カテゴリー「001長谷川平蔵 」の記事

2012.07.05

口合人捜(さが)し(5)

「ご府内線引きの内側で口合をやっている者の評判は、まもなく密偵たちが拾ってこよう」
平蔵(へいぞう 50歳)のつぶやきに五郎蔵(ごろぞう 58歳)がうなずき、
「東海道すじの口合の衆のところへは、〔砂井すない)〕の鶴吉(つるきち 29歳)にまわってもらうつもりだが、その前に〔佐沼さぬま)〕の爺(と)っつあんに口合人の行儀作法をざっと仕こんでもらいたい」
鶴吉は、五郎蔵にみっちりしこまれて、一人前の男になったから、こういうときに役立つ」
平蔵が眼をほそめて保障した。

「行儀だの、作法だのといいましても、人間、着せられた恩を忘れねえ----ってことに尽きまさあ。それさえ忘れなきゃあ、信用がつきます」
71歳の久七(きゅうしち)の説経じみていない詠嘆には、さすがに重みがあった。

そこへ同心・小柳安五郎(やすごろう 33歳)が数通の書簡の下書きをもってはいってき、検閲をねがった。
2は掛川藩と吉田藩の城代へのもので、城下の口合人捜(さが)しの了解を願った文書。
もう3通は馬入(ばにゅう)の勘兵衛(かんべえ 67歳)、小田原の〔宮前(みやまえ)の小右衛門(こえもん 31歳)、島田宿の〔(おおぎ)〕の千太郎(せんたろう 37歳)へあてたものであった。

小右衛門、千太郎はそれぞれ徳右衛門万次郎を襲名していたが、まだ生きて養生していたのでそちらに敬意をはらったのである。

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2012.07.04

口合人捜(さが)し(4)

「実ぁな、爺(と)っつぁん。おまさを拐(かどわか)していったのは浪人者だということまではわかっておるのだが、裏にいる黒幕がわからない。
それで口合人という口合人に、こっそり、最近、上方から浪人の口合を頼まれたことはないか、探ってもらうわけにはいくまいか。爺っつぁんのところにひとり、口がかかるのをの待っているおんな賊がいるって餌つきで----」
平蔵(へいぞう 50歳)の案に興味をおぼえたらしい〔佐沼さぬま)〕の久七(きゅうしち 71歳)がのりだしてき、
「その、おんな賊たぁ――?」

「爺っつぁんの横におるおいと 38歳)は、所帯をもとうと約束していた男を〔鳥浜とりはま)〕の岩吉(いわきち)が雇った浪人者に始末させた。おのれがやっている畜生働きを批判されたからだ。非は岩吉にあった。おの傷は癒えてはおるまい。この件で働いてまぎらせてもらうつもりだ」

「ありがたいことです。それではあっしは〔寺尾てらお)〕の治兵衛(じへえ)どんあたりから声をかけてみやしょう」
久七の顔をまじまじと瞶(みつめ) た平蔵が、
「いまのご府内で顔見知りの口合人は、久七爺(と)っつぁん独りになってしまったっていわなかったかな?」

「えっ! そういたしやすと治兵衛どんも処刑を……?」
「いや。処刑ではない。気が触れた旗本に白昼、斬られた」
「なんて間の悪い……」
久七の眼が曇った。
(齢を経ると、世事にも耳遠くなると申しますが、治兵衛どんまで届かなくなってしまっているとは……」
「いや。あの件はお町(奉行所)が外聞がわるいともみ消した」

参照】[寺尾の治兵衛]の事件は、聖典『鬼平犯科帳』文庫20[寺尾の治兵衛

「 あと、知っていた口合人は、上州・高碕で張っている〔赤尾(あかお)〕の清兵衛(せべえ)と、浪人・西村虎次郎の口合人をしていた〔塚原(つかはら)の元右衛門(もとえもん)くらいだが、〔塚原〕は処刑されてしまっておる」

久七平蔵の覚えのよさに下をまいた。

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2012.07.03

口合人捜(さが)し(3)

五郎蔵。すまぬが、去年の夏から秋へかけての[炎の色]事件の経緯(すじがき)を、爺(と)っつあんに話してやてくれ」

こころえた〔大滝おおたき)」の〔五郎蔵(ごろそう 58歳)が要領よく、おまさが盗みの道へはいって間もなく〔荒神こうじん)〕の助太郎(すけたろう)お頭にかわいがられたこと。
助太郎お頭は14年前に亡じていること。
遺児のおなつ 26歳)が二代目として乏しい配下をまとめていたが、昨年の〔峰山みねやま)〕の〔初蔵 はつぞう 50代)一派とのあわせ盗(づとめ)にしくじり、両派ともほとんど全員処刑されたが、おだけ、捕縛者の中にいなかった。
もちろん、しくじりね原因はおまさが密偵であることを誰もしらなかったことによるから、もし、捕縛もれの者がいて、その気になればおまさをほうっておきはすまい----。

さすがの五郎蔵も、ここで言葉をきって息を休めた。

眼をとじて黙然と聴いていた平蔵(へいぞう 50歳)が手をあげて五郎蔵をとめ、、
「聴いたとおりてだ。五郎蔵は、おというおんな男の些細な色欲だというのだが、どうだろう、〔佐沼〕の。拐(かどわか)しともなると、これは死罰にもなるほどの罪である。見捨てるわけにはいかない」
「で……あっしになにをしろと」
久七は、もう迷ってはいなかった。

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2012.07.02

口合人捜(さが)し(2)

佐沼さぬま)の爺(と)っつあん。いろいろ事情もあろうが、こんどばかりはわれを助(す)けちゃくれまいか?」
それぞれが座についたところで、平蔵(へいぞう 50歳)が切りだした。

それまで平伏ぎみであった久七( きゅうしち 71歳)がさっと背中を立て、白濁がはじまっている双眼で平蔵を睨むように見返した。
その斬りこむような久七の視線を、笑(え)みをたたえた双眸(ひとみ)で受けながした平蔵は、ゆっくりと湯呑み茶碗をとりあげ、呑むでもなく呑まぬでもない姿勢(なり)で〔大滝おおたき)の五郎蔵(ごろうぞう 57歳) にうなずいた。 

「じつはな、爺(と)っつあん。こんどのことは、おれの女房のおまさの――」
「な、なんだって――。おまささんがどうかしたのか?」
おまさが拐(かどわか)された。誘拐されたのよ」
「か、拐されたって――どこのどいつにだ?」

「まだわかってない。それでもったいなくも、長谷川さまが、探索にのりだしてくださることになった」

久七平蔵を正視し
長谷川さまがそれを先におっしゃってくださっていたら……」
おもわず鼻をすすりあげたのへ、懐から家紋を染めた半栽(はんきれ)の手拭いを出してわたしてやった平蔵が、
「そうか。こだわりなく、助(す)けてくれるか。じつはな、この平蔵、江戸には知っている口会人は爺(と)っつあん独りきりというお寂しいかぎりなのだよ」
 
はっと平蔵を見あげた久七に、うなずいて、
「〔鷹田( たかんだ)〕の平十(へいじゅう)どんのことは、無念であった。われの気くばりがもう一歩先へいっていたら、ああはならなかったものを----」

ちゅうすけ注】痛快篇[殿さま栄五郎]は『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録されている。
年代記を記すと寛政8年(1796)――史実の長谷川平蔵が病没した翌年の事件である。
鬼平ファンの多くが愛しているのは池波小説の江戸――そして鬼平という主人公であろう。
だから『鬼平犯科帳』にスポットされている鬼平史跡をめぐる。

ちゅうすけ とて、余人と変わらない。池波さんが『江戸名所図会』でふくらませた江戸に、ちゅうすけは稚拙なりに彩色という新手でいどんだりした。

参照】[わたし彩(いろ)の『江戸名所図会』]の左枠の最後尾の7篇がそれである。
殿さま栄五郎]は、『犯科帳』で最初に登場する〔鷹田〕の平十が鬱々として家を出、いつの間にか平十は松平伊豆守の下屋敷と上野山内に挟まれた道を、不忍池の方へ下りききっていた。

声をかけたのは〔馬蕗うまぶき)〕の利兵治(りへいじ)であることは、鬼平ファンならみんなしっている。
ちゅうすけの関心はそれではなく、松平伊豆守(三河・吉田藩主)の下屋敷にある。
20歳になろうという藩主の継嗣・音之助(おとのすけ のちの信礼 のぶうや)が側室・清見(きよみ)にここで産ませたのが春之丞(はるのじょう )で、のちに信明(のぶあきら)としてこのブログの平蔵にからんでくるところに、えにしを感ずるのである。

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不忍池 『江戸名所図会』) 塗り絵師:ちゅうすけ)

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2012.07.01

口合人捜(さが)し

「〔佐沼さぬま)〕の久七(きゅうしち 71歳)爺(と)っつあんをお連れしましてございます」
大滝おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう  57歳)は、町駕篭から久七の手をそえておろしている女密偵・〔金古(かねこ)〕のお糸(いと 34歳)に目くばせしてから、書院の平蔵(へいぞう 50歳)に声をかけた。
「おう。苦労をかけた。久七爺っつあんもかまうことはないからあがってくれ」
部屋から声がかえってきた。

(と)っつあん――聖典『鬼平犯科帳』文庫巻24[女密偵女賊]に顔を見せた口合人である。

も、そう。
女賊だったお糸が通り名を〔金古〕名のっていたことはこ密偵になってからしれた。
上州・群馬郡(ぐんまこおり)金古村の貧しい馬飼いの家の次女にうまれただった。

火盗改メの役宅の、しかも 白梅が満開のお頭の奥庭へ通されただけでも恐縮している久七だったが、さらに平蔵の居間へあがり、奥方さまからじきじきに茶をふるまわれ、ますますちぢこまっているのに、
「殿かいつもいつもお世話になっておりますのに、たいしたおもてなしもできませず、困惑のきわみでございます。どうぞ、ゆっくりなさってくださいまし」
あいさつを受けたものだから頭がぼおーとして、湯呑み茶碗を落とす不始末をしでかした。

すぐに脇の五郎蔵がふところから手拭いで始末し、おがそれを井戸端で清めおわるまで待った平蔵が、
「本来なればわれのほうから渋谷の宝泉寺門前まででむき、頼むべきなのだが、われも年来のいそがしさが祟(たた)ったかして、息切れがひどくての」
「それはいけません」
「横着しても五郎蔵とお糸を迎えにさしむけた次第……」
「もったいないことでございます」

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(渋谷  宝泉寺・右下、氷川神社 『江戸名所図会』(部分)
塗り絵師:ちゅうすけ) 

                                                                  盗賊の世界でいう口合人とは、独りばたらき(フリー)の盗賊をヽ諸方の〔お頭〕へ周旋し、周旋料をとる。
独りばらきの盗賊が、
「ひとつも、どこぞのお頭へ口をかけておくんなさい」
と、口合人にたのむこともあれば、盗賊団のお頭(首領)が、
「どうも手が足りねえから、これこれの役に立つ者を世話してもらいたい」
依頼をすることもある。
ときには、双方から周旋料をもらうこともあるのだ。
おまさも、かつて、独りばたらきの女賊であったとき、佐沼の久七の世話になったことが、何度かある。
いまの久七は、渋谷の宝泉寺という寺の門前で、小さな花屋をやっている。
七十歳になった久七は盗みの世界から一応は足を洗ったかたちだが、それでも年に何度かは口合人の稼業をしているようだ。([女密偵女賊〕 p10 新装版p  )

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2012.06.16

平蔵、初仕事(15)

〔三文茶亭〕が戸をたてまわす暮れ六ッまでまだ間があるどころか、平蔵(へいぞう 42歳)と松造(よしぞう 37歳)は昼食も摂っていなかった。

「〔五鉄〕へでも寄り、軽く昼餉(ひるげ)をすませてから屋敷へ戻ろうか」
平蔵の提案でそうすることにした。
飯どきには早かったので、階下の入れこみはほとんど空席であったが、平蔵の旅姿に三次郎(さんじろう 38歳)が気をきかせて、2階に席をつくった。

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(〔五鉄〕入れこみパース 知久秀章・画)

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(〔五鉄〕2階の間取り図 同上)


幕臣はそれと察しがつく衣装( みなり)のときは、市井の〔五鉄〕のような店での飲食はひかえるようにいわれていた。
役人としての威厳を保つためであったろう。

「しかし、殿。〔大調(おおづき)屋〕の飯炊き婆ァさんのお(たん 50歳すぎ)がことを、なかったことにしてしまって大丈夫ですございますか?」
「大丈夫かって、なにがだ?」

「泥棒を引き入れたことでございますよ」
(よし)。そなた、夢をみているのではないか。おは、恋しい男に人目をしのんで会いにでただけのことだ」
「しかし、女(め)たらしの友蔵(ともぞう 30歳がらみ)の誘いにのって……」

「おは、友蔵のことをめたらしと知っていたというのか?」
「それはなかったでしょう――」

「孫が7人もおる50の後家が、息子ほどの齢の友蔵にわれを忘れるほどに入れあげてしまうというのは、友蔵のなにがよほどの逸ぶつか、技に長(た)けているのであろうよ。できることなら教わりたいほどのことだ」
「殿!」

「冗談だがの。ところで、おは、友蔵が〔熊倉(くまくら)〕の惣十(そうじゅう)一味の盗人としって身をまかせていたとおもうか?」
「それはないでしょう」
友蔵もおのれが盗人であることは洩らしてはいまい。そうだとすると、おは、自分のやっていることが盗賊方を利しているとは寸毫もおもっていまい。そんな老婆やその一族にひどい罰をあたえていいものか――」

〔大調屋〕でみんなから飯炊きおんなとほとんど無視同然のあつかいをされていたのであろう。
そこへ、まだ汁っ気十分とおだててくれ、失神するほどにもてあそんでくれる男があらわれた。
その気にならないほうがおかしい。

しゃも鍋が煮立っていた。

「昼間っから、こんなに精のつくものを摂っていいのだろうか」
うっかり松蔵がつぶやいたのへ、平蔵がかぶせた。
「お(くめ)は春がくると幾つになるかの?」
「48歳でございます」
「おといくつ違うかの?」
「あっ!」

「おんなの業よ。おには幸い、といういい相手がいるから、女たらしの餌食にならないですんでおる。おんなの性は、つねに崖っぷちにある」

平蔵が鍋に箸をいれた。
松造もつづいた。

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2012.06.15

平蔵、初仕事(14)

帰りの脚はみんな速かった。
浦和を六ッ半(午前7時)には発 ち、板橋までの3里半ちょっとを1刻半でとばした。

白山神社下の鶏声が 窪で平蔵(へいぞう 42歳)が、
「おのおの方とはここで別れよう。往路に祈願してさっそくにお聴きとどけいただいたので、お礼を奉納しておきたい」

それでは、われわれも――という次席与力・小島与大夫(よだゆう 39歳)に、このたびは組頭・長谷川平蔵の初仕事としての祈願であったので、
「お礼も平蔵独りでいたさねば、神さまへ失礼にあたろう」
理屈にもならないことをいい、白山前で別れた。

参詣を終え、松造(よしぞう 37歳)とだんご坂へむかいながら、
「〔三文茶亭〕でひと休みしがてら、お(つう 20歳)のご新造ぶりでもおがませてもらおうか」
「おんなは嫁にいっても実家をわすれないと申しますから、おもいだしてくれる実家づくりをしてやらないと――
と、お(くめ 47歳)と話しあっております」
「よいこころがけじゃ」


が汲んだ茶をうまそうに飲んでいる平蔵のこんどの手柄を、松造がおに、
「江戸を発ったときには手がかりひとつなかったのに、ひと晩あけた翌日には、賊たちを手びきをした者から押しこんだ首領の名前までさぐりだしておられたんだから、火盗改メ 組のお役人衆も密偵たちも舌をまいてござった」
長谷川さまにかなう賊がいてたまるものですか――」
平蔵の手なみの鮮やかさをわがことのように喜ぶ。

「これ松蔵。そなたは長谷川平蔵のイの一番目の配下であるぞ。なれば、このたびの事件が師走(しはす)の中旬におきたと耳にしたときに、変だと気づかないではならぬ」
「申しわけございませんでした」

「いやな、大節季の集金があつまるまで待てなかったということは、段取りのお粗末な首領の一味であること、手伝った者たちも歳が越せないほどつまっており、餅代ていどで手をかしたこと、それには仕掛けのいらない店を狙うこと、浦和の辻々をよく知っている土地育ちの者が手を貸していること、当夜は旅籠に泊まらないで辻堂あたりで夜明けを待ったこと――ぐらいはすぐおさえられる」
「はい」

「〔大調(おおづき)屋の亭主の卯右衛門をなんとみた?」
「大店(おおだな)の当主みたいにおっとりしておりましたが……」
「ああいうのを、売り店と、唐様(からよう)に書く、三代目――というのだな」
長谷川さまのおじさま。それ、どういう意味ですか?」

「功なった大店(おおだな)の坊(ぼん)に生まれていても、三代目ともなると商売のことより芸事上手で、手習いなんかも筆跡聖人ほどに達筆だが、その字が役に立つのは、店売りますと 書くときぐらいということ」

(よし)とっつぁんの悪筆で、〔三文茶亭〕売りますと書いても、誰もちゃんと読めないから売れっこない」
が横から口をはさんだ。

「女房の、茶々がはいれば、亭主よし――という川柳もある」
平蔵がまぜっかえした。
別の意味にとったおが、顔を赤らめた。
この夫婦には、いい正月がきそうだ。

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2012.06.14

平蔵、初仕事(13)

長谷川さま。申しわけない」
宴を始める前に、〔白幡(しらはた)〕の長兵衛(ちょうべえ 50歳)が謝った。

上座にしつらえられた平蔵(へいぞう 42歳)、松造(よしぞう 36歳) の席から折れて、長兵衛、お(こう  20歳)の膳がならべられていた。

「元締。お手をおあげください。それでは宴が始まりませぬ」
平蔵がとりなしたが、
「いや。面目次第もございません。うちの者たちが盗みの衆をかばったりはしておらんと信じておりやす」
ますます、大きな躰をちぢめた。

「お身内の衆としても、漠然とした話なので、おもいだせなかったのであろうよ」
「おのほうはいかがでしたか? 朝から身内のものたちの聞きこみにかかりっきりで、おとはまだ口をきいていなかった不ざまで――」

「われのほうも、おさんに結果を告げておらなんだので、あわせてお聴きねがおう」


白幡村で養生しているのは、20年ほどまえにちょっとしたかかわりがあった秀五郎(ひでごろう)という70歳の老人だが、この老人の知りあいで針ヶ谷村生まれの友蔵というのが、女(め)たらしだと告げてくれた。

それで配下を針ヶ谷村へやって索(しら)べさせたら、〔大調(おおづき)屋〕に盗人が押しこんだころに村へ戻ってぶらぶらしていたことがわかったが、あの晩から姿を消してしまってい、せっかくの手がかりりが途切れてしまった。

長谷川さま。そのおんなたらしは、針ヶ谷村とおっしゃいましたか?」
「さよう」
「齢恰好は――?」
「30がらみ……」
「ちょっとお待ちを。ひょっすると、その友蔵とやらの幼ななじみだったのが、うちの身内にいるかもしれません。お資作(すけさく)を呼んでこい」

はたしして、30がらみの小頭・資作は幼な友だちで、友蔵の名を告げられると、
「あれは人間のくずでございますよ。おんなをたぶらかしては捨てて食ってる奴で、男の風上にもおけやせん」
太い眉を寄せ、吐いてすてた。

「たしかに非道な男だが、誰の下で働いているといってなかったかな?」
「2ヶ月ほど前に八雲神社の祭礼で会ったときには、いまは上州の、あんまりしられてない村――ええと、鹿でもない、猪でもない――そうだ、[熊倉(くまくら)〕の惣十(そう じゅう) という首領の下で重宝されていると、自慢してやした」

ちゅうすけ注】〔熊倉〕の惣十は、『鬼平犯科帳』では、さほど主要な首領としては描かれてはいない。おまさが引きこみとしてほんのしばらく勤めたぐらいで、そのあと、ひとり働きに近い友蔵が性技を活かした引きこみもどきをおこなったのであろう。

熊倉〕一味が火盗改メに捕縛された記録もない。

ということは、平蔵が火盗改メ・助役(すけやく)になっての最初の仕事は、〔大調屋〕へはいった盗賊の首領の名前と侵入の手口を明らかにしただけで終わったということである。

が、口約束どおり、3日のうちにそれをやってのけただけで、先手・弓の2番手の組下たちは畏敬してしまい、その後の働きぶりがまるで異なってきた。

秀五郎が寄こした煙草入れには、小判が50枚(800枚)はいっていたが、平蔵は幕府には報告せず、戸袋へ投げこんだままにしておき、天明8年10月2日に本役に就いてから密偵になった〔小房こぶさ)〕の粂八(くめはち)に船宿〔鶴や〕の運営をまがたとき、
「密偵でお金で困っている者がいたら用立ててやれ」

毎年の年賀に、粂八は残額をこっそり報告していたが、そのたびに平蔵は、
「あれは、そなたに託したのだ。答申には及ばぬ」

寛政7年(1795)の年賀では、残金23両2分(376万円)と報告したが、平蔵側の記録にはのこっていない。

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2012.06.13

平蔵、初仕事(12)

「遅くなりました」
戻ってきた組を代表し、与力・小島与大夫(よだゆう 38歳)が謝った。

「なに、ぎりぎりまで働いたということは、それだけの実りがあったからであろう。苦労をかけた。さ、聴かせてくれ」
平蔵(へいぞう 42歳)の大仰な迎えぶりに、かえって恐縮しながら、
友蔵(ともぞう 30がらみ)を見た者は見つかりましたが、本人はもぬけのからでした」
生家の近所の者たちの証言Iこ、この2ヶ月ばかり、針ヶ谷村の生まれた家のまわりをぶらぶらしていたが、3ヶ日まえから姿を消したという。

平蔵が目で、昨日、今日と旅籠まわりをした〔南百(なんど)〕の駒蔵(こまぞう 36歳)と〔越生(おごせ〕の万吉(まんきち 23歳)呼んだ。

2人の密偵が前でると、
「事件のあった夜、50過ぎの婆さんと、30すぎのいい男が夜中に部屋をとった旅籠が、仲町のまわりにあったろう?」
万吉がうなずいた。

鈴木同心といっしょに行き、その前にも部屋を使っているはずだから、そこのところを調べてくるように――」

「みなも、もう、わかったとおもうが……」
苦笑しながら種あかしをした。

針ヶ谷〕の友蔵はおんなだましの泥棒なのである。
盗賊団がこれと目をつけた家の中で、欲求不満のおんなをみつけ、手だてを構じて近づき、躰のわたりをつける。
おんなが離れられなくなったころあいに、外泊をもちかける。
おんなはみんなが寝静まった時刻にそっと戸締まりをはずして抜け出す。
そのあと、賊たちははずれされたままの出入り口から侵入し、盗(つとめ)をおこなう。
引きあげるときは、ことさらにその戸をくく゜り抜ける。

一同が合点したあとで、高井同心が問うた。
「御手洗(みたらし)にけえろ――は、なんと解釈いたしましょう?」
「おお、それか――[御手洗にけえろ]は手代の聴きまちがいであろうよ。おんなだましのことを、あの者たちの隠語で、女(め)誑(たら)し、とも呼ぶ。゜[めたらしに消えろ]といっておきますとでも、首領に告げたのではないか」
同心が膝を打った。

「侵入の手口はわかりました。しかし、盗賊一味の正体がまだはっきりしておりません」
小島次席与力が憮然とした表情でつぶやいた。

「おう、そのこと、そのこと。夕餉(ゆうげ)がすんだら、みなもかんがえてくれ。われは旧友と呑む約束があるので、ちょっと失礼する」
松造(よしぞうに 36歳)に合図して席を立った。

残された一同は、
「さすがはお頭だが、いったい、と゜こで〔針ヶ谷〕の友蔵を掘りだしてこられたのであろう?」
「昨夕もだが、今朝、共にでかけた若い美女は何者?」
「今夕の行く先は? 尾行(つ)けていって、発覚(ばれ)たらことだしなあ」
口々にいいあっていた。

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2012.06.12

平蔵、初仕事(11)

使用人たちが寝泊りしている2階の3間つづきの表に面した手代たちの部屋である。

番頭の菊三(きくぞう 51歳)通いで夜は近くの自宅なので、尋問からはずされていた。

留め方同心・高井半蔵(はんぞう 39歳)の訊きとりをうけているのは、2人の手代・又八郎(またはちろう 22歳)と喜代治(19歳)で、3人の小僧は、隣の窓のない中の間で待たされていた。

小僧たちには密偵・〔南百(なんど)〕の駒蔵(こまぞう 36歳)がつき添い、私語を禁じ、同じ問いかけをされるからよく聴き、述べる言葉をきちんとかんがえておくようにいいきかていた。


高井次席の問いの1:賊に襲われるまでの1ヶ月のあいだに卯右衛門夫婦に代わった挙動はなかったか?
又八郎「変わったとは――?]
:食事のすすみぐあいとか……
「食事はわたしども使用人とは別です」
:挙措ふるまいとか訪ねてきたものとか……
「旦那さまのことを観ているわけではない――」
:たとえば店の金を使ったとか……
「金庫の中のことは手前どもにわからない仕組みになっている」

高井の問いの2:同じく1ヶ月のあいだに不審な客はなかったか? たとえば、ふだん買っている銘柄を変えたとか、量が増えたとか、初めての客が何回も訪れたとか――?
「懐が暖かいときに量をふやすのはいつものことで、誰れそれとはいえない」
「蔵元を変えるのは、こちらがすすめたときだ」

高井の問いの3:この店の掛け売りの〆で当月末、翌月末、節季ごとの割合は? とりわけ、この大晦日払いになっていた総額はいかほどか?
「掛け売りの上限と〆日はわたしたち手代で決めていいが、それぞれの割合は番頭でなければわからない。この大晦日払いの額も番頭しか知らない」

高井の問いの4:出入り口は幾つあるのか? その出入り口に不審の細工跡はなかったか?
喜「表と裏庭に一つずつ」
又「細工の有無はお役人のそちらさまがお調べになった」

高井の問いの5:店主夫妻の寝所に店の者が集められたということだが、全員か? 洩れた者はいないか?
「…………」
「お丹(たん)婆さん がいなかったようにおもう」
:お丹――?
「飯炊きの老婆」
「でも、朝はちゃんと飯を炊いてた」

高井の問いの7:賊たちは揃いの盗み支度であったか? 各人がそれぞれであったか? それぞれであったのでれば、おぼえているその装束は?
「灰色の頭巾はそろいで、装束はそれそぞれだが、黒っぽい着物と裾しぼりの袴が野良着のように見えた」
「裏返しに着ていたようだ。裏がわに盲縞の柄が見えたのがいた」

高井の問いの9:賊たちの脚許は?
「紺足袋に草鞋(わらじ)」
「それも、真新しい草鞋」

高井の問いの10:賊たちが話した言葉や脅した言葉になまりはかなかったか?
「気がつかなかった」
「帰りぎわに首領株の男に話しかけた男の言葉に秩父なまりがあったような気がした」
:なんと話しかけた?
「御手洗(みたらし)にけえろ」

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