与板への旅(9)
あくる朝。
宿泊していた黒川左岸の河岸場店のからやってきた松造(よしぞう 30歳)と簡単な朝食を摂りおえたのを見はからっていたように、番頭の伍兵衛(ごへえ 43歳)があいさつにはいってきた。
「出雲崎湊の店へ出向いており、昨夜戻りまして、ご挨拶がおくれました。ご不自由はございませんでしたか?」
「番頭さんは、この屋敷にお住まいで---?」
「いいえ。1丁(100m強)ほど南の舟戸町から通わさせていただいております」
おだやかな風貌だが、芯はしたたかな商売人の風情がにじんでいる伍兵衛に、
「それでは、昨年の秋に襲われたときに、この屋敷にいたものを、八ッ(午後3時)にこの部屋へ集めておくように---」
伍兵衛が退去するのを見すまし、
「松造、昨夜、河岸場の店のほうに、変なことはなかったか?」
「変なことと申されますと---?」
「遅くに出入りした者はいなかったか?」
「2度ほど、くぐり戸が開いたような---」
「お主(ぬし)は、河岸場の店へ戻り、出入した者の用件を訊きだしておいてくれ」
「殿は---?」
「ここの嫡子・藤太郎の案内で、馬越村へ行ってくる」
出ていった松造と入れ替わりに入ってきた佐千(さち 34歳)は、髪型を変えていた。
「今朝のそのお髪(ぐし)は---?」
「しのぶ髷(まげ)というのだそうです。都(みやこ)で流行(はや)っているとか---」
胸元からだした折った紙をひらき、示した。
〔都板[化粧(けわい)指南読みうり〕で、しのぶ髪を結ったおんなの絵は、まぎれもなく北川冬斎の筆であった。
この板の主題は、「面高(おもだか)の顔をさらに引きたてる法」。
(〔佐阿弥(さあや)〕の角兵衛(かくべえ 40なかばすぎ))どんも〔彦十(ひこじゅう 46歳)も、なかなかにやるではないか)
最新の板行らしく、江戸へはまだとどいていなかった。
【参照】2009年8月15日[与力・浦部源六郎] (6)
2009年8月25日[化粧(けわい)指南師のお勝] (2) (3) (4)
ついとへ寄りそった佐千の髪から、その気をそそる麝香(じゃこう)系の香油が強く匂った。
「その髪型、お似合いだ」
「仮(かりそめ)であっても、そのお言葉、うれしゅうございます」
(そういえば、22年前、芙佐(ふさ 25歳)も、おれのものを自分へみちびき入れながら、「仮(かりそめ)の母者」といったなあ)
【参照】2007年6月17日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
平蔵(へいぞう 36歳)は、顔が熱くなってきているのを悟られないように、
「藤太郎どのは支度ができたかな?」
「張り切って、表でお待ちしております。それから、長谷川さま---」
またふところへ手を入れ、とりだしたのは昨日の平蔵の下帯であった。
湯のしがほどこされ、きちんと畳まれていたのを受けとると、佐千の肌で暖められていたことがわかった。
「手数をかけ、申しわけない」
「長谷川さまの匂いがついておりました」
嫣然と瞶(み)ている30おんなの、濃厚な息吹きを感じた。
「藤太郎を待たしては悪い」
あわてた平蔵は、おもわず下帯をたもとに入れそうになった。
【参照】201135~[与市への旅] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 8 ((10)) (11) (12) (13) (14) (15) (16) (17) (18) (19)
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