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2012.05.05

本城・西丸の2人の少老(4)

これは、打ちこわし秘話として書き留めておくことの一つであろう。

若年寄として本丸へ移っている井伊兵部少輔直朗(なおあきら 41歳 越後・与板藩主 2万石)にもかかわる美談なので、忘れないうちに記録しておく。

3年前の大坂の打ちこわしが堂島新地の米穀商〔松安〕と玉水町の〔鹿島屋〕であったことを記憶していた平蔵(へいぞう 42歳)が、こんどの江戸打ちこわしでまっ先に心配したのが、幕臣としては浅草の蔵屋敷、個人としては蔵前の札差・〔東金(とうがね)清兵衛(せえべえ 40歳すぎ)のことであった。

東金屋〕には、前職・西丸の徒(かち)の組頭時代に組下の借財のことでずいぶん世話をかけた。

参照】2011年9月21日~[札差・〔東金屋〕清兵衛] () () () (

打ちこわしの暴徒たちがまず狙うのは、このところ値段を3倍近くにまであげている米穀商人であろう。
史料によると、平時なら100文(4000円)で1升(1.8リットル)購える精米が、3合5勺しか買えなくなっていたという。
「粥をすすることすらできねえ」
彼らのせっぱつまった表現であった。

蔵前の札差たちは、たしかに幕臣の米穀をあつかってはいるが、町の人たちを相手に売買しているわけではない。
しかし、そばに幕府の米蔵があり、富裕な暮らしぶりをしているから、当然狙われよう。
狙われて迷惑するのは、札差にたよっている下級幕臣たちなのだ。
打ちこわしを理由に貸ししぶられてはたまったものではない。

平蔵(へいぞう 42歳)は、柄巻きを内職にしている徒士の父親・飯野吾平(ごへい 59歳)のきりっとした顔をおもいうかべた。
隠居した老徒士のまま朽ちさすのは惜しい手練のぬしであった。

参照】2011108[柄(つか)巻き師・飯野吾平

吾平の名人級の手しごとの一つは、しりあった経緯(ゆくたて)とともに井伊少老へ贈ってあった。

東金屋〕のさばけたあつかいによって救われた飯野六平太(ろくへいた 35歳)をはじめ助けられた徒仕たちが、打ちこわしの期間中に休みをとって〔東金屋〕の警備にあたる許しを乞うたところ、にやりと笑みをこぼした少老が、
「打ちこわしのある市中へわざわざお上が出御なさることもあるまい。いっそ、西丸から本丸へ打ちこんだ徒組すべてに休仕をあたえ、蔵宿の警備にあたらせたらどうか」

「ありがたい仰せ。早速に〔東金屋清兵衛から蔵前の定行事どもへ申しつたえさせ、徒士衆の弁当や諸掛りは組合で負担するようにはからわせましょう」

「すると、先手衆の弁当や諸掛りは公儀持ちということか?」
「執政の手ぬかりの結果でございますれば---」
「油断ならぬ男よのう」

裏話だが、蔵宿の警備にでた徒士組への弁当が豪華なものであった噂を聴きつけた他の徒士が、弁当に釣られて幾人ももぐりこんできたという。

武士は食わねど高楊枝
 
遠い過去のものになっていた。

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