初代〔狐火(きつねび)〕の勇五郎
[6-4 狐火]は、寛政3年(1791)夏の事件である。
ついでだから、この年に起きた事件を列記しておく。
[6-1 礼金二百両] 1月
[6-2 猫じゃらしの女] 1月~2月
[6-3 剣客] 春
[2-3 女掏摸お富] 夏の陽ざし
[6-4 狐火] 夏
[6-6 盗賊人相書] 盛夏
[2-2 谷中・いろは茶屋]晩夏
[6-5 大川の隠居] 初秋
[6-7 のっそり医者] 初秋
[2-4 妖盗葵小僧] 初秋から翌年
[7-1 雨乞い庄右衛門] 秋
[2-5 密(いぬ)偵] 初冬(12月)
こうしてみると、文庫巻6には、連載延長のための歳月補足の創作篇を盛り込んだとはとうていおもえない秀作が多い---[大川の隠居]をはじめとして、[猫じゃらしの女]しかり、[狐火]しかり。[のっそり医者]もいい。
しかも、[狐火]は、密偵・おまさの女としての過去と、その情念を再燃させるおまけまでついている。
それはそれとして、あれこれ検証してみる。
まず、初代〔狐火(きつねび)〕の勇五郎は、4年前に死んだことになっている。65、6歳。
4年前といえば天明7年(1787)で、長谷川平蔵はこの年の秋、9月19日に冬場の火盗改メ・助役(すけやく)を命じられた。
本役は、堀帯刀秀隆である。
翌年春に、助役を解かれた。
その年---すなわち天明8年(1788)10月2日に火盗改メ本役を命じられる。
その2,3日後に、おまさが出頭してきて、いま働いている〔乙畑(おつばた)〕の源八一味を訴人する。この時、おまさは30歳を越えた([4-4 血闘])---とあるから、31歳か。
[狐火]で再会した又太郎(2代目〔狐火〕は32歳。
1歳上おまさ は33歳---勘定が1歳あわない。このとき33歳なら、天明8年は30歳であらねば。
又太郎の母親は、初代〔狐火〕の勇五郎の妾だったが、小田原に住んでいた時に本妻が死んだので、京都へ呼ばれて、又太郎と本妻の子・文吉を分け隔てなく育てたが、38歳で病死。
2代目〔〔狐火(きつねび)〕を次ぎ、京都で仏具屋を隠れ蓑にしていた又太郎は、父親・勇五郎の体質よりも、母親・お吉のほうを受け継いでいたのだろう、流行やまいにかかり、32歳であっけなく逝ってしまう。
もちろん、2代目・勇五郎が病歿しないと、おまさが鬼平の許へ帰ってくる口実がつかない。幾人もの首領のしたで働いたおまさは、100人以上の盗人の顔をおぼえており、発見や逮捕のきっかけをつくるとともに、物語に深みと現実みをあたえているのだから。
彦十にいわせると、おまさと又太郎は、
「男と女の躰のぐあいなんてものはきまりきっているようでいて、そうでねえ。たがいの肌と躰が。ぴったりと、こころくまで合うんてことは百に一つさ。まあちゃん。お前と二代目は、その百に一つだったんだねえ」
いや、初代〔狐火〕の勇五郎を紹介するつもりではじめた。
この首領は、懐の深い仁で、銕三郎と、 家督前の名で呼ばれていた幕臣の長男とも親しくし、下ごころなしに小遣いを与えたりするだけの度量があった。
可愛がっていた妾のお静が、銕三郎とできてしまった時も、
「お前さんは武家のお子だ。人のもちものを盗(と)っちゃあいけねえ」
と諭しただけですませた。
勇五郎は45,6歳の男ざかり、よくそれだけで済ませたものだ。
平蔵は、いまでも、その時のことを思い出すと冷や汗をかくという。
いくら、若い時の失敗は、恥のうちに入らない---といわれても、ね。
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