与板への旅(11)
「藤太郎どの。さきほど住職どの話しあったこと、それからそこの稲荷町の茶店の爺ィやiに訊いたことは、誰にも洩らしてはならぬ。母者にも、だ」
「はい、洩らしません」
平蔵(へいぞう 36歳)と藤太郎(とうたろう 13歳)は、塩ノ入(いり)峠への辻まで戻ってきていた。
脇差から小柄(こづか)を抜き、藤太郎に柄(つか)をもたせ、
「武士は、約定をたがえないというとき、小柄で太刀の刀身を打つ」
脇差の鯉口をきり、刀身を示した。
「さ、打て」
この作法に、藤太郎は興奮した。
「長谷川さまは、私を武士あつかいなさってくださいますか?」
「ご先祖は備前の武将であったと聞いておる。さすれば、藤太郎どのにもその血が伝わっておるはず---」
「長谷川さまは、剣術はお強いのでございますか?」
「江戸ではもっとも達人と尊敬をしていた師から免許をさずかったが、試してみたことはない」
「尊敬します」
稲荷町の茶店の爺ィやにすこしばかり用があるからといいふくめて藤太郎を先に帰した。
その後ろ姿に目をやり、
(純朴に育った13歳だな。引きかえ、屋敷の小間使い頭の佐和(さわ 32歳)に13歳で初穂をつまれた菅沼藤次郎はやはり都会の子だな)
【参照】2010721~[藤次郎の初体験] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
辰蔵の初体験がいつになるかは、いまはかんがえないことにした。
「先刻聞いた、{阿弥陀(あみだ)屋」の亭主を呼び出してもらいたい。江戸の火盗改メだと告げてくれ」
爺ィやとしか聞かされていなかったので、名前で呼びかけられなかった。
平蔵とすると、めったにない手ぬかりといえた。
人は、名前を呼ばれることでこころをひらく。
火盗改メといわれ、爺ィやは目を丸くし、飛び出していった。
「{阿弥陀(あみだ)屋」の主(あるじ)でございますが---」
あらわれたのは、50すぎのふくよかなおんなであった。
「女将どのか。江戸の火盗改メの手伝いをしている長谷川と申す」
「はい---」
「馬越村の仁兵衛がなじみであろう?」
「それがどうか---?」
「きょうより先、仁兵衛は与板領に入り次第、たちまち捕縛される。女将の店に迷惑がかかっては気の毒ゆえ、前もって告げておく」
「------」
おんなは、容易には信じなかった。
「いまごろ、光源寺の老住職が仁兵衛のところへ走っているであろうよ」
このひと言で女将の顔色が変わった。
【参照】201135~[与市へのたび] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
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