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2012.03.17

平蔵、先手組頭に栄進

天明6年(1786)1月から7月に飛ぶのは本意ではない。

(へいぞう 41歳)にかかわりがある人事だけでも、『徳川実紀』は正月23日の項に、

このほど火災はげしければ先手頭前田半右衛門玄昌に昼夜府内を巡れ見て、放火の賊を捕ふぺしと命ぜらる。

この記述が平蔵とどうかかわるかというと、前田半右衛門玄昌(はるまさ 61歳=天明6年没 1900石)はこの半年後に病死し、後任(先手・弓の2番手の組頭)に平蔵が補されたのである。
そのことは、ずっと前に書いた記録ですましてしまいたい。

参照】2007年9月26日[『よしの冊子』] (25
2010年5月7日[ちゅうすけのひとり言] (54

前田玄昌の後任者選びの条件はおのずから決まってくる。
先手・弓の2番手は、それまでの50年間で火盗改メとしての経験が先手34組の中でもっとも豊富な組であった。
火盗改メに任ずるにふさわしい組頭ということになる。

そのことで平蔵を推したのは、西丸・若年寄の井伊兵部大輔直朗(なおあきら 40歳 越後・与板藩主 2万石)であったろうことはたやすく推察がつく。

参照】2011年3月4日~[与板への旅] () () () () () () ()  (9)  ((10))  (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19


与板での〔馬越(まごし)〕の仁兵衛(にへえ 30すぎ)追い払い事件のほかにも、近いところでは信州・松代藩の一揆がらみの奇妙な盗難事件にも口をきいている。

参照】2012年1月20日~[松代への旅] () () () () () () () () () (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19) (20) (21) (22) (23) (24) 

もちろん、西丸の若年寄が本丸の先手組頭の選抜にじかには口出しはかなわない。
しかし、西丸の徒頭が本丸の先手頭へ栄転するようにとの根回しはできる。

天明6年の本丸の若年寄はつぎのお歴々であった。
(先任順 年齢はいずれも天明6年現在)

酒井石見守忠休(ただよし 73歳 出羽・松山藩主 2万5000石)
 宝11年(1761)から25年在任中

酒井飛騨守忠香(ただか 72歳 越前・敦賀藩主 1万石) 
 明和2年(1765)から21年在任中

加納遠江守久堅(ひさかた 66歳 伊勢・八田藩主 1万石)
 明和4年(1767)から19年在任中

太田備中守資愛(すけよし 48歳 遠江・掛川藩主 5万石)
 天明元年(1781)から6年在任中

安藤対馬守信明(のぶあき  陸奥・磐城藩主 5万石)
 天明4年(1784)から3年在任中

井伊直朗とは、年齢が離れすぎていた。
しいて話しやすいといえばいっとき西丸の若年寄を勤めたこともある二老の酒井忠香であった。

田沼意次の名は伏せ、明和9年(1772)の目黒・行人坂の大火の放火犯を挙げた宣雄(のぶお 享年55歳)の嫡男であるとだけ耳へ入れた。
あの火事で藩邸を焼かれていた老藩主たちは、たちまち了解した。

さらに宣雄は、鞠山藩主の一族で京都の祇園社の執行にでた水谷家ゆかりのおなごから生まれているとつけ加えた。

参照】2008年12月4日[水谷(みずのや)家] (

実紀』は、7月26日の項に、

西城徒頭長谷川平蔵宣以先手頭となる。

あっさりと書きとめているだけである。


本稿の冒頭に、

1月から7月に飛ぶのは本意ではない---

と告白した。
じっさい、昨年末までは、もっとじっくり進めるつもりでいた。
ところが、1月に事態が急変したのである。
体調が不良なので診察をうけてみたら、末期といえる重態と告げられた。

パソコンが打てなくなるのにあと1ヶ月もかからないらしい。
それでは、平蔵をいそいで火盗改メに就けなければと決心せざるをえなかった。

終えるまでにページ・ビューを1,000,000にはもっていきたい。
鬼平関連のブログ、ホームページでは世界初の記録となる。
お陰さまで、あと20日もあれば達成できそうだ。


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(越前・鞠山藩主・酒井飛騨守忠香の個人譜)

  

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コメント

そうですか。「火災はげし」くて、「昼夜府内を巡れ見て、放火の賊を捕ふぺしと命ぜら」れた仁が病死したのなら、「目黒・行人坂の大火の放火犯を挙げた宣雄の嫡男」の平蔵が後任に選ばれるのは、当然ですね。
 お体のこと、1月にうかがってから、今日まで、信じられない想いでいます。大事にして、いただきたいと思います。

投稿: 安池 | 2012.03.17 20:45

>安池さん
レスが遅れて申し訳ありませんでした。
5日前に退院し、いまは自宅ケアです。
退院といっても、病院でやることはすべてやつたから、あとは自宅で様子をみるということです。
幸い、家人が寝台・パソコン机・書棚つきの個室を新規にととのえてくれたので、そこでブログをつづけています。
家に戻ると、史料が身近にあるので便利ですね。
ただ、チューブでの栄養補給なもので、つねにキャリーとともに動かなければならないので移動が大ごとです。
それと、痛みどめの薬品のせいで、頭がぼんやりしていて、なかなか文章にならないのと、過去コンテンツへのリンクがはかばかしくいきません。
ま、ブログがつづけられるたけいいとしないと。

投稿: ちゅうすけ | 2012.03.20 12:37

「退院 」と伺うと、やはりうれしい気持がします。お体の様子を気にしながらも、ブログの更新を期待しています。

投稿: 安池 | 2012.03.20 17:25

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