与板への旅(12)
八ッ(午後3時)に部屋へきたのは、8人だった。
佐千(さち 34歳)と息子・藤太郎(とうたろう 13歳)と妹・紀和(きわ 10歳)。
表の手代と小僧が一人ずつに、奥の女中が2人と下僕。
おもったより人数が少ないのは、狭い陣屋町なので通いの者が多いことと、河岸場の店や質屋、醸造場のほうに分散して寝泊りしているからであった。
「離れに臥(ふせ)っております父は、躰の自由がままなりませんので---」
佐千がいいわけをした。
それぞれの話をあわせると、賊は4人、裏山側の築山の庭を抜け、雨戸を1枚はずして侵入した、
女中が気がついたときには抜き身をつきつけられており、声も出なかったという。
こういうときのために、おとりの金庫に用意してあった32両(512万円)を手代がわたすと、みんなを縛りあげて去った。
(32両を5人でわけたら1人5両(80万円)ずつで、首領が12両(192万円)。江戸までの泊まり賃と揚げ代にはお釣がこよう)
平蔵(へいぞう 36歳)は腹の中で暗算した。
「おとりの金子をあらかじめ用意しておくという工夫は---?」
返事はなかったが、夕餉(ゆうげ)の席で、女中を引き下がらせたあと、佐千が打ちあけた。
「工夫をおもいついたのは私です。信濃川の氾濫、;冷害のほどこし米、藩からのご用金をいいつかったとおもえば、あれくらいのものですめば「御(おん)」の字でございます。使用人たちには聞かされませんが---」
「たいした肝の大さで---江戸だと、裏長屋の一家の3年分の費えです」
同席していた松造(よしぞう 30歳)が感嘆した。
「ここでは、5年はもちます」
佐千は、こともなけげ応じた。
酒は初手から、ざらめになった氷室の雪に辛口の{城山(じょうざん)〕で始まった。
今宵は、佐千も自分の盃をいいつけて相伴していたが、酔いがまわりきる前に、
「佐千どの。じつは、松造と打ちあわせがあるので、食事がおわったら、松造の床も延べていただきたい」
佐千のまなじりが動いたが、さりげなく、
「あと、いかほど、ご滞在いただけましょうか?」
「さよう。被害にあっておる〔大坂屋〕など数軒をまわるから、あと2日はお世話になろう」
佐千が安堵し、盃を干した。
【参照】2011年3月5日~[与市へのたび] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (11) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
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