与板への旅(16)
「湯をあびるか?」
案内されてきた佐千(さち 34歳)に訊いた。
「〔ますや〕さんに着いてすぐに遣いましたが、長谷川さまとごいっ---」
「ここでは初瀬(はつせ)だ」
「そうでしたね。平さまとごいっしょなら、うれしい。もいちど、温まりましょう」
料理がはこばれ、屏風の向こうには派手な布団がすでに延べられていたが、湯殿へむかった。
こういう家らしく、湯桶は長方形の板風呂で、2人が向いあって浸かると、脚がお互いの秘部にとどく寸法になっていた。
足の指を動かしているうちに、気が高まってきたのか、股に乗り、抱きついてきた。
顔の前にきた乳頭を吸い、舌でころがせた。
与板で、八ッ口から手がはいったときにも、太いなと感じたが、こうして湯殿の灯の明かりでみると、2児と亡夫に吸わせた分、色合いも濃かった。
(松造(よしぞう 30歳)が女房・お粂(くめ 40歳)の女躰のことを、練れきり、どこからでも火が燃えあがるといっていたが、佐千の、この太く、そしていまは堅く佇立してきた乳房も発火ヶ所の一つなんだろうな)
おんながかすかにあえぎ声をもらし、腰をつよく推しつけはじめた。
「佐千。酒が待っている」
「ええ」
「次に漬かったときに、な」
佐千が、辛口〔城山(じょうざん)〕の小徳利を風呂敷に包んで持参していた。
「雪がないから、燗をさせますか?」
「いや、持ち込みは嫌われるし、徳利に書かれた文字で、身許が割れないでもない。このままの冷やでよい」
裏の柿川の生簀(いけす))に入れている信濃川の鯉の洗いが主皿であった。
差しつ差されつしながらも、佐千はため息まじりに愚痴を吐きつづけた。
「昨日は2年ぶりに、おんなとして生き返りました。まだまだ、おんながつづけられるとうれしゅうなりました」
「しかし、今宵かぎりでお別れだ」
「また、来越してくださるのでしょう---?」
「役についている幕臣の身に、そのような自由はない」
「私が江戸へ出向きます」
「室がいるのでな」
「お休みの日だってありますでしょう?」
「佐千。その話は、もうやめよう」
「はい。今夜も、おんなによみがえらせてください」
寝床でも、同じような会話がくりかえされた。
「佐千をおんなにしてくれる男は、いくらでもいるであろうに---」
「私の躰や、〔備前屋〕の財産目当ての男などには、目もくれません」
「われは---そうではないと?」
「私から、それとなくお誘いしたのに、2夜ともお逃げになりました」
「〔備前屋〕の稼ぎのからくりには興味はある---が、〔備前屋〕の亭主には興味もないし、なる気もない」
「ほら、下こごろがまったくないお人に、初めて出会いました。だから、平さまなら、私を救ってくださると信じたのです」
「越後と江戸は、遠すぎる」
「こんなに近い。ぴったり重なっています」
「ふ---舌ごころだぞ」
「いい---」
佐千が枕もとの鈴をふり、寝着の前をあわせ、小粒をひねり、襖の外で声をかけた女中に、
「湯は、使えますか?」
「ええ。どうぞ---」
すばやくにぎらせ、平蔵を呼んだ。
湯枠の中では、股に尻から乗り、平蔵の両手をとって乳房にあてた。
もまれているうちに気が満ち、平蔵のものをみちびき挿(い)れ、乳房にあった手の中指を、茂みの敏感な部位に触れさせた。
「動くな。奥でじっと感じていよ」
「わかります。ぴくついています」
「佐千のも、なめくじのようにうごめいておる」
仰向き、唇をさしだす。
片方の腕で首をささえてやり、舌をからませた。
「力が萎(な)え、沈みそう---」
(そういえば、18年前、佐記は、流れに身をまかせるのが法悦といっていた。
【参照】2008年4月3日{〔初鹿野(はじかの)〕の音松] (4)
佐千も、平蔵に尻から責められ、白い肌を紅(くれない)に燃えあがらせ、おんなを満喫していた。
【参照】2011年3月5日~[与市へのたび] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (11) (12) (13) (14) (15) (17) (18) (19)
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