〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻3におさめられている[艶婦の毒]で、27歳の銕三郎(鬼平の家督前の名前)が、京都で親しんだ女性・お豊(24,5歳)がやっていた茶店〔千歳〕の老爺が、じつは〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門と名乗る盗っ人だった。
(参照: 女賊お豊の項)
お豊のはげしい情欲におぼれていた銕三郎の目をさまさせたのは、京都西町奉行所の実直な与力・浦部源六郎(中年)であった。
伏見稲荷前で捉えられた老爺が〔男鬼(おおに)〕の駒右衛門とわかり、お豊も、上方から近江をテリトリーとしている盗賊〔虫栗(むしくり)〕の権十郎(先代)一味と知れた。
年齢・容姿:60をこえた、とのみでほかは記述されていない。
生国:近江(おうみ)国坂田郡(さかたこうり)男鬼(おおり)村(現・滋賀県彦根市男鬼町)。
逮捕の経緯:大坂を根拠にしていた〔千里(せんり)〕の草平が獄門になったので、その手下だった駒右衛門は、しばらく小泥棒をしてしのいでいたが、10年前、大坂町奉行所の盗賊方の同心・平山亀蔵につかまったものの、縄ぬけしてうまく逃げおうした。
それが、公用で京都へ出張してきた平山同心に、伏見稲荷の人ごみの中にいた亀蔵が見かけられ捕まった。
浦部与力の情けあつい尋問に、亀蔵は茶店〔千歳〕のお豊のことを白状におよんだ。
つぶやき:「男鬼(おおり、または、おうり)」という名の村が現実に存在していたことを知ったときの驚きといったらなかった。しかし、それが近江国とわかったときには、納得した。池波さんが綿密に取材した県の一つが滋賀県であることを知っていたからである。
とくに彦根市には愛着をおぼえていた、とエッセイに記している。
聖典には(おおに)とルビがふられているが、地元では(おおり)と呼んでいる。村名の由来は、霊山寺7別院の1つ、男鬼寺にちなむと。
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