために尽くそうとしていた。

結末:難をさけて宗順とおよしが捨てた家を、土田万蔵と儀十が襲ってき、待っていた鬼平に斬られた。

つぶやき:「敵討ちは、火盗改メの相知らぬこと---」といって、萩原宗順の過去を不問に付する鬼平のかっこうのよさは、読み手を酔わす。が、法の仕事に就いている幕臣としての言葉としては---。

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2006.02.15

〔黒灰(くろばい)〕の宗六

『鬼平犯科帳』文庫巻7に置かれている女賊の[掻掘のおけい]の篇で、おけい(40をこえている)と組んで、荒っぽい盗めもいとわない一味の首領が〔和尚(おしょう)〕の半平(年齢不詳)の配下として、おけいとの連絡にあたっているのが、〔黒灰(くろはい)〕の宗六である。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
(参照: 〔和尚〕の半平の項)

207

年齢・容姿:30男。苦味のきいた顔。
生国:常陸(ひたち)国多賀郡(たがごおり)黒坂村(現・茨城県多賀郡十王町黒坂)。
5年前といえば宗六の25歳前後のころだが、〔和尚〕の半平の使いで、相州・平塚の盗人宿にいた〔大滝〕の五郎蔵のところへ共生国、多賀郡(たがこうり)関本村(現・北茨城市関本町小川)の近くで捜して、黒坂を見つけた。聖典には、同じ篇[掻掘のおけい]に〔黒坂(くろさか)〕という通り名の盗人の首領・伝右衛門が先に出ているので、池波さんは 〔黒灰〕と変えたと類推。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔黒坂〕の伝右衛門の項)

探索の発端:かつて現役時代の五郎蔵の下にいた〔砂井(すない)〕の鶴吉が、大豊島の女賊〔掻掘〕のおけいに可愛がられすぎた精も根も吸いとられていると、五郎蔵に助けを求めてきた。
(参照: 〔砂井〕の鶴吉の項)

五郎蔵がおけいを尾行(つ)けると、新川の蕎麦屋で〔黒灰〕の宗六と密談していた。
五郎蔵が宗八を見知っていた経緯はすでに書いた。

結末:宗六ちを尾行(つ)け五郎蔵が見つけた〔和尚〕の半平の盗人宿を見張った火盗改メは、彼らが襲おうとした浜町堀・富沢町の紅・白粉問屋〔玉屋〕で、全員逮捕。宗六は矢で殺された。

つぶやき:イケメンの宗六をねぶってみようと、おけいは思わなかったか。また、宗六はおけいに一度抱かれてみたいとおもわなかったか。
お盗めの前のいましめを守りきった宗六は、生きていたら、伊三次のようないい密偵になったかもしれない。

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2006.02.09

〔鈍牛(のろうし)〕の亀吉

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[鈍牛]の主人公は、いささか知恵遅れで動作も言葉もゆっくりめなので〔鈍牛(のろうし)〕と綽名をつけられている。
6年前に下総・佐原で母親が病死、その母親のいいつけで深川の釣具師の女房におさまっていた伯母をたよって上府し、深川・相川町の菓子舗〔柏屋〕へ奉公していたのが、ある夜、隣の熊井町の蕎麦屋〔翁庵〕へ放火し、どさくさにまぎれて8両を盗んだと、「晒し者」になっている。

205

年齢・容姿:25歳。ぽってりと太り気味。八の字のような眉に点をうったような眠たげな両眼。ちょこんと上を向いた鼻。ようするに童顔なのだ。
生国:常陸(ひたち)国鹿島郡(かしまこおり)鉾田(ほこた)村(現・茨城県鹿島郡鉾田町鉾田)。
精薄児・亀吉を産んだために離縁された母親は、上総(かずさ)・下総(しもうさ)と流れて、潮来(いたこ)の女郎屋にいた。その母親が死んだので上府。

探索の発端:亀吉は真犯人をかばって冤罪をかぶったのだと土地(ところ)の者たちが噂していると、深川で船宿をあずかる〔小房〕の粂八が同心・酒井祐助へ告げた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
南町奉行の池田筑後守へ処刑延期を依頼した鬼平は、亀吉が晒されている現場へ張り込んだ。
と、人だかりのなかに、亀吉と視線をまじえた男がいた。
亀吉の母親のなじみ客だった安兵衛で、亀吉には菓子などを与えていたという。亀吉は、放火現場で安兵衛を見かけ、「だれにも言うな」といわれたので、身代わりに立った次第。
(参照: 下総無宿の安兵衛の項)
結末:安兵衛は、晒しのうえ火あぶりの刑。
拷問で亀吉からウソの自白を引きだした密偵の源助は、八丈島へ島送り。
田中同心は、身分と役目を召しあげられ江戸追放。

つぶやき:池波さんの初期の戯曲に[鈍牛]という、売れない画家が大金を拾い、持ち主が現れなかったので下げ渡されたために起きるドタバタを描いたものがある。現代劇---といっても、終戦後の昭和20年代後半あたり、みんな貧しかった時代を描いている。
この篇とはなんのつながりもない---が、しいていうなら、庶民の深い人情味が共通している。

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2005.10.27

鰻(うなぎ)の辻売り・忠八

『鬼平犯科帳』文庫巻15の[雲竜剣]は、シリーズでは最初の長篇なので、ゆったりと謎が解かれる。小名木(おなぎ)川が大川へそそぎこむその河口に架かる万年橋の南で鰻(うなぎ)の辻売り屋台を出している忠八の名あげたのは、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の女主人・お熊である。
580
茶店〔笹や〕は、弥勒寺楼門前の板庇の家。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

215

年齢・容姿:32,3歳。容姿の記述はない。
生国:書かれてはいないが、鰻に縁があって、剣客医師・堀本道伯と直接に知り合ったとすると、下野(しもつけ)国都賀郡(とがこうり)牛久(うしく)村(現・茨城県牛久市牛久)あたりと推察。
(参照: 剣客医師・堀本伯道の項)

探索の発端:同心・金子清五郎が殺害される前日、忠八と肩をならべて〔笹おや〕の前を通りずぎたと、お熊が証言したのである。事件とかかわりがある人物が初めて浮きあがった。
しかし、万年橋きげわに彼の姿はなかったのである。
別の線から、忠八が本所の獺(かわうそ)長屋に住み、夜分、深川・佐賀町の足袋問屋〔尾張屋〕へ鰻の櫛焼きを届けたり、下男の彦兵衛と連絡(つなぎ)をつけていることも判明した。

結末:堀本伯道は息子に斬り殺されたが、忠八のことは書かれていない。

つぶやき:[雲竜剣]は、シリーズが始まってから,8年半目に連載がスタートした。池波さんも編集部も、ファンが固定したと読んだのであろう。
もっとも、読み手とすると、毎月の展開をいらいら気味で待ったにちがいない。文庫で読みきれるいまの読者は幸せである。

『鬼平犯科帳』の発生事件の年代順リストは、
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/sanko/index.html
の、目次の下から3番目あたりの、年代・季節順を。

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2005.10.23

〔大崎(おおさき)〕の弥平

strong>『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録されている[兇賊]で、兇賊〔網切(あみきり)〕の甚五郎(50男)の父親〔土壇場(どたんば)〕の勘兵衛が登場するが、この勘兵衛は、20数年前、両国の盛り場を牛耳っていた香具師の元締〔大崎(おおさき)〕の弥平の右腕と称して、悪徳のかぎりをつくして、土地の嫌われ者だった。
弥平が勘兵衛のことをどう扱っていたかの記述はない。

205

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:下総(しもうさ)国猿島郡(さるしまこうり)大崎村(現・茨城県水海道(みつかいどう)市大崎)。

探索も結末もなし

つぶやき:「大崎」は水海道市の北西の岩井市にもある。迷ったが、江戸に少しでも近いこと、訪れたことがあるというまったく理にあわない個人的な心情から、水海道市をとった。
もし、岩井市の鬼平ファンの方からアピールがあったら、乗りかえることにやぶさかではない。

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2005.09.20

〔古河(こが)〕の富五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に載っている[乞食坊主]こと、剣友・井関録之助に、南品川の貴船明神社(現・荏原神社  品川区北品川3-30-28)境内で盗めの会話を聞かれてしまった〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵と〔鹿川(しかがわ)〕の惣助は、ともに〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人である。
(参照: 〔寝牛〕の鍋蔵の項 )
(参照: 〔鹿川〕の惣助の項)

205

年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこうり)古河(こが)宿(現・茨城県古河市古河)
地名は、未開地を意味する空閑(くが)の転訛と。

探索の発端:冒頭に記したように、井関録之助が聞いたのがきっかけだが、鬼平の申しつけで、録之助は武士に変装して品川宿をさぐっているうちに、〔寝牛〕の鍋蔵が3年前からひらいている小間物屋を見つけた。隣の質屋〔横倉屋〕が押し入り先とわかり、見張り所が設けられた。
102
品川駅 (『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)

結末:黒づくめの装いに身をかためた〔古河〕一味15名があらわれたのを、火盗改メの与力・同心・小者17名がとりかこみ、宿役人なども手伝って、全員捕縛。

つぶやき:連載3年目の第31話である。池波さんの筆づかいにも油がのった時期。枝葉の話にもきちんと説明がついている。
たとえば、井関録之助を消すために、両国の香具師の元締〔羽沢(はねざわ)〕の嘉兵衛に仕掛けを頼むなど。
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)

が、〔古河(こが)〕の富五郎の描写の手を抜いているようにおもえるのは、原稿枚数の制限を気にしてか。

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2005.08.22

〔砂井(すない)〕の鶴吉

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録されてタイトルを飾っているヒロイン---[掻掘のおけい]は、ツバメになっている〔砂井(すない))〕の鶴吉の悲鳴まじりの告白によると、じつに、その、存在感たっぷりの女賊であるらしい。女好きの---女が好きでない男はいないのだが---とりわけ好きな、同心・木村忠吾が「抱かれてみたい」とうめくほど。
〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の配下だったころ、仲のよかった〔蛙(かわず〕)の市兵衛の一人息子で、少年のころから五郎蔵のの下でこの道の修業していたが、高崎在でのお盗めのときに押し込み先の下女に手をだしたので放逐された。
そのあと、駿河の〔黒坂(くろさか)〕の伝右衛門、〔生駒(いこま)〕の仙右衛門のところでつとめていた。
(参照: 〔掻掘〕のおけいの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔黒坂〕の仙右衛門の項)
(参照: 〔生駒〕の仙右衛門の項)

207

年齢・容姿:25,6か。色白で、下ぶくれの可愛らしい顔だち。
生国:下総(しもうさ)国猿島郡(さしまこうり)上砂井村(現・茨城県古河市上砂井)。

探索の発端: 〔砂井」の鶴吉のほうから〔大滝〕の五郎蔵へ声をかけてきて、この1年、〔掻掘(かいぼり)〕のおけいのくわえこまれて精も根も吸いつくされているから、助けてほしい、と。
それで、おけいに見張りがつき、 おけいが組んでいる〔和尚(おしょう)〕の半平一味の存在もつかめた。
(参照: 〔和尚〕の半平の項)

結末:〔掻掘〕のおけいがたらしこんた日本橋・富沢町の紅・白粉問屋〔玉屋〕茂兵衛方へ押しいろうとした、〔和尚〕の半平一味は射殺と逮捕。鶴吉は逃げようと誘うおけいをふりきって投降。身柄は五郎蔵にお預けの形となった。おけいは半平とともに、市中引き回しの上、死罪。

つぶやき:読者サーヴィスとこころえてはいても、40歳をこえている〔掻掘〕のおけいの量感の描写はすごい。もっとも、いまの日本女性は精神的も躰も若返っており、40歳代は花の盛りともいえるから、おけいの性的アピールには驚かないかもしれない。

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