カテゴリー「109群馬県 」の記事

2006.02.21

浪人・石島精之進

strong>『鬼平犯科帳』文庫巻3の所載の[麻布ねずみ坂]で、指圧医師・中村宗仙(62歳)から、お八重(29歳)の見受け金(?)500両をうけとり送金するように大坂の香具師の元締〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門(50男)にいわれていながら、230両をネコばば、高崎に剣術道場の開設資金としてしまった。
(参考: 〔白子屋〕菊右衛門の項)
お八重は〔白子屋〕の愛妾で、京都の東寺の境内に〔丹後や〕という料亭をまかされていたが、宗仙とできてしまったのだ。
石島は、菊右衛門には「宗仙にはもう、支払う意志はない。妾とうまくやっている」と報告していた。

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年齢・容姿:30男。肩がはっていていかにも強そう。
生国:上野(こうずけ)国緑野郡(みどりのこうり)藤岡村(現・群馬県藤岡市藤岡)

探索の発端:金持ちから法外な治療料をとる中村宗仙宅を、鬼平の命で見張っていた同心・山田市太郎が、出入りした石島浪人を見かけて尾行すると、両国の元締・〔羽沢(はねさわ)の嘉兵衛とつながった。
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)
同心・酒井祐助と彦十が石島浪人を追っていくと、高崎で道場を開いていることがわかった。
宗仙が約束をやぶったというので、〔白子屋〕はさらに、〔川谷〕の庄吉に刺客の浪人までつけて、寄こし、宗仙の殺害を策していた。
(参照: 〔川谷〕の庄吉の項)

結末:鬼平が庄吉に事情を話して聞かせて大坂へ帰すと、菊右衛門は500両を宗仙に返し、石島精之進を殺害。
お八重もはその前に殺されていた。

つぶやき:男伊達の通し方は、むつかしい。菊右衛門が鬼平の扱いに感動して500両を返して寄こしたのも、鬼平へ伊達ごころを見せたかったからである。

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2006.02.12

〔駒屋(こまや)〕の万吉

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[尻毛の長右衛門]で、タイトルにもなっている本格派のお頭〔尻毛(しりげ)〕の長右衛門(50を越えたばかり)一味の連絡(つなぎ)役、〔布目(ぬのめ)〕の半太郎(28歳)が頼りにしている元盗め人で、いまは上州・妙義山の笠町で小さな旅籠の亭主におさまっているのが〔駒屋(こまや)〕の万吉である。
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 〔布目〕の半太郎の項)
万吉は、半太郎の父親の伊助とともに、いまは亡き大盗〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(享年67)の下で薫陶をうけたが、喜之助が一味を解散したときにもらった退職金で故郷の旅籠を買ったのである。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)

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年齢・容姿:どちらの記述もないが、半太郎の父親と仲がよかったとあるから、そろそろ60に手がとどこうかという齢ごろか。容姿は旅籠の亭主におさまれるほどだから、尋常であろう。
生国:上野(こうずけ)国甘楽郡(かんらこおり)本宿(もとじゅく)村(現・群馬県甘楽郡妙下仁田町本宿)
『旧高旧領』で妙義山のあたりに「笠町」は見当たらない。それで、中山道からそれた下仁田(しもにた)越え道で捜した。
当初は「駒屋」の屋号で捜して岩代(いわしろ)国安積郡(おさかこおり)駒屋村(現・福島県郡山市三穂田町駒屋屋)とも考えたが、聖典に「故郷の上州」とあるので、残念だが捨てた。

探索の発端と結末:半太郎が行く方知れずになったとおもいこんだ引き込みのおすみ(19歳)は、半太郎が口にしていた〔駒屋〕の万吉を訪ねた。それで〔大滝〕の五郎蔵に尾行され、万吉はおすみともども捕らえられた。処分は書かれていない。
(参照: 引き込み女おすみの項)
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)

つぶやき:江戸時代、時効という制度はなかったのであろうか。『御定書百ヶ条』にも記されていない。万吉はすでに足を洗って10年近くなるのだが---。

そういえば、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンも古くて軽い犯行のためにいつまでも追われた。

後日談万吉が小さな旅籠〔駒屋〕を買い取った---という記述が、すごいヒントを与えてくれた。
万吉は、〔尻毛〕の長右衛門と似たり寄ったりの齢か、それよりも上とおもえる。

蓑火(みのひ)〕の喜之助お頭が引退するとき、安旅籠の亭主となった? 旅籠を買い取ったのは、なぜだ? 
そうか、万吉は、〔蓑火〕の一味にいたとき、〔盗人宿〕兼用の旅籠をまかされたいたのではなかろうか?

なぜ、〔蓑火〕のお頭は旅籠も経営していたか? 中仙道は、もっぱら近江商人が利用した街道である。その宿々へ、商人用の安旅籠チェーンをつらねておけば、彼らの話から、江戸や京師の裕福な商家の情報が入る---その中の一軒の旅籠でその稼業の修行をしたのが万吉ではなかったのか---。

こうして、〔蓑火〕一味の、情報収集ルートの一つを発見、また、そのことを喜之助お頭へ提言した軍者(ぐんしゃ 軍師)へも類推がおよんだ。

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2006.01.11

〔須川(すがわ)〕の利吉

『鬼平犯科帳』文庫巻2の[埋蔵金千両]』 で、首領〔小金井(こがねい)〕の万五郎と〔須川(すがわ)〕の利吉は、伊賀の山中、奥間野の猟師小屋で一味を解散するにあたり、ためこんだ1900両を分配するといつわって手下5人を毒殺、万五郎が1300両、利吉が600両を取った。
利吉はその金で、信濃の上田に小間物屋〔加納屋〕利兵衛店を開いている。
15年ほど前、万五郎が大坂で古手屋に仮装していたとき、使っていた飯炊き女を孕ませたが、その始末を番頭を装っていたり吉がつけたこともあった。
事件は、死病にとりつかれた万五郎が下女おけいに、1000両の隠し場所を打ち明け、利吉にうち500両をあのときの子へ渡してくれるように頼みに行かせたところから始まった。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:上野(こうずけ)国吾妻郡(あずまこおり)入須川村(群馬県利根郡新治村須川)>
屋号の〔加納屋〕から、美濃国厚見郡下加納村(現・岐阜県岐阜市加納本町)もかんがえたが、『旧高旧領』に見あたらないので「須川」をとった。もっとも「須川」も信濃の上田にはない。

探索の発端:麻布・飯倉片町の指圧医師・中村宗仙の、癒したら50両という治療を、万五郎がうけたことから、鬼平の疑惑の念がはじまった。見張りがつき、小金井の貫井橋の先の埋蔵場所まで尾行された。

結末:埋蔵金の1000両は、気を変えた下女おけいが一足先に掘り出していた。万五郎は、心の臓の発作で、その場で息絶えた。
おけいは、その後、捕縛。
利吉については記述がない。

つぶやき:おけいを出発ちさせてから万五郎は、〔須川〕の利吉がまともなかんがえの主でないことにおもいいたる---が、そんなことは、はなからわかっていること(もちろん、わかっていたら、物語が成立しないのだが)---一味をたばねていた首領ともあろう者の浅慮の一失というべきか。
まあ、人間、賢いようでも、弘法も筆の誤り、ときに愚かな行いをするから、この世はおもしろいし、物語のタネがつきない。

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2005.12.25

〔野柿(のがき)〕の伊助

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、〔清洲〕の甚五郎一味が仕込みをしていた、元飯田町の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕方へ、一足先に侵入して全員殺戮の上、奥座敷の金蔵から1,500両余を奪ってにげたのは〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味だが、その手引き役の座頭・茂の市との連絡(つなぎ)をつめたのが〔野柿(のがき)〕の伊助である。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)
(参照: 座頭・茂の市の項)

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年齢・容姿:記述はないが中年と推察。ある程度の年期がはいっていないと、金がらみの連絡(つなぎ)役はまかされない。もの堅い町人ふう。ただし、尾行に気づかないのは、注意力にぬかりがある。
生国:上野(こうずけ)国高崎城下(群馬県高崎市)の近郊か。
出所は季語かともおもい、2,3の『歳時記』の秋と初冬をあたってみたが、「野柿」はなかった。池波さんは、晩秋の風景をおもいえがいて「通り名(呼び名)」としたのかもしれない。
ある人から、高崎駅前からバスと聞いたことがあるが、地誌にも見あたらない。同地区の鬼平ファンのご教示を待つ。

探索の発端:押し入り先の一家惨殺に怒りをおぼえた〔一本眉〕こと〔清洲〕の甚五郎は、〔亀屋〕の間取りを売ったとおぼしい座頭・茂の市を見張った。案の定、〔倉渕〕一味の〔野柿〕の伊助が甞め料の残りの半金を渡しに現れた。
その伊助の帰り道を尾行して盗人宿が知れた。

結末: 〔倉渕〕一味の主な盗人宿、板橋駅の石神井川ぞいの旅籠〔岸屋〕を襲った〔清洲〕一味は、佐喜蔵をはじめとして男の盗人10名は惨殺、生け捕った2名を柱にくくりつけた。その上で、火盗改メへ〔岸屋〕の顛末を投げ文したのである。

つぶやき:〔栄寿軒・亀屋〕方へ引き込みに入っていた〔清洲〕の一味の女・おみちの機転で、出入りの座頭・茂の市が噛んでいることがばれる。
(参照: 引き込み女おみち
このあたりの、〔清洲〕の甚五郎の手くばりは、火盗改メもたじたじ---といった按配である。さすが、巨盗ともなると、水際だった差配ぶりではある。

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2005.11.14

〔塩井戸(しおいど)〕の捨八

『鬼平犯科帳』文庫巻16の冒頭に置かれている[影法師]で、〔塩井戸(しおいど)〕の捨八は、一石橋で〔さむらい〕松五郎を見かけた(じつは、松五郎のそっくりさんの同心・木村忠吾だったのだが)。
(参照: 〔網掛〕の松五郎の項)
尾行しているうちに、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕を見張る結果になってしまった。
話は、この夏に遡る。
上州・熊谷宿の料理屋〔棚田屋〕を襲い、270余両を奪い、昔なじみの〔井草(いぐさ)〕の為吉が連れてきた浪人くずれの長坂万次郎に一味をつけて金を乗せた馬ともども、上州・白石(しろいし)在の村はずれの盗人宿へ先行させた。
(参照: 浪人くずれ長坂万次郎の項)
殿(しんがり)をつとめた捨八が隠れ家へ来てみると、長坂浪人と〔さむらい〕松五郎が手下3人を斬り殺し、為吉にも傷をおわせて、馬もろとも逃走したというではないか。
もちろん、それは、長坂浪人と為吉が仕組んだ、金を横領するための手のこんだ芝居であった。
(参照: 〔井草〕の為吉の項)

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年齢・容姿:40歳。浪人姿。
生国:上野(こうずけ)国緑野郡(みとのこおり)白石村あたり(群馬県藤岡市白石あたり)。
小物の盗賊なので、生国近くに本拠を置いているとみて。

探索の発端:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵の推薦で密偵になった〔蛸坊主(たこぼうず)〕の五郎が、たまたま、神田橋門外の茶店で一服していたとき、〔井草〕の為吉を見かけた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔蛸坊主〕の五郎の項)
首領〔湯屋谷〕の富右衛門が5年前に病死して以来、流れづとめをしいている男である。尾行して、西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕へ宿泊していることをつきとめた。
そこには、3人ほどの小人数で小さな盗めが専門の〔塩井戸〕の捨八もい、どうやら、麹町8丁目の菓子舗〔池田屋〕に目をつけているらしい。

結末:西神田・蝋燭町の旅籠〔井筒屋〕を見張っていた忠吾同心と鉢合わせして逃げるところを、酒井同心らに逮捕された。
為吉は菓子舗〔池田屋〕を見張っているところを、逮捕。
両人とも、死罪であろう。

つぶやき:「塩井戸」で地名辞書をあたったが、掲載されていなかった。「塩井戸」というから、海岸べりかとも思ったが、「牛尾」が塩分を含んだ温泉が湧き出た「潮」の例もある(静岡県島田市金谷)。海岸にこだわらないことにした。
余談だが、藤岡市の西隣の多野郡吉井町に「塩」という地名がある。関連はないとおもうが、塩分を含んだ鉱泉が湧出すると。

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2005.09.18

〔石墨(いしずみ)〕の半五郎

『仕掛人・藤枝梅安』文庫巻6は長篇だが、その冒頭の[殺気の闇]の篇で、梅安の捨て身の仕掛けで殺された大坂の暗黒街の顔役〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門の跡目をねらう〔切畑(きりはた)〕の駒吉が、梅安をしとめることで後継者の地位を認めさせようと、すご腕の仕掛人を江戸へ送りこんだことが明かされる。その1人が〔石墨(いしずみ)〕の半五郎である。

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年齢・容姿:36,7歳。細身で、身のこなしが軽い。
生国:上野(かずさ)国利根郡(とねこうり)石墨村(現・群馬県沼田市石墨町)
池波さんは、下総(しもうさ)の生れなので江戸の地理にくわしく、3年前に〔白子屋〕菊右衛門に呼ばれて大坂へ行ったとしているが、下総には「石墨」という村はなく、あるのは昭和29年に沼田市の町名となったここだけ。石墨を産したからとも、穴居の遺跡(石住)が多いからの命名ともいう。
池波さんは『真田太平記』の取材で、幾度も沼田市とその近郊を取材しているはずである。そのときの記憶がなんらかの記憶とこんがらがって「下総」と書いてしまったのであろう。「石住」の意ならどこにあってもおかしくない。

結末:「石墨」の半五郎が独創とおもいこんでいた梅安への仕掛けは、じつは、かつて〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門が〔鵜ノ森(うのもり)〕の伊三蔵に教えたものとおなじだったのである。
患者を装って施療をうけ、うつ伏せから仰向きになる瞬間に梅安の喉首を切り裂く。
しかし、梅安は2度と同じ術(て)にはひっかからなかった。半五郎の鼻柱に拳骨をくわせ、さらに胸の下の急所を打って気絶させておき、ぼんのくぼへ仕掛針を刺した。

つぶやき:文庫巻5,6,7(未完)は、仕掛人の梅安が、逆に、つぎからつぎと、すご腕の刺客に命を狙われる展開になっていて、読み手ははらはらさせられどうしである。池波さんの作劇術のいちだんの冴えを納得させられる。

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2005.09.06

〔横川(よこかわ)〕の庄八

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[熱海みやげの宝物]で、〔高窓(たかまど)〕の久兵衛の遺児・久太郎を探している〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治にぴったりくっついて、利平治の宝物---「甞帳(なめちょう)」を奪うように、一味を強奪した浪人・高橋九十郎からいいつかっている〔横川(よこかわ)〕の庄八であった。
(参照: 〔高窓〕の久兵衛の項)
(参照: 〔布屋〕の久太郎の項)
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
利平治と庄八は、熱海の湯へつかりにきている。

年齢・容姿:30男。色白。でっふり肥えている。
生国:上野(こうずけ国)碓氷郡(うすいこうり)横川村(現・群馬県碓氷郡松井田町横川)。
「横川」という地名は、東京都墨田区、茨城県高萩市、静岡県下田市、愛知県半田市ほかにもある。しかし、池波さんは若かったころ、関東周辺の山へよく登っていたことから、すぐに浮かんだのは、駅弁の釜飯の名所「横川駅」だった。
上州から大坂の盗賊一味へ? との疑問もないではないが、江戸生まれの〔馬蕗〕の利平治だって大坂へ流れている、庄八にだって同様の事情があっても不思議ではない。

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探索の発端:鬼平夫妻や女も密偵おまさとともに骨やすめの湯治に熱海へ来ていた彦十が、同じ宿をとった〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治を見かけた。
(参照: 密偵おまさの項)
早速に接触をしてみて、一味の〔横川(よこかわ)〕の庄八につきまとわれている事情をうちあけられた。
久栄とおまさを先発させて江戸へ返した鬼平と彦十は、〔高窓(たかまど)〕の残党たちの探索へのりだした。

結末:権太坂で襲いかかってきた高橋浪人一味を鬼平が斬り倒し、〔横川〕の庄八は、利平治と彦十が押さえこんだ。
小田原の高橋九十郎の剣術道場へは、佐嶋与力らの出役全員逮捕。
大坂へは、町奉行所へ手配が申し送られた。

つぶやき:〔横川〕の庄八は、重大な役目をいいつかっているにしては、ぬかっている点の多い仁である。一味の中でも、そうたいした地位ではないとみた。それだけに人がよく、利平治が安心するとおもうとふんでの派遣だったのかも。

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2005.07.31

〔関沢(せきざわ)の乙吉

『鬼平犯科帳』文庫巻9に所載の[泥亀]で、〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵へ、〔牛尾(うしお)〕の太兵衛一家のその後の窮状を伝える役で登場。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項)
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
七蔵が、痔の治療に行くため、等覚寺(港区高輪 1- 5-24)の前で杖にすがって一休みしていたときに、上方でひとばたらきして家族の待つ故郷(くに)へ帰る〔関沢(せきざわ)〕の乙吉が通りかかり、七蔵を目にとめた。
乙吉は独りばたらきの錠前はずしの名手だが、10年ほどまえに〔牛尾〕の太兵衛を助(す)けたとき、七蔵と妙に気があった。そのとき以来の再会であった。
乙吉は七蔵に、〔牛尾〕の太兵衛が中風で亡くなったこと、一味がきれいに姿を消したこと、残された女房の目が不自由な娘が生活に難渋していることを伝えた。

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年齢・容姿:中年。旅姿の商人風。力持ち。
生国:上野(こうづけ)国利根郡(とねこうり)下沼田村(現・群馬県沼田市下沼田村)。
「関沢村」でさがすと上州にはない。信濃国高井郡の関沢村か、越後国蒲原群郡関沢村の出生で、沼田に居をかまえたかともおもったが、「急いで故郷へ帰りてえのだ」とあるから、池波さんおなじみの沼田が、頭にあったと見た。それで、「下沼田村」とした。あるいは城下の鍛冶町あたりがふさわしかったかもしれない。

探索の発端:芝・新銭座の表御番医師・井上立泉邸へ、〔舟形(ふながた)の宗平爺つぁんの薬を貰いに行った帰り道の伊三次に会った乙吉は、誘われるままに〔小房〕の粂八が預かっている船宿〔鶴や〕に泊まることになった。
(参照: 伊三次の項)
(参照: 〔舟形の宗平の項)
(参照: 〔小房〕の粂八の項 )
結末:伊三次からの急報で、火盗改メが出張り、逮捕。
鬼平の心中では、島送りののち、密偵をすすめてみる気のよう。

つぶやき:乙吉を「見どころがある」と鬼平が認めたのは、第一に、家庭を大事にかんがえていること、第二に、義理がたいこと、第三に、3カ条を守っていること、あたりであろうか。


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2005.06.20

〔熊倉(くまくら)〕の惣十

『鬼平犯科帳』文庫巻4で、おまさが初登場する[血闘]で、かつておまさが引き込みをしていたお頭の一人であることを、〔吉間(よしま)〕の仁三郎があかす。
(参照: 女密偵おまさの項)
(参照: 〔吉間〕の仁三郎の項)
仁三郎のような卑劣な盗人を配下にしていたのだから、〔熊倉(くまくら)〕の惣十という首領の品性も知れようというもの。もっとも、仁三郎が畜生ばたらきに転じたのが〔熊倉〕一味を離れて以後とすると、話はちがってくるが。

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:上野(こうずけ)国甘楽郡(かんらごおり)熊倉(くまくら)村(現・群馬県甘楽郡南牧村熊倉)
聖典巻4p149 新装版p156には、いつもと異なり、「熊倉の惣十(そうじゅう)」と、「通り名(呼び名)」にはルビがふられていないで、名前のほうにふられている。
「熊倉」を(くまくら)と読むか、(くまぐら)と読むかで生国が違ってくる。(くまくら)なら、南牧村のほかに栃木県真岡市熊倉があるが、ここを採らなかったのは、鬼平が活躍した寛政年間に、熊倉某が開拓した土地で、『鬼平犯科帳』のころにはまだ地名となっていなかったと判断したからである。
いっぽう、(くまぐら)だと、福島県喜多方市熊倉、同県南会津郡只見町熊倉などがある。

探索の発端:おまさが〔熊倉〕一味の引き込みをしたのは、天明5年(1785)か6年で、鬼平はまだ火盗改メの役についていなかった。

結末:これも記述がない。その後、おまさは、〔吉間(よしま)〕の仁三郎のほかには、〔熊倉(くまくら)〕の惣十一味の者に出会っていないから、この一味は、主に上州・信州・甲斐のあたりで仕事をしてい、捕縛・処刑されたとしたら、そちらでだったろう。

つぶやき:、〔熊倉〕の惣十のの本拠や盗人宿を、おまさが鬼平へ告げなていかったのはどういうわけがあったのだろう。
もっとも、[血闘]は、おまさが密偵になって2,3カ月目の事件だから、直前まで属していた〔乙畑(おつばた)〕一味のすべてを告げるだけで精一杯だったかもしれない。
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)
(この〔乙畑〕の源八とおまさの間柄には未解決の疑問点がいくつかあるのだが)。

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2005.05.09

〔鹿川(しかがわ)〕の惣助

『鬼平犯科帳』文庫巻5に載っている[乞食坊主]こと、剣友・井関録之助に、南品川の貴船明神社(現・荏原神社  品川区北品川3-30-28)境内で盗めの会話を聞かれてしまった、〔古河(こが)〕の富五郎一味の盗人。2005.04.26にアップした〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵の相棒。
(参照: 〔寝牛〕の鍋蔵の項)

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年齢・容姿:30男。痩せぎす。
生国:一応、上野(こうずけ)国新田郡(にったこうり)鹿川村(現・群馬県新田郡笠懸村鹿)としておく。
仮定としたのは、ここは(かのかわ)と読むからである。ちなみに、地名の由来は鹿の皮を製したことによると『角川地名大辞典』が記している。
ほかに、三河国幡豆郡(はずこうり)鹿川(ししかわ)村(現・愛知県幡豆郡鹿川)と安芸国佐伯郡(さえきこうり)鹿川(かのかわ)村(現・広島県佐伯郡能美町鹿川)があるが、いずれも池波さんのルビ(しかがわ)ではない。
で、〔古河(こが)〕の富五郎の「古河」にもっとも近いこと、若いころの池波さんがしばしば上野国を訪れていたことから、笠懸村の鹿川を採った。

探索の発端:、(〔寝牛〕の鍋蔵のものをコピー)。
品川の貴船明神社の床下で昼寝をしていた井関録之助に、〔寝牛(ねうし)〕の鍋蔵と〔鹿川(しかがわ)〕の惣助がかわした極秘の会話を聞かれた。
仕掛人を頼んで録之助を襲わせたが、なんと、その仕掛人が同門の菅野伊介だったことから、録之助は20年ぶりに長谷川平蔵を役宅へ訪ねることになった。
録之助の話から、火盗改メは、南品川2丁目に小さな小間物屋〔吉野屋〕をだしている〔寝牛〕の鍋蔵を見張りはじめた。

連絡(つなぎ)に現われる〔鹿川〕の惣助も見張られることとなった。

結末:襲った質店〔横倉屋〕で一網打尽。死罪であろう。

つぶやき:聖典で、質店が盗賊たちに狙われるのはこの篇だけだったようにおもう。もっとも多く襲われているのは薬種問屋だが、この業種の利益が大きいからではなく、池波さん愛用の『江戸買物独案内』にもっとも多くページをとって広告しているのが、家庭薬の広告なので、目にとまりやすかったのであろう。
ついでにいうと、質店は同書に1軒も広告を掲出していない。

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