カテゴリー「009長谷川太郎左衛門正直」の記事

2008.04.19

十如是(じゅうにょぜ)(その4)

「女将(おかみ)どの。この近くに、灯油(ともしあぶら)を商っている店はどこかな?」
本所・緑町2丁目の料亭〔古都舞喜(ことぶき)楼〕の女将・(ふく 38歳)に訊いているのは、火盗改メ・同心の大林源吾(51歳)とともに訪れた銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)である。

からは、賊のうち、首領株とみえる男からは線香の、〔軍者(ぐんしゃ)〕からは水油(みずあぶら 灯油(ともしあぶら)とも)の匂いがしていたことをおもいださせた。

女中頭で、天童育ちの(とめ 32歳)からは、小男の〔軍者〕が紅花染めの手拭いをいつも携えていることを訊きだした。

下谷(したや)の日蓮宗の善立寺の日顕師(にっけん 40歳がらみ)から、『法華経』の「十如是」(じゅうにょぜ)を教えられたことがきっかけで、料亭〔古都舞喜楼〕楼の事件を返訊(かえしき)きとりを申しでた成果である。

「うちは、商売がら、灯油(ともしあぶら)の遣いおししみをしませんもので、深川・油堀の中ノ橋ぎわに店のある水油仲買・大和屋さんから届けてもらっていますが、このあたりのしもた屋は、どこで求めているのでしょうねえ。おさん、ご存じかい?」
「さあ。私は通いではないので、存じません」
「通いは、おさんだけだった。宵の口にならないと来ないのだよね」

女たちのらちもない話につきあってなんかいられないとばかりに、大林同心が腰をあげる。
「いや、大儀であった。なにかおもいだしたら、役宅のほうへ届けてくれ。存じておろうが、一番町新道の長谷川正直(まさなお)さまのお屋敷だ。こちらは、長谷川さまの甥ごさまだ」

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(火盗改メ役宅=一番町新道・長谷川太郎兵衛正直・屋敷)

「これからも、お話をうかがいに寄せていただくので、よろしく」
銕三郎がすかさず、約束をとりかわす。

「火盗のお頭(かしら)の甥ごさまですか。私は、また、ずいぶんとお若いのに、お役目熱心なお役人さまと、感心申しあげておりました。こんごとも、ご贔屓にお願いいたします---あら、ご挨拶をまちがえました。火盗のお役人さまには、もう、ご贔屓にはなりたくはございません。どうぞ、お気兼ねなく、お遊びにいらっしゃってくださいませ」
また、ちろりと舌の先で上唇の端をなめる。商売がら、媚(こび)をふりまくのがくせになっているようだ。

(いずれ、金主(きんしゅ)の男がいるのだろうに、あまり可愛がられていないとみえる。まあ、女性(にょうしょう)もこの齢あたりが、化粧(けわい)で魅(み)せる、ぎりぎりかもな)
若い銕三郎には、女将・の年齢は、母・(たえ)とどっこいどっこいに見える。
若い男の目は、大年増に対して残酷なほどきびしい。

とはいえ、きょうの銕三郎は、「十如是(じゅうにょぜ)」のつづきが頭の中をしめている。
如是力(にょぜりき)---動作としてあらわすための力
如是作(にょぜさ)-----あらわされた動作
如是因(にょぜいん)---そうなるための原因
如是縁(にょぜえん)---因を補う条件
如是果(にょぜか)----そうなった結果

大林源吾同心には、丁寧に礼を言ってから、二ッ目之橋のたもとで別れた。

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(被害店〔古都舞喜楼〕から、〔五鉄〕=二之橋北東詰)

銕三郎は、〔五鉄〕へ寄って、このあたりで水油を売っている店を、三次郎(さんじろう)にたしかめてみようかとおもったが、すぐに考えなおした。

もし、盗賊・〔初鹿野(はじかの)〕一味の参謀格〔軍者(ぐんしゃ)〕こと、〔舟形(ふながた)〕の宗平の耳へ、銕三郎が灯油(ともしあぶら)のことを訊きまわっていることが入ったら、かねてからの心配ごと---類が〔五鉄〕へおよばないともかぎらない。

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2008.04.18

十如是(じゅうにょぜ)(その3)

「女将(おかみ)さん。もう一度、奴らが入ってきた時のことを、順を追って話してくれないか」
〔古都舞喜(ことぶき)楼〕の女将・(ふく 38歳)に言いつけたのは、こんどの1件の掛かり同心・大林源吾(げんご 51歳)である。

銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が、本家の大伯父---というより、先手・弓の7番手組頭で、火盗改メ・本役を命じられている長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石)に、現場の再調査を頼みこんだのである。

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(本所・深川 〔古都舞喜楼〕)

女将の言い分を手短にまとめると、枕をけられたので目をあけてみると、抜き身を突きつけた灰色装束の2人が楓の間へ行けという。
寝着の上から着物をひっかけるようにして、ふるえる足で、言われた楓の間へ入った。

「女将どのは一人で寝ていたのですか?」
銕三郎がたしかめ.る。
「お役人さま、嫌でございますよ。誰と寝ているとおもいになったのでございますか?」
ちろりと舌の先で上唇をなめて、上目で見つめてきた。大年増だが、さすがに艶っぽい

つぎつぎと、使用人たちが、刀でおどされて楓の間へ連れてこられ、縛りあげられ、猿ぐつわをつけてころがされた。
男衆5人と仲居女中・下働き女が7人の総勢13人が、である。
首領らしい大男と小男、あと2人に監視されているうちに、家中、金がありそうなところが半刻(はんとき 1時間)ほど探された。

集金してきた金とあわせた有り金が、女将の寝室の化粧鏡台の引き出しに入っていたのが見つかったらしく、賊たちは、一同を監禁していた部屋の入り口の廊下に棘菱(とげびし)のようにものを打ち込んで引きあげた。

「口惜しいじゃございませんか。一人がなんとか縛り紐を解き、順にみんなのもほどいてくれたのですが、棘菱に畳をかぶせれば歩けると思いついたのは、賊たちが去って、小半刻(30分)もしてからだったのです。助けを求めたころには、あたりには人っ子ひとりいやしませんでした」

「抜き身でみなさんをおどしていた監視役の者たちは、棘菱を打ち込む前に、廊下にでたとおもうのですが---」
「いいえ。一人がのこっておどしつづけていました」
「その一人は、どうやって部屋から引きあげたのですか?」
「棘菱の上を歩いてでてゆきました」
「上を歩いて?」
「草鞋の裏に鉄の板を貼り付けていたような、耳ざわりな音がしました」

大林さま。その棘菱は、役宅に保管してありますか?」
「あります」

「廊下には、棘菱の爪あとがありませぬな」
「客商売なものですから、すぐに張替えをいたしました。いけなかったのでございますか?」
「いや。取り替えた廊下板は?」
「棟梁が炊きつけにと置いていったので、燃してしまって---」

「女将どの。賊たちがかわした言葉を聞かせてください」
「『楓の間へゆけ』といったきり、あとは口をききませんでした」
「引きあげる時も---」
「配下らしい者たちに顎で合図をしただけです」

「匂いはどうでしょう?」
「あ、そう言われるてみると、大男からはかすかに線香のような匂いがしていたような---」
「小男からは?」
「あれは水油(みずあぶら)の匂いでしょうか---」
「水油?」
「はい。行灯(あんどん)に使う菜種(なたね)油です。灯油(ともしあぶら)とも言いますが---」

「あのう---」
女将の横にひかえていた女中頭のお(とめ 32歳)が、口をはさんだ。
「その小男が、鼻をかみました」
「それで---」
と、面倒くさげに大林同心がうながすのを、銕三郎が引きとって、
「ほう。おどの、よく思い出してくださった。鼻をかんだあと、どうしたのかな?」
「いえ。紅花(べにはな)染めの手拭いを使ったのです」

「なぜ、紅花染めとわかったのかな?」
「私は、羽前(うぜん)の天童の近郊の成生(なりう)村(現・天童市成生)の生まれです。あのあたりでは紅花をひろく栽培しています。ところの家々では、くず花でいろいろなものを染めます。下着とか手拭いとか。それで見慣れているのです」

くず花で染めるから、黄味のある淡紅色にしか染まらない。小男が使ったのは、たしかにその淡紅色の手拭いだったと、おは言った。

「くず花染めでぐず鼻をかんだなど、しゃれにもならぬわ」
大林同心が言うのを、手で制した銕三郎は、
大林さま。〔初鹿野(はじかの)〕の一味に、出羽---羽前(うぜん)か羽後(うご)の里名(さとな)を通り名にしておる配下はおりませぬか?」
「む。羽前か羽後---? 〔舟形(ふながた)〕の---宗平
「舟形というのは?」
認められて喜んだおが応えた。
「新庄の南にある郷(さと)です」

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(緑○=舟形 淡紅〇=新庄 水色=最上川 江戸期に近い明治22年頃)

(如是相(にょぜそう)、如是性(にょぜしょう)、如是体(にょぜたい)---相や性をあらわす本体---これだな。日顕師(にっけん)のお教えは---)

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