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2005.09.29

〔己斐(こひ)〕の文助

『鬼平犯科帳』文庫巻5におさまっている[深川・千鳥橋]で、大工あがりの〔間取(まど))り〕の万三が、労咳の最後の静養費のために、手元に残っている5枚の大商店の間取り図を盗賊の首領へ200両で売りたいというので、上野山下・仏店で鰻屋〔大和屋〕を出している金兵衛(60すぎ)の口ききで、〔己斐(こひ)〕の文助がとりもった。
(参照: 〔間取り〕の万三)の項)
文助は、盗賊界の大物〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門のもとで15年も修行をつんだ本格派で、独立してからはすぐれた錠前はずしとして諸方の盗賊の頭領から高く買われていた。
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項 )
さて、文助は、話を、3代つづいている盗みの世界での名門〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次へもちかけ、快諾をもらった。
(参照: 〔鈴鹿〕の弥平次・3代目の項)

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年齢・容姿:40すぎ(寛政元年 1789)。容姿の記述はないが、引き締まった躰つきと想像する。
生国:故郷の越中(えっちゅう)に老いた両親がいる---とあるが、越中には「己斐」という村はない。それで探したのが、婦負郡(ねいこおり)小井波(こいなみ)村(現・冨山県婦背負郡八尾町小井波)である。砺波郡(となみこおり)井波村は池波さんの先祖の地である。そのまま使うのは照れもあり、小井波村の前半分を借りて「己斐(こい)」としたのではなかろうか。
安芸(あき)国佐伯郡(さえきこうり)己斐(こい)村(現・広島県広島市西区己斐)も考えたが、故郷が越中とあるから、とるわけにはいかない。
蛇足だが、「己斐」ルビを池波さんは(こひ)としているが、元和5年(1619)の安芸国の「知行帳」は「こい村」である。

探索の発端: 〔大滝〕の五郎蔵が現役のお頭だった時分、日本橋南1丁目の呉服問屋〔茶屋〕の間取り図を万三から買ったことがある。そのことを、「お縄にはしない」との約定のもとに鬼平に話した。
鬼平は、五郎蔵に破牢の形をとらせて万三を探らせた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項 )
かつて〔蓑火(みのひ)〕の下にいた〔大和屋〕金兵衛を五郎蔵が見張っていると、果たして、万三と文助があらわれた。

結末:間取り図を買うといった〔鈴鹿(すずか)〕の弥平次の3代目(40がらみ)は、悪だった。
〔己斐(こひ)〕の文助をなぐりつけて殺し、詭計をこらして万三を呼びだし、見取り図を奪い取ろうと---。その瞬間、鬼平が乗りこんで命をすくった。

つぶやき:シリーズの連載2年半目あたりのこの篇は、『鬼平犯科帳』のいちばんいい面---鬼平の人品の秀逸さ---小さなことは情で裁き、大きなことは法にまかせて密偵たちを心服させるところが遺憾なく描きこまれている。
吉宗の時代に整備された法の適用基準---一事一様は間違いではないのだが、とかく杓子定規になりかねない。鬼平が用いるのは、一事両様、すなわち、人情味の味つけの巧みさである。

追記:
井波町は市町村合併で、2004年11月1日に南砺市の一分となった。

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コメント

懐かしい地名です。若い頃己斐(こい)の近くで暮らしてました。
広島市の西に位置し、路面電車の終点で、宮島線に接続しています。

広島県生国の二人目の盗人ですね。

投稿: みやこのお豊 | 2005.09.29 20:01

地縁ものは強い---とかんがえて始めた「探索日録」ですが、いまのところ、おもったほどの効果があがっていないのは、やはり、PR不足か、テキストが面白くないか。

投稿: ちゅうすけ | 2005.09.30 16:37

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