与板への旅(13)
米穀商も兼ねている廻船問屋〔大坂屋〕七兵衛(しちべえ)方へ賊が押し入ったのは、一昨年の秋であった。
〔大坂屋〕は〔備前屋〕から半丁(550m)も離れていない北新町に米穀の小売りの店を番頭にまかせていた。
2年前の事件のことは、番頭の半右衛門(はんえもん 50歳)が応対した。
「このあたりでは、裏にまで塀をまわしているところはございません」
無防備に近いといってよかった。
賊は、やすやすと裏から侵入できた。
「商いは、ほとんど節季ばらいですから、現金はあまり置いておりません。貯まれば河岸場の本店へ運びますから、奪われたのは10両(160万円)ちょっとでございました」
(さすがに豪商の番頭だ。10l両の盗難をこともなげにいう。しかし、お定書(さだめがき)には、10l両盗めば打ち首の刑としっていように---)
平蔵(へいぞう 36歳)は、そんなおもいは毛ほども面にみせず、
「賊の首領の言葉づかいで気がついたことがあったら教えてほしい」
きっかけをあたえられて半右衛門は、
「そういわれますと、長岡弁を無理に江戸ふうに直しているように感じました」
廻船問屋で鍛えられており、藩の外のことにも通じているところを示した。
陣屋からきつく申しわたされていたのであろう、、午餐(ごさん)は、店の者とおなじで肩身がせまいがと断りながら海魚の干物を添えたのをだした。
お茶になり、
「番頭どの。打ち合わせがあるから、伴の者と2人きりにしてくれ」
去らせた。
松造(よしぞう 30歳)へ声をひそめ、
「なに。わざわざ話しあうことなど、ありはしない。しかし、〔馬越(まごし)〕の仁兵衛一味を人別をもたせてこの里からおっ払い、戻ってはこれないだけの噂のしかけはできたのだ。だが、さも、密議でも凝らしているiようにみせかけ、噂の火をあおるのだよ」
合点した松造もささやいた。
「いつまで逗留なさいますか?」
「お粂(くめ 40歳)の肌が恋しくなったか?」
「ご冗談を---」
「あんまり簡単にすませてしまうと、与板侯(井伊兵部少輔直朗 なおあきら 35歳 藩主 2万石)が路用が少なかったから手を抜いたとおひがみになろう。あと2日の我慢だ」
「承知いたしました」
午後は、小間物店と絹綿織物所から事情を聞いた。
{備前屋〕へ戻ると、番頭の伍兵衛(ごへえ 43歳)が、平蔵を通り土間の端へ導き、
「ご主人が、お待ちかねでございます。ご案内したします」
「客間ではないのか?」
「いいえ、こ主人のお部屋です」
先代が寝ついているという離れの西、平蔵が寝泊りしている客間からは見えない位置に佐千(さち 34歳)の居室があった。
「お戻りになりました」
襖の外から告げ、番頭は引き返していった。
「どうぞ、お入りくださいませ」
内からのすすめにしたがい、襖をあけた。
使いこまれた趣味のいい家具と、なまめいた色あいの布団をかけた櫓炬燵(やぐらこたつ)が目にはいった。
佐千は炬燵に膝をいれていた。
部屋には、記憶にある香りがただよっていた。
田沼意次(おきつぐ 64歳 老中)の木挽町(こびきちょう)の中屋敷の侍女・於佳慈(かじ 31歳)の部屋を満たしていたのとおなじような、男ごころを誘う香りであった。
【参照】2011年2月23日[豊千代(家斉 いえなり)ぞなえ] (9)
「冷たい風が入ります。襖をおしめになり、足を入れてお暖まりくださいませ」
左手の布団をめくり、いざなった。
平蔵が座につくと、
「今宵は、松造さまは河岸場の店のほうでございましょうね?」
「いや、それが------」
「そうなさってくださいませ」
「松造がいてはお困りのわけでも---?」
「藤太郎(とうたろう 13歳)が、長谷川さまのお隣で眠りたいと申しております」
「さようか。では、松造にそう申しつけよう。ところで佐千どの。明朝、陣屋へうかかがい委細を述べ、長岡でいくつか探索をすることにあいなった」
「お発(た)ちになるということでございますか?」
「さよう」
「あいわかりましてございます。では、今宵はお別れの酒盛りをいたしましょう」
そして、腰を動かしてにじり寄り、平蔵の手をとった。
【参照】2011年3月5日~[与市への旅] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 (9) ((10)) (11) (12) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
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