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2004.12.29

〔布目(ぬのめ)〕の半太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻14の[尻毛の長右衛門]配下の連絡(つなぎ)役。
本所吉田町2丁目の薬種問屋〔橋本屋〕へ引き込みに入っているおすみの恋人。
(参照: 〔尻毛〕の長右衛門の項)
(参照: 引き込み女おすみの項)
いまの住いは、本所四ツ目橋をわたった百姓・為七の物置小屋。

214

年齢28歳。
生国:越中(えっちゅう)国婦負郡(ねいごおり)布目(ぬのめ)村(現・冨山県冨山市布目)

探索の発端:薬種問屋〔橋本屋〕へ引き込みに入っていた19歳のおすみの母親お新も女賊だった。亭主が死んだあと、〔尻毛〕の長右衛門のものとなったが、おすみが12歳のときに病死してしまった。おすみはしばらく長右衛門に養われていたが、その後、みずからすすんで引き込みを買ってでた。

薬種問屋〔橋本屋〕へ入っても、金蔵の錠前の蝋型もとっているし、屋敷内の間取りから家族・奉公人のあれこれまでしっかりと調べ、それを〔布目〕の半太郎に伝えていたのはいいが、生娘の体を法恩寺裏の林で自分から誘いをかけて半太郎に与えていた。

そのおすみが、女密偵おまさに見つかった。
お新の亭主の市之助が亡父の忠助と親しかったので、母親そっくりのおすみをみて、見当をつけたのだ。

結末:おすみから半太郎、深川清澄町の霊雲門前に近い釣道具屋〔利根屋〕---〔尻毛〕一味の盗人宿---とたぐられて、〔蓑火〕ゆずりの本格派の長右衛門は、いさぎよくお縄をうけた。

つぶやき:一方の半太郎である。
父親〔布目〕の伊助ともども、本格派の大盗〔蓑火〕の喜之助の薫陶をうけてこの道をきわめていた。血をみるおつとめに嫌気がさして、こちらも、〔蓑火〕ゆずりの長右衛門一味を頼った。
それはよかったのだが、お頭が30余歳も年下のおすみを後添えにしたいといいだした。

いたたまれず、上州・妙義山の笠町で小さな旅籠〔駒屋〕をやっている万吉をたよって江戸を出ようとして、両国橋の上で、薩摩藩士ともめごとをおこして惨殺された。

本格派が滅びつつあった時代の一つの象徴のような末路といえようか。
(参照: 〔蓑火(みのひ)〕の喜之助 の項)
(参照:〔尻毛〕の長右衛門の右腕 〔藤坂(ふじさか)〕の重兵衛 の項)

ついでにひと言。布目村は沼地の多い草付の地であったが、寛永(1624-43)のころ、牛ケ首用水の開削で新田がつくられた。用水の名前のゆえんは、工事の着工にあたり牛の首をささげて無事を祈念したことによるという。

参考:布目は、富山市のほか、新湊市、上新川郡大山町と、福井県坂井郡に2件、新潟県西と北の蒲原郡に2件、山形県の鶴岡市と酒田市に各1件。冨山市布目ときめていいか決断を要するところだが、冨山市の観光課からいち早くデータがとどいたので、同市の観光資源になればと。

同市布目のURLは、
http://www.fitweb.or.jp/~nunome/

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117冨山県 」カテゴリの記事

コメント

[尻毛の長右衛門]を〔布目〕の半太郎でおまとめになりましたか。

あたしなら、おすみでまとめたいところです。
なにせ、母親ゆずりとおもえる「泥鰌が百匹も棲んでいる」という、顔の造作は別として、男をひきつけてやまない体の持ち主でしょう?

そういう、比類のない名器の女性が、どんな一生をおくるか、センセの思惑をお聞きしたかった。

投稿: 裏店のおこん | 2004.12.29 09:03

>おこんさん

ここではお初、でしたね。よく、いらっしゃいました。これからも、しばしばお越しください。

「泥鰌が百匹」ですか?
「みみず、千匹」ともいうようですね。
うーん、正直、ヨタの自慢話には聞いたことがないでもありませんが眉ツバでして、その手の持ち主におめぐりあわせたことがありませんので、絵そらごとと肝に銘じておりまして---。

というわけで、そっちには筆がすすみませんでした。

このテのヨタ話の名人の方におゆずりします。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.29 09:49

布目の半太郎には失望
28になり、急ぎばたらきがいやで尻毛の長右衛門の盃
を貰った筋の良い盗人にしては尻軽ですね。
また尻毛の長右衛門もだらしない。
昔がたきのお頭にしては貫禄がない。
母親お新、そして今度は娘のおすみをものにしようとは何の事はない親子丼じゃないですか。
半太郎はながれ盗めをしているうちにモラルが落ちたのでしょう。

投稿: 靖酔 | 2004.12.29 11:51

そうかなあ。
〔布目〕の半太郎は、尻軽ですか。
いや、尻軽ってのは、男にも使いますか?
「手が早い」とか「助平」とか、かな。

生娘だったおすみのほうから誘いかけたのです。容姿は狆が髪を結ったようなおんなでも、すがりつかれたら、つい、手をつけてしまうのでは---?
ほら、「据え膳食わぬは男の恥じ」とかともいうではないですか。

心がやさしければ、相手に恥をかかせまいと思って、ね。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.29 13:05

そうでした、そうでした
尻軽は女に使う言葉でした。
理由がどうであれ世帯を持つ気になったんですから、
本気な面もあったんですね。

投稿: 靖酔 | 2004.12.29 15:48

あら、ごめんなさい。
ご体験談をもとめたのではございませんのよ。
母親の名器が忘れられなかったから、〔尻毛〕の長右衛門は、むすめのおすみも同じく名器だろうって、推測して後添えにしたがったのではないか--と。
こちらは女性ですから、そういうことはわかりませんでしょ、それでお尋ねしてみたしだいです。

投稿: 裏店のおこん | 2004.12.29 17:38

おこんさんのおっしゃりたいこと、わかるような気がします。

でも、下ネタは、いくら上品に表現していても、適当なところでストップしておかないと、とめどなく落ちがちです。

名器談義は、名刀自慢とおなじで、どこまでがホントのことか、区別がつかないもの。

このへんで、切り上げ、といたしませんか。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.30 16:06

今更ながら、拝見させていただきました。
2年前に他界した祖父とともに、鬼平犯科帳を愛するものです。

実は私は富山市布目に生まれてからずっと住んでいます。

まさか布目の半太郎の「布目」がこの布目だったとは、
思いもよりませんでした。
いくつか候補はあったようですが…。

今でもここは良い村です。(笑)
市に属するといっても最寄の駅までは車で20分。
コンビニも周囲にありません。
のどかな田園風景が続く田舎です。

牛ヶ首用水のことに触れておられて、びっくりしました。
よくお調べになっておられて、流石だなと思いました。

池波先生のお目に止まったと思うと、嬉しくて仕方ありません。
自慢になりますね。

嬉しくてついつい長文になってしまいました。
失礼をいたしました。
今後のご活躍をお祈りいたします。

投稿: まごむすめ | 2006.07.20 00:58

そうそう、言い忘れましたが、
昔このあたりは「婦負郡(ねいぐん)」に属しておりました。

ここで間違いはないと思います。

投稿: まごむすめ | 2006.07.20 01:02

>まごむすめさん

ようこそ。

400人を越す盗人の出生地を紹介しましたが、ピッタリだったのは、まごむすめさんが初めてでした。
おめでとうございます(なにが---って、面白いじゃ、ないですか。ねえ)。

池波さんの祖先は、このあいだまでの井波町---だから、あいだに「け」を入れて、江戸では「池波」にしたのかも。
井波では宮大工だつたようですから、苗字がなかったのでしょう。

ご祖父さまがご存命でしたら、〔布目〕の半太郎父子のこと、村へご吹聴になったかも。
代わりに、まごむすめさんか富山市役所観光課へご連絡なさったら。
googleで、歩の目の半太郎とで検索すると、さっと、現れます。

布目のはなし、いろいろ、書き込んで教えてください。

投稿: ちゅうすけ | 2006.07.20 11:11

ありがとうございます。私もピッタリで嬉しいです。

では、布目の話を少し…。

私の家は、4・5代前から布目に住んでいます。
(現在当主は父…)
祖父も布目で生まれ育ち、そして布目に眠っています。

布目は昔は湿地帯で農作物が採れず、ひどかったようですが、
牛ヶ首用水ができてから豊かな農村になったようです。

布目は海(海岸線)まで程ないところにあるので、
これからの季節は海からの風で、
磯の香りを感じることができます。

ほとんどの家は大きく、敷地が広いです。(農村ですから…)
ちなみに、私の家は200坪あります。
そしてほとんどが拡大家族です。

さらに、バスが1時間に1本しか通らないので、
必然的に各家庭の車の所有数が多くなります。
私の家は5台あります。

近所付き合いがとても深く、情に厚いです。
知らない人なんて、町内に1人もいません。
が、噂なんかはあっという間に広まってしまいます。
良くも悪くも昔の農村のままです。

スーパーも近くに1つしかありません。
そこがみんなの憩いの場でもあります。

なので、今でも物々交換が盛んです。
大抵の家の庭には畑があるので、
野菜と野菜、米と野菜の交換がよくあります。

古き良き日本がいまだに残っている田舎です。

長くなってしまって、申し訳ありませんでした…。

投稿: まごむすめ | 2006.07.21 01:31

追伸…。

布目の男性はみんな良くも悪くも一本気なところがあって、
器用ではないけど、男らしいです。

私の祖父も、自分のこと、ましてや苦労話や自慢話をしたことのない人でしたので、
布目の半太郎のことを知ったとしても、
多分吹聴してまわったのは私だったでしょう。(笑)

この融通の利かない一本気なところが、
布目の半太郎につながっているのでしょうか…。

投稿: まごむすめ | 2006.07.21 01:36

ぼくの義理の祖母の実家が、鳥取県の漁村で、少年時代の夏休みによく滞在していましたから、純朴で男気のある男性のことはよくわかります。

司馬遼太郎さんも、漁師は魚を捕ってなんぼの気質とお書きになっていますね。

牛ヶ首用水が完成したのはいつごろでしよう?
(あとで調べてみますが)
その前の、「湿地帯で農作物が採れ」なかった時代に、半太郎の父は村を出て、けっきょく、盗賊になつたのかもしれませんね。

しかし、首領(おかしら)にいただいたのが本格派の〔蓑火〕の喜之助ですから、盗賊としてのモラルは守りぬいたでしよう。

おついでがあったら、googleに、蓑火の喜之助と入れてみてください。
たくさんの有能な盗賊を育てています。
その一人が〔大滝〕の五郎蔵ですね。

まごむすめさんから、布目の半太郎のことを聞いた村の人たちが、どんな反応を示したか、また、教えてください。

すてきなコメント、ありがとうございました。

投稿: ちゅうすけ | 2006.07.21 08:26

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