〔駒羽(こまばね)の七之助
『鬼平犯科帳』文庫巻9の[白い粉]で、本郷の湯島天満宮・門前の料理屋〔丸竹〕の2階座敷で相談している3人の盗賊の首領たちの1人。
ほかの2人は、
〔花輪(はなわ)〕の万蔵---盗めのテリトリーは、〔駒羽(こまばね)〕の七之助と同じで、武州・上州から信州へかけて。
(参照: 〔花輪〕の万蔵の項)
〔霰(あられ)〕の小助。「江戸の他では盗めはしねえ」が自慢。
(参照: 〔霰〕の小助の項)
首領たちとはいえ、組織(しくみ)はいずれも小規模---と、小助のところで書いておいた。
(参照: 〔霰〕の小助の項)
年齢・容姿:35歳。容姿の記述はない。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかこうり)駒羽根村(現・茨城県猿島郡総和町駒羽根)。
探索の発端:半年前に〔五鉄〕の三次郎が寄越した料理人・勘助(31歳)がつくる料理の味付に乱れがあることに、鬼平が気づき、ひそかに勘助を見張らせたところ、湯島の〔丸竹〕へ連れ込まれたことから、警戒がはじまり、料理はすべて鼠に与えられた。
勘助は博打にふたたび手をだしてい、博打場でから借金を重ねており、女房おたみを人質にとられ、その代償として鬼平の食べ物に毒を盛ることを強要されていた。
結末:勘助を絞殺して証拠の隠滅をはかった〔霰〕の小助一味は、鬼平に斬り殺された。
〔丸竹〕にいた〔駒羽〕の七助も〔花輪〕の万蔵も捕縛。
勘助は遠島。
つぶやき:池波さんは(こまばね)と濁らせているが、「駒羽根」は江戸時代から(こまはね)と濁らない。
悪事が博打の借金からはじまる例は、この篇だけにとどまらない。
火盗改メの同心で博打に手を染めるものもいる。
「飲む、打つ、買う」はいつの時代でも、男を誘っているのだ。
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コメント
駒羽の七之助、花輪の万造、霰の小助三人共今までは急ぎ働きの小規模な盗人だったかもしれませんが、今回のかどわかし程人の弱みに付け込んだ卑怯な犯罪はないと思います。
「鬼平犯科帳」の中には子供のかどわかしもありますが、女房のかどわかしは「ふたり五郎蔵」とこの2編だけだったように思います。
ふたり五郎蔵の女房おみよは二度と帰ってはきませんでしたが、勘助の女房おたみは「わたしゆえにしてのけたことゆえ・・・いつまでも
待ってます」
勘助が女房の為に主人である平蔵を裏切った
のは、町人だったからできたことなのでしょうか。
もしこれが武士だったら、たとえ女房の為でも主君を裏切れるかなと考えてしまいました。
総て武家諸法度により、主君への忠誠を第一にした武士の世界にあっては、悲劇が悲劇を生んだのでは。
投稿: みやこのお豊 | 2005.05.13 22:48
>みやこのお豊さん
「武家諸法度」は、徳川時代も年を経るごとに、繁文塾礼になっていっています。
しかし、基本は儒教ですから、どうしても、忠、孝、節、仁などが優先されますね。
武士といっても、戦国時代と徳川時代ではその精神的な規範がいくらか異なりましょう。
ぼくは、武士のよりどころは、処世の美学だとおもいます。
最近読んだ乙川優三郎さんの[生きる](文春文庫)はすごかったなあ。
投稿: ちゅうすけ | 2005.05.14 10:57