カテゴリー「125京都府 」の記事

2012.02.23

〔荒神(こうじん)〕の助太郎の死

(これほどまでに公私の別をはっきりなさるご仁だったとは---)
屋敷あてに届いていた京都の禁裏付・建部(たけべ)大和守広殷 (ひろかず 58歳 1000石)からの飛脚便を開披しながらの平蔵(へいぞう 40歳)の感想であった。

上(かみ)の禁裏付として赴任する建部大和守に、京都に本拠をおいていた盗賊の首領・〔荒神こうじん)〕の助太郎の消息がお耳にはいったらご一報いただければ幸いと依頼しておいた。

参照】2011年11月17日~[建部甚右衛門、禁裏付に] () () (
2011年12月21日~[建部大和守広殷を(見送る)] 

おもいかえすと、〔荒神〕の助太郎という盗賊が平蔵の人生になにかとかかわってくるようになったのは、銕三郎(てつさぶろう)を名のっていた14歳のときからのことであった。

参照】2007年7月14日~[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] () () 

この旅で銕三郎は、自分の青春でもっとも印象深い体験をした。
40歳で4児の父となっているいまおもい返しても、甘ずっぱい快感が胸と股間をはしる。
男といものの甘っちょろい感傷としかいいようがないが、すべての男が経験できる甘美ではない。
もしかすると、万に一つの幸運を引きあてたのかもしれないと、いまはおもう。

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ

その後、助太郎の姿を見かけたのは、小田原城下のういろうの店の前での1回こっきりだが、かの盗賊の所業は、平蔵の人生にからんできていた。

助太郎の仕事(つとめ)の探索で掛川城下へおもむき、お(りょう 30歳=当時)と再会、相良までの短い旅をともにしたが、こころはともかく、躰の結びあいは、その旅が最後となった。

参照】2009年1月24日[銕三郎、掛川で] (

建部大和守の書簡によると、京都西町奉行所の与力・浦部源六郎(げんろくろう 60がらみ)を一夕、相国寺門前町の上の役宅に招き、平蔵の話に興じ、話のついでに〔荒神〕の助太郎のことを持ちだしてみたところ、役所の記録をしらべてくれ、助太郎の病死によって〔荒神〕一統が解散、その残党をまとめていた近江・大津在生まれの〔穴太(あのう)の幾次(いくじ 55歳)の留め書きの写しがとどけられたという。

写しには、助太郎の連れあい・お賀茂(かも 50代半ば)と独りむすめのおは、助太郎の死とともにいずこともなく去ったとあった。

ついでのことに付記しておくと、16歳で父・忠助ちゅうすけ)を失ったおまさは、いったん〔乙畑おつばた)〕の源八(げんぱち)の配下にいたが、18歳のころに〔荒神〕の助太郎のところへ移り、名護屋で仕事中に仲間の〔夜鴉(よがらす)〕の仙之助(せんじろう)にレイプされたことは、平蔵は知らない。

参照】2005年3月3日[おまさの年譜

助太郎の死をしらされた平蔵が、生涯のライバル---というか仮想の敵将を失ったような、軽い虚脱感をおぼえたのも事実であった。
(この事実を、知行地の寺崎村で竹節人参づくりをしている太作(たさく 70すぎ)爺ィやにだけは知らせてやらないとな)

そうだ、建部大和守の追って書きも加えておくことで、平蔵の追悼の気持ちを代弁しておこう。

穴太幾次が処刑の前に与力の一人にしみじみとした口調で洩らしたそうな。
「〔荒神〕のお頭は、
一、盗まれて難儀(なんぎ)するものには、手をださぬこと。
一、盗めをするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめにせぬこと。
金科玉条としてお守りになったよって、畳の上で姐(あね)はんやお夏(なつ)はんに看取られて大往生なさんしたに、わては手下のしめつけを手ぬかったがために打ち首になるいうのんも、頭としてのこころがけの差でおますわなあ」

参照】『鬼平犯科帳』文庫巻23[炎の色]p74 新装版p

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2011.07.18

〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛

『鬼平犯科帳』巻16[見張りの糸]に、東海道の江戸への入り口---芝・田町7丁目に面した三田八幡宮門前に、15年ほど前に京都から下ってはき、社仏具類の小体(こてい)な店かまえの〔和泉屋〕をだした元盗賊の頭とある。
三田八幡の鳥居の脇の茶店〔大黒屋〕の持ち主が盗賊・[稲荷(いなり)〕の金太郎とふんだ火盗改メ・が〔和泉屋〕忠兵衛(ちゅうぺ゛え 70近い)に2階の一と間を見張り所にかりうけたことから、事件にかかわってしまった。

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三田八幡宮(『江戸名所図会」 塗り絵師:ちゅうすけ)

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年齢・容姿:面長の、品のよい顔だちで、眉毛が雪のように白い。70歳近い。
息子・源四郎は40すぎで、女房・お弓には子がいない。
奉公人の太助は45,6。
生国:山城国綴喜郡(つづきこおり)八幡宮領橋本町堂ヶ原郷(現・京都府八幡市橋本堂ヶ原)。
いまごろ、〔堂ヶ原〕忠兵衛をとりあげたのは、じつは数年前に盗賊の出身地調べていたとき、堂ヶ原は、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治38年-)で拾えなかった。
今回、八幡市役所の文化財保護課の出口さんに教わったところでは、村という単位以下の高みの地区とのこと、道理で『旧高旧領取調帳』でも検索にひっかからなかった。
Google map の検索でヒットし、見当がつき、調査が一気にはかどった。

江戸の三田八幡宮と京都の石清水八幡宮---という八幡宮つながりの設定もおもしろい。

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(石清水八幡宮 『都名所図会』)

探索の発端:20数年前、亡父・備中守宣雄が京都西町奉行として赴任していたとき、銕三郎(てつさぶろう 27歳)はふとしたきっかけで茶店〔千歳(ちとせ)〕の女主人で女賊のお豊(25歳)と睦みあったこ。
その銕三郎をかばった同町奉行所の与力・浦部源六郎(げんろくろう 中年=当時)が、公用で江戸へやってき、〔大黒屋〕を見張っている木村忠吾の仕事ぶりを見分したとき、〔和泉屋〕の店主・忠兵衛は、西町奉行所をさんざんてこずらせたうえに消息を断った〔堂ヶ原〕一味の頭領・忠兵衛であることを鬼平に耳打ちして帰京していった。
その忠兵衛を兄の仇と狙っていたのが盗賊浪人・戸田銀次郎であった。〔堂ヶ原〕一味であった彼の兄は、一味
掟てを破り、押し入り先でおんなを犯し、血を流させたために仕置きされた。
戸田浪人たちが忠兵衛を襲った夜、ある予感から〔和泉屋〕の見張り所へ来ていた鬼平に戸田一味はなんなく捕縛されてしまったが、鬼平は〔大黒屋〕ほかを盗人宿としている〔稲荷〕の金太郎一味の全員の手くばりをおえるまで、何事もなかったように、忠兵衛に店を開かせ、〔稲荷〕一味を安心させておいた。
〔堂ヶ原〕一味をたばねて正統派の掟をまもらせていただけの器量をそなえている忠兵衛は、その役をみごとに果たした。

結末:]息子・源四郎の入牢は書かれているが、その妻・お弓が女賊であったとは記されてはいない。
元〔堂ヶ原〕一味の小頭格であったらしい太助は、戸田浪人一味に惨殺された。
忠兵衛の結末については、記されていないが、〔和泉屋〕は近隣へのあいさつもなく店仕舞いをし、一家は消えたとあるから、15年前までの所業により、死罪を受けたものと推察できる。
そうでなければ、近隣へなんらかのあいさつをしているはずである。

つぶやき:2011715[元盗賊〔堂ヶ原(どうがはら)〕の忠兵衛]の項にも書いたとおり、犯さず、殺さず、貧しき者からは盗まずの本格派盗賊の3戒を守りきって15年も前に廃業、足を洗っ正業にはげみ、火盗改メの見張り所として一部屋提供したほどなのだから、目こぼしがあってもよさそうなものだが、そうおもうのは、読み手の肩
入れのしすぎかも。

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2009.01.04

明和6年(1769)の銕三郎(4)

(てつ)さま。〔荒神(こうじん)〕の助太郎の消息がお分かりになったら、どうなさいます?」
寝床の中で、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 30歳)が、銕三郎(てつさぶろう 24歳)の乳首を小指の先ではじくようにもてあそびながら訊いた。
銕三郎が伝授料を払い終わっての、けだるいひとときであった。

「見かけたのか?」
銕三郎が、おもわず身をおこす。
「風が入りますから、伏せったままでお聞きくださいませ。いいえ、見かけたのではありません。ご府中でのお盗(つと)めの手順が、〔荒神〕組のそれのようにおもえるだけですが---」

参照】[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

駿府(静岡)城下・呉服町の小間物の老舗〔五条屋〕が襲われた。
店は、人宿(ひとやど)通りとの角にあり、呉服町通りに面した側では京から仕入れた簪(かんざし)などの装身具のたぐいを、人宿通り側では京扇と袋ものを商っていた。
賊たちは、人宿通りから通じている猫道の台所口の戸締りの落とし桟(さん)のところを、鋭利な刃物で小さく切りとり、桟をあげて侵入した。

戸板を切りひらくときに濡れ手ぬぐいを何枚もかさねてあてて戸板を湿らせ、音を消しているのと、全員の胃の下の急所を棒で突いて気絶させてから、金蔵の鉄の錠前を金鋸で切り破っているところ、竃(へっつい)の上に新しい荒神松を飾って引きあげたところが、それである。

「ややを背負った女賊はいなかった?」
「〔瀬戸川(せとがわ〕の代役からは、そのことは聞いていません」
「〔瀬戸川〕の源七どのは、いま、江戸に?」

参照】[〔瀬戸川〕の源七] (0) (1) (2) (3) (4)

「そのことは、さまでも、あかすわけにはまいりません」
「そうであったな。いや、せんないことを訊いてしまった。許せ」
「いいのです」

いきなり、おがかぶさってきて、耳元で、ささやいた。
(かつ 28歳)ともども、しばらく、江戸を離れます。お頭からのお指しずです。どこへ行くかは、お訊きにならないでください。胸がいたみますから」

「いつ、発(た)つ?」
「明朝---」
「四谷口か。本郷追分か。それとも高輪口か?」
高輪口、を口にしたとき、上に乗っていたおの下腹がかすかに揺れたのを、銕三郎は感知した。

「どのぐらいのあいだ、ご府内を留守にする?」
「多分、あのお方に、ややがおできになったころ」
「そうか。おの軍学を、もっと習(さら)っておきたかった」

翌朝---明け六ッ(午前6時半)すぎ。
永代橋の上で、手をふっている銕三郎に、小舟の上からおとおも手拭いをふって応じていた。

舟が橋をくぐると、銕三郎は、川下側の欄干へ移って、なおも手をふった。
も橋の上の銕三郎の姿が石川島岸にもやっている帆船群と木立にさえぎられるまで、懸命に手拭いをはためかせ、そのまま双眸にあて、しばらく嗚咽していた。
そのことを、銕三郎はしらなかった。
杭上で休んでいた都鳥が怪訝そうなに眺めているだけであった。

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(永代橋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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2008.03.27

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(10)

長谷川さま。須賀(すが 27歳)の奴が、面白いことをおもいだしやしたんで、お耳へ入れとこうと思いやして---」
風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳 元・箱根山道の雲助の頭格)が、訪ねてきて勝手口へまわされたことにも不服げな顔をしないで、話しかけた。
「お待ちなさい。拙の部屋で聞きましょう。内玄関へまわってください。拙が上がり口でお待ちしています」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの小説の鬼平)がさえぎった。

武家の屋敷の式台のある表玄関は、めったな者でないと通されない。
銕三郎のような家族でも、公式の出入りのほかは、脇の内玄関をつかう。

部屋へ落ちつくと、
須賀がいいますには、どでかい腹をして箱根の関所抜けをした助太郎じじいの情婦(スケ)---あ、すみません、下じもの言葉づかいで---」
「いつだって、どこでだって、かまいません。権七どの言葉でお話しくださればいいのです。前にも申しましたが、われわれが相手にしているのは、盗賊や博徒です。彼らのしっぽをつかむには、権七どののふだんの言葉でなくてはなりません」

〔五鉄〕から帰った夜の権七---。
店の表の行灯の灯を落としてから、客たちが使ったぐい呑みや皿などを洗い場の水桶にぶちこみ、須賀と向きあって寝酒を飲みながら、京なまりのある助太郎の情婦は、上方から三島辺へ流れてきた女ではないかと、銕三郎が推理したと言うと、
「幾つぐらいの妓(こ)?」
「大年増の、26,7前後とみたが--」
「京言葉も遣(つか)える26,7歳ねえ---あ、あの妓(こ)じゃ、ないかな」
「あの妓(こ)じゃ、通じねえぜ」

権七の情婦(いろ)になる前の須賀が座敷女中をしていた本陣・〔樋口伝左衛門方と向いあって、次の格をもつ本陣・〔世古郷四郎方に、2年ほど前、京そだちというふれこみで女中に雇われた賀茂(かも)という、自称22歳---けれども、どう見ても26,7の大年増としかおもえない、顔はそれなりに整っているのだが、手足に脂肪がついていない妓(こ)がいた。

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(東海道をはさんで、赤○=本陣〔樋口〕 青〇=本陣〔世古〕
三島市観光協会のパンフレットより)

_150同輩の女中たちがいうには、賀茂には本陣の女中にはそぐわない2つの癖があったと。
その一つは、酒好き。本陣は、大名一行の早発(だ)ち(七ッ=4時か七ッ半=5時)にあわせて、女中たちを、夜の四ッ半(9時)には仕事から解く。
賀茂は、それから女中部屋をよく脱けだして、呑み屋で独り酒をする。
酔っぱらった男たちが酒を手に言い寄るが、まったく無視するので、「あれは女男(おんなおとこ)」とのうわさされていた。つまり、女同士で睦みごとをする者というわけ。
じじつ、〔世古〕の女中で、立ち姿のいいのが、賀茂から誘われて、気色(きしょく)悪がられていたという。
「立ち姿がいいっていやあ、須賀もなかなかのものだが、目をつけられなかったのか?」
「趣味が合わなかったんでしょ」
「趣味か。おれなんざぁ、須賀にぞっこんだったが---」
「なに、言ってんの。力ずくでものにしたくせに---。いまは、お前さんの話じゃないでしょ。賀茂さんでしょ」

1年ほど前、賀茂が〔世古〕の女中部屋から、ふぃっと消えた。
その少し前から、男ぎらいでとおっていた呑み屋で、40代半ばかとおもわれる色のあさぐろい、躰がひきしまった、宗匠頭巾の男と、親しげに差しつ差されつしている賀茂が見られている。
こっぴどく肘鉄(ひじてつ)をくらった腹いせもあって、呑み客たちの口は容赦がない。
「女男なんだから、相手がばばあというのなら分かるが、じじいというのは合点がいかねえな」

「あたしたちが三島を離れる1ヶ月ほど前に、三島宿(しゅく)の北、神川(かんがわ)脇の賀茂社の御手洗(みたらし)場で、新造ふうにいいへべを着た賀茂さんが、げえげえ、罰(ばち)あたりな所作をやっているのを見たって聞いたんですよ。その時には、呑みすぎって思ったけど、お前さんの話だと、悪阻(つわり)だったのかもね」

「---というわけでやんして」
権七どの。大手柄です。須賀どのにもご褒美がでるように、本家の大伯父(長谷川太郎兵衛正直 まさなお 57歳 火盗改メ・お頭)に頼みましょう。しかし、これからがむずかしい。賀茂社の近くに、助太郎の盗人宿(ぬすっとやど)があるにちがいないでしょうが、うっかり踏みんで、せっかくの手がかりをつぶしてしまうより、その家を見張っておいて、次の手がかりをたぐるのが良策なのですが---」
仙次の奴にやらせやしょう」
「それでは、張り込みの仕方、尾行(つ)ける時のこころえなどを、今日のうちに書いておきますが、仙次どのは字が読めましたか?」
「仮名ぐらいは、手習所(てならいどころ)でおぼえているとおもいやすが---」
「こうしましょう。本陣・〔樋口伝左衛門方のお芙沙(ふさ 30歳 女主人)どのに読んでもらったり、入用(いりよう)の金も立て替えてもらうように、文をやりましょう」
「ほう。長谷川さまは、〔樋口〕に、ごっつく信用があるんでやすね」
「父上の信用です」
銕三郎は、内心の赤面を隠しながら言った。
しばらく忘れていた、14歳の夜の睦ごとが頭をかすめ、股間に血があつまりはじめた。

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(歌麿『若後家の睦』部分)

(いかぬ。阿記(あき 23歳 於嘉根の母)にすまない)

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(歌麿『歌まくら』 芦ノ湯小町といわれた阿記のイメージ)

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(歌麿『化粧美人』 阿記のイメージ)

権七どの。その盗人宿は、いまごろは、もう、空き家でしょうが、訪ねてくる者を尾行(つ)けることになりそうですから、長丁場になるとみておかねばならないでしょう。仙次どのの日当も、教えておいてください。太郎兵衛大伯父(火盗改メ・お頭)にねだりますから」

参照】〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

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2008.03.26

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(9)

「ありえやす。小田原への入り女の吟味は手軽でやすが、三島宿(しゅく)の側へ抜ける、出女に対する人見女の吟味は、ちらとでも怪しいと感じたら、それこそ、結(ゆ)い上げている髷(まげ)をばらばにほどいて、1本ずつ調べるそうです」
風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)は、箱根路の荷運びという商売柄、関所の改めには、裏の裏まで通じている。

「その孕み婦(おんな)だが、道中手形には、腹にややが入っていると書かれていたとおもうが、何ヶ月目とまで書くのかな?」
女のことには純情な岸井左馬之助(20歳)らしい疑問である。
「そりぁ、書きやすでしょう。そうか、3月目と書かれているのに、10日もしないうちに、臨月近くにまでふくれていやしたんだと、人見女は、素裸にしてでも吟味しやすな。それを恐れた3人組は、関所の裏道を抜けようと計りおった---」

そういう詮議は2人にまかせて、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの火盗改メ)は別のことの推察にひたっていた。

盗人・〔荒神(こうじん)〕の助太郎(45,6歳)の情婦が、仮に妊婦だったとして、腹に小判を巻いて裏道を抜けた。
金は躰を冷やすというが、腹の中の子に悪いことは及ばなかったであろうか。わずか1日のことでも、海につかったばかりに、子が流れてしまったという話を聞いたような気がする。

つづいて、阿記(あき 23歳)と、自分の子にちがいない1歳3ヶ月の幼児を想像した。

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(歌麿 [針仕事]部分)

(尼寺では、腹のややに障るようなことはなかったであろうか?)
耳に、幼児の「きゃっきゃっ」という笑い声が聞こえたように思えた。

煮えあがったしゃも鍋から、しゃもの身を小鉢にとりながら、左馬之助が言う。
つぁん。何百両巻きつければ、臨月近いでか腹になるかな?」
左馬さんは、純情でけっこうだな」

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「馬鹿いうな。これでも、密偵になった---」
「しー」
「---おぬしたちの手伝いをしておるつもりだ。なにも、刀技(かたなわざ)だけがわしの得手ではない」
「わかったから、しばらく、放っておいてくれ。いま、考えごとをしているのだ」
「考えごととは、どんな?」

権七どの。あの者たちは、荷を権七どのに持たしたと---」
「へえ。山道はつらいから、といいやして、すっかり---」
「それだ」
「えっ?」
「わざとそうして、小判を運んではいないふうを装ったのです」

「なぜ?」
権七どのに証言させるために---」
「するってえと---?」
「そうです。投げ文をしたのも、あの者たちでしょう。権七どのを調べさせるために」
「なんとも、憎い奴らで。しかし、投げ文は、江戸口門の目安箱に---」
「金をつかませれば、やる旅人はいくらでもおりましょう」

権七どの。あの者たちと別れたところは?」
「関所を抜ければというので、三島宿の手前の、けもの道が箱根山道に近づく、馬坂社の境内で別れて、あっしは、お須賀の店へ泊まりやした」

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(懐中「東海道中道しるべ」 三島口 緑○=馬坂社あたり)

「時刻は?」
「孕み婦(おんな)の足が遅えもので、7ッ(午後4時)をまわっておりやした」
「2月の7ッだと、もう、日が落ちかかっていますね」
「へえ」
「その者たちは、三島宿(しゅく)の旅籠(はたご)には入っておりませぬ。身重女が一晩で並み腹になったのでは疑われます。三島宿のどこかに盗人宿(ぬすっとやど)を置いていたのでしょう」
「するってえと、駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷というのは?」
「目くらまし、です」
「ぬけぬけと、ようもようも、この権七さんを嵌めやがったな」

「どんなに悪賢い者でも、手ぬかりの一つや二つはあるはずです。悪者との知恵くらべと言ったのは、このことです」
「わしには、手におえぬわ」
左馬之助がはやばやと降りた。
左馬は、純情と剣技がとりえなのです」

「手ぬかり---といいますと?」
責任を感じた権七が、何かの手がかりを思いだそうとして、訊いた。

銕三郎の言ったのは、小判を腹に巻いて、身重婦(みおも おんな)に見せかけるという思いつきは、ふつうには出てこない。
その情婦は、道中手形に書かれていたとおり、じっさいに孕んでいたのであろう。

ちゅうすけ付言】その婦(おんな)の腹のややは、のちに2代目荒神(こうじん)〕のお夏として文庫巻23長編[炎の色]に池波さんが登場させ、未完の長編[誘拐]おまさをかどわかさせた女賊であろう。

腹に子を宿した者が、長く歩いたり駕籠にゆられたりするものではない。
住まいは三島か、その近在。
そこで、ややが安定する、腹帯の時期の道中手形を書いた庄屋なり寺なりを、三島宿の代官所で調べさせれば、容易に女の素性が割れるはず。
京なまりがあったということは、生まれがそうで、なにかのことで下ってきて、三島あたりに住みついていて、助太郎の情婦になったとおもえる。
ねらい目の一番は、旅籠の女中か飯盛り女であろう。

「とりあえず、おもいつくのは、このあたり」
「さすがでやす、長谷川さま」
「いや。助太郎たちは捕まるまい。いまごろは、上方のどこかで、のうのと暮らしていよう」

参照】〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

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2008.03.23

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(8)

母・(たえ 40歳)は、あたふたと旅支度をととのえ、女中・有羽(ゆう 31歳)と下僕・吾平(ごへえ 46歳)をお供に、箱根・芦ノ湯村へ発った。
「拙がお供をせずとも、大丈夫ですか? 母上」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)の問いかけに、
「寺崎への往復の距離です、なんということはない。銕三郎がいては、阿記さんの本音が聞けませぬ」
まるで、夫・宣雄(のぶお 47歳 先手組頭)の及ばないことに解決の手がかりをつかむのが、楽しくてたまらないといった意気込みである。
父の陰に寄り添っているようにしていたこれまでの母の、別の顔を見たようで、銕三郎は、女というものの不思議さを、また発見したのであった。

ちゅうすけ注】上総国武射郡(むしゃこおり)寺崎村には、長谷川家の知行のうち220余石分があり、の実家は同村の村長(むらおさ)の戸村家

永代橋の西詰まで見送り、早すぎるとはおもったが、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)の女がやっている呑み屋〔須賀〕の戸をたたいた。

寝着姿の権七が、
「だれかと思えば、長谷川さま。いったい?」
母を川向うまで見送ったところだと聞いて、
「芦ノ湯村へ?」
「そうなのです。阿記(あき 23歳)どののこころの内を聞くのだ---と」
「お話しになっちまったんですかい?」
「子どものことを、放っておくわけにはまいりません」
「わざわざ、波風を立てることもないとおもいやすがねえ。まあ、ことが始まったんじゃ、しょうがない」

昨夜の片づけができていない客台に腰を落ちつける。
権七どの。昼間は躰が空いていますか?」
「いまのところは、昼間も夜も空いてまさあ」
「空いている躰を、大伯父のために、お借りできますか?」

銕三郎は、火盗改メの本役に任についている、本家の太郎兵衛正直(まさなお 56歳 先手・弓の7番手組頭)の名を出した。
「密偵?」
「怪しいと見た者の素性を調べたり、開かれている賭場をつきとめたり---です。手当ては、とりあえずは少ないでしょうが、手柄を立てれば、褒美もでるとおもいます」

長谷川さまのお言葉ですが、人を売るってのは、どうですかねえ」
「売る---とおもわないで、悪者との知恵くらべだと思えば---」
「なるほど---」
「父上は、先手の組頭に就かれました。この先、いずれは火盗改メを命じられましょう。その時のために、手口を集めておきたいのです」
「わかりました。お手伝いいたします。しかし、命がけの仕事になりますぜ」
「そのつもりです」

午後、2人は一番町新道の屋敷で、太郎兵衛正直に密偵のことを申し出た。
「報酬は少ないが、やってくれると助かる」
そう言った太郎兵衛に、
「お頭(かしら)さまにお願いがございます。、あっしが箱根でやりましたご定法破りを、この密偵仕事で帳消しにしていただきとうございます」

権七の定法破りとは、関所抜けだった。まとまった金で、女づれの2人の男たちを、箱根のけもの道を案内して三島へ抜けさせたのが露見したのだという。

「いや、長谷川の若さまもご存じの、関所の小頭・打田内記(ないき)さまや添役(そえやく)・伊谷彦右衛門さまのお顔をつぶしてしまいやした。これを帳消しにお願いいたしとうございます」
そのかわり、3人の名前と潜み場所を密告(さ)すと---。

「金主(きんしゅ)は助太郎といい、年配で細身の、そう、45,6と見ました。女はその情婦らしく、身重のようでやした。もう一人の男は、と呼ばれておりやした」
権七どの。26,7の男のほうは彦次と申しませんでしたか? それなら、女はその彦次の連れ合い---」
「いえ。いつも、とのみ---それから、女は年配の男の若い情婦に間違いございませなんだ。長谷川さま、おこころあたりでも---?」
「その一味ですよ。小田原の薬種屋〔ういろう〕で盗みを働いたのは---。呼び名は〔荒神〕の助太郎---。京都の荒神口で太物屋をやっていた男です」
「そういえば、女には京なまりがありやした」

【参考】〔荒神〕の助太郎のことは、2007年7月14日~[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4)
2007年12月28日[与詩を迎えに] (8)
2008年1月25日~[〔荒神〕の助太郎] (5) (6) (7) 

銕三郎は、2年前、本多采女紀品(のりただ)が火盗改メの時に、〔荒神屋〕の助太郎のことを告げ、京都所司代・阿部伊予守正右(まさすけ 39歳=当時 備後・福山藩主 10万石)に手配を頼んだが、京都東町奉行所が御所の東の荒神口の〔荒神屋〕へ踏み込んでみると、もぬけの空だった1件を、大伯父・太郎兵衛正直に告げた。

「して、その3人の者たちのひそみ場所というのは---あ、待て。与力の高遠(たかとう)弥太夫を呼ぶ」
太郎兵衛正直は、高遠与力(46歳 200石)が現われると、権七をうながした。
「駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷と申しておりやした」

ちゅうすけのつぶやき】「駿州・志太郡(しだこおり)花倉郷は、『鬼平犯科帳』文庫巻7[雨乞い庄右衛門]で、心の臓をわずらった庄右衛門が若い妾のおと最初に隠れた下(しも)ノ郷の西隣の集落である。
ついでにいうと、長谷川家の祖先で、黒石川の下流・志太郡小川(こがわ)の豪族・法永長者長谷川正重 まさしげ)が伊勢新九郎(のちの北条早雲)を援けて、その縁者・北川殿の産んだ今川義忠の嫡子・竜王丸を匿ったのが花倉城と。

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(駿州・志太郡 赤○=小川 青丸=花倉)

太郎兵衛正直高遠与力に、駿府城代・花房近江守職朝(もととも 50歳 6220石)への依頼と、小田原藩・箱根関所の長役(おさやく)への、権七の赦免状を命じた。

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2008.01.27

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(7)

長谷川さま。遠国(おんごく)の盗賊というのは、みごとな推しはかりと感心しましたが、ああ、簡単に教えちまって、よろしいんですかい?」
箱根関所の番頭(ばんがしら)の副役(そえやく)・伊谷彦右衛門が引きあげると、権七(ごんしち)が不服げに言う。
「あの調子じゃあ、己れが考えたみてえに、町奉行所へ伝えますぜ」
「それはかまわないのです。だれの発起(ほっき)であれ、盗賊が捕まりさえすれば、それがお上(かみ)へのご奉公だし、城下の人たちも安心できるのですから」
と一応、なだめておいて、銕三郎(てつさぶろう)は、
権七どの。拙は2度、〔ういろう〕店で、〔透頂香(とうちんこう)を買っております。このたびの旅と、4年前、藤枝宿に近い田中城下へ行った帰りと、です」

銕三郎によると、2度とも、売り婦(こ)の応対に上方(かみがた)なまりがあった。もちろん、4年前とこのたびとでは、人は異なっている。それで、〔ういろう〕は、先祖が京・西洞院(にしのとういん)錦小路の出ということを匂わせるために、京言葉を話す売り子を、わざわざ、上方から連れてきているのではないかとおもったのだと。

ちゅうすけ注:】
呉服や小間物、扇(文庫巻11で、引退した〔帯川(おびかわ)〕の源助が神谷町にだした京扇の店〔平野屋〕をみても分かりますね)は、京からの下(くだ)りものが上等なのである。酒は灘や伏見からの下りものが喜ばれた。だから、江戸近郊でできたものは「下(くだ)らない」ものと。
【参考】2005年2月5日〔帯川(おびかわ)〕の源助  [11-3 穴]p96 新p100
2004年12月21日〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛  [11-3 穴]p97 新p102

「そういえば、ほとんどの売り子は、裏で製剤をしている職人と所帯を持たされるとか、聞いたような気もします」
「その、秘伝の薬剤を調合している職人たちも、上方の男ではないのでしょうか?」
「いえ、それはないようにおもいます。あっしが生まれた風早(かざはや)からも、知り合いの若いのが1人、薬草刻み職として働いておりやすから」
「その人は、風早からの通いですか?」
「とんでもねえこって。〔ういろう〕の店の裏の作業場の2階の薬くさい部屋で、独り者の職人たちといっしょに寝泊りしているとか。そのことがなにか?」

「いや、そのことではなく、盗人側のことを考えているのです。侵入してきた盗賊たちは、ひと言も声をださなかったということでしたね」
「そのことで、江戸の火盗改メに記録を問い合わせてみろ---とおっしゃいましたが---」
「それもありますが---戦(いくさ)の場では、軍団のかかり・進退・展開は、太鼓やほら貝で知らせます。その盗賊一味は、なんの合図で動いたのでしょうね?」
「はあ---」
「持ち場持ち場へつき、割り当てられた仕事にとりかかる---といった合図が、きっと、きまっていたはずです。ということは、よほどに場数をふんで手なれた連中だったということです」
「12,3人ですからねえ」
「侵入した者たちのほかにも、見張り役が3,4人はいたはず」
「なるほど。冗談を言わせていただきますと、長谷川さまは、まるで、盗みの軍師をなさっていたみたいですな。ははは」

女中頭が預けておいた与詩(よし 6歳)を連れてきて、食事のことを告げた。
「申しわけないが、1人分、追加です。まず、酒を呑(や)っていますから、そのあいだにでも、みつくろって運んでください。この子の分は、酒といっしょにお願いします」
すばやく、紙に包んだこころ付けをたもとへ入れる。
「まあまあ。ありがとうございます」

盃を満たしてやりながら、
権七どの。この子の前では、〔ういろう〕の話はおひかえください」
「合点です」
「あにうえ。わたし、しっています。おばさんたち、はな(話)しておりました。おとし(落し)、あげたもの(者)が、いるって」
「ほう。与詩も、そうおもいますか?」
「おとし、わかりましぇん---せん」

「戸締まりのことです。でも、与詩は、そのことよりも、ご飯をこぼさないで食べることです」
「おふさ(芙沙)ははうえ(母上)からいただいた、さじ(匙)がありまちゅ---ます」
権七が、なにか言おうとして、やめた。
(三島宿の本陣〔川田〕のお芙沙のことだな)
察したが、銕三郎も見て見ぬふりをした。

権七の盃を満たしながら、
権七どの。今夜は、どこへお泊まりになりますか?」
「荷運び雲助たちの定宿が、三島町にあるんでさあ」
「この夜道を三島までお帰りですか?それじゃあ---」
「いえ。箱根宿の三島町です。ここからほんの半丁です。三島町の東側が小田原町。小田原町の旅籠は小田原藩の支配で、三島町の旅籠は伊豆代官所の所轄というきまりになっていおりますんで。そうそう、ゆっくりはしておれません。では、明朝五ッ(8時)に、馬でお迎えに。ご馳走さまでした」

関所の大門は暮れ六ッ(午後6時)には閉めるが、宿場は関所の西側にあるので、権七が定宿へ行くには、通用門に声をかけてを開けてもらうまでもない。ついでにいうと、通用門は、権七のような顔見知りの者なら五ッ半(9時)までは通してくれる。

〔めうが屋〕の女中頭・都茂(とも)と別の旅籠に今夜の部屋をとり、食事をすませた藤六(とうろく)が、あがってきた。
銕三郎は、酒をもう1本、追加した。

_200_2「骨を折らせて、すまぬ」
「いえ。しかし、食傷していないわけではありませぬ」
2人は、すでに寝息をもらしている与詩のほうを見やりながら、声をころして笑った。
(都茂とすれば、今宵が藤六との最後の夜となると、おちおち眠ってはいられまい)

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(国芳『葉奈伊嘉多』部分)

銕三郎は、45歳の藤六の躰をいたわったが、どうなるものでもない。
「ま、明日は、五ッ発(だ)ちだ。そのことをいいきかせてやるんだな」
「はい」

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2008.01.26

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(6)

「お関所の、副役(そえやく)さまが、お見えになりました」
本陣・〔川田角左衛門方の番頭が、案内してきた。

【参照】よみがえる箱根関所

銕三郎(てつさぶろう)は下座へさがって迎える。
(腹の中では、何用?)と案じている。
従ってきたのは、足軽小頭(こがしら)・打田内記であった。
「おくつろぎのところ、突然に参上し、申しわけござらんが、藩の正木ご用人さまから、お困りのことはないか、お尋ねするようにとのことでありましてな」
箱根関所の総責任者・番頭(ばんがしら 伴頭とも書く)の副役・伊谷彦右衛門と名乗った。小田原藩には、伊谷某という用人がいるから、その一族の末流であろう。しかし、銕三郎はそのことは知らない。

風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)が、恐縮して、失礼するというのを、銕三郎打田小頭と目を見合わせ、
「いや、そのまま同席していてください。権七どのも耳に入れておいたほうがよろしいお話もでるやもしれませんゆえ」
と制して、
「申し分なく、くつろがせていただいております。それに、打田小頭さまに、ひとかたならぬお世話をいただきまして、ありがたく存じおります」
「それなら、けっこう---」
伊谷さま。ちょっと失礼して、この娘(こ)を、帳場に預けて参ります」

与詩(よし)を女中頭に渡して部屋へ戻り、
田沼意次 おきつぐ)侯には、父が入魂(じっこん)にしていただいております。拙は、一度だけ、田中藩のご老公・本多正珍(まさよし)侯のところでお目にかかったことがございます。器量の大きな、法にきびしいお方と拝察いたしました」
「じつは身どもなども、田沼侯が相良領に封された4年前(1759)のちょうどいまごろ、領内ご検分のために箱根をお通りになり、その時にお顔を拝したきりでござる。
お帰りは、相良湊から船だったために、拝顔できませぬでな。ははは。
いや。ご用人・三浦庄ニさまは、ご領内へちょくよちょくお出でになるので、親しくお言葉をいただいており申す。
じつは、そのことでござる。番頭(ばんがしら)が、この箱根細工を、三浦さまへお届けいただきたいと申しておりましての」
「お預かりいたします」

参考
2007年7月20日[田沼主殿頭意次(おきつぐ)] (続) 
2007年11月24日[田沼意次の虚実] (1) (2) (3) (4)
2007年8月12日[徳川将軍政治権力の研究] (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) 

「ところで、3日前に、城下の薬舗〔ほうらい〕に賊が入ったことはご存じかな?」
「はい、これなる権七どのから、聞きましたが---」
「賊が、関所を通るやも知れぬから、警戒を厳重に---との町奉行からの指示ですが、顔に盗賊と書いて通るのであればともかく、ふつうの顔で通られては、関所としても、手のつけようがござらぬ」
「西へ上るとの見込みがございますのですか?」
「いやいや、皆目、見当もついていないようなありさまでして---」
「お役目、ご苦労さまでございます。江戸の火盗改メ・助役(すけやく)をしておられる本多采女紀品(のりただ)さまとは面識がありますから、なにか、お伝えすることでもありますれば、お伝えいたしますが---。もっとも、帰りに江ノ島詣でをいたしますので、ふつうよりも、3,4日、遅くに江戸へ戻ることになりますが---」

「ひとつ、お訊きしてよろしいでしょうか?」
「なんでござる?」
「この半年のあいだに、大きな前金を払ってご城下に借家をした者を、お調べになったのでしょうか」
「そのようなこと---どうだ、打田、耳にしているか?」
「いえ。いっこうに---」
長谷川どの。借家の件と、賊とのあいだに、なにかかかわりでもあるのでござるかな?」
「賊は、言葉をひとことも発しなかったと聞きました。ということは、なまりの強い連中とおもわれます」
「まさに---」
「とすれば、土地(ところ)の者ではなく、遠国(おんごく)から来た者たちやもしれませぬ」
「ふむふむ。ありえますな」
「揃いの黒装束だったとも---」
「さよう、さよう」
「旅籠で着替えて出たのでは、宿の者が気がつくはず。としますと、一軒家を借りていたのではないかと---」
「うーむ。理が通っておりますな。明朝にでもさっそく、奉行所へ早便を立てて、知らせてやりましょう」
伊谷さま。その時は、くれぐれも、拙の名は秘してくださいますよう。明夜は大磯泊まりにな.るため、小田原での足留めは困るのです」
「あい、わかり申した。関所の意見として申しおくりますですよ」


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2008.01.25

〔荒神〕の助太郎(5)

「芦の湯へ、なにごともなく、お送り申してめえりました」
さすが、箱根の荷運び雲助の主のような〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 31歳)である。1刻(いっとき 2時間)もかけないで戻ってきた。
箱根宿(はこねしゅく)から芦の湯村落まではほぼ1里(4km)---往路は阿記(あき 21歳)づれだから、半刻(1時間)以上を要したろう。帰路は小半刻(30分少々)でこなしている。

「駕籠衆や尾行(つけ)の若い衆への酒手は、十分に渡りましたか?」
銕三郎(てつさぶろう 18歳)が確かめた。
「多すぎるほどの、心づけでごぜえました」
「では、権七どの。もし、あとの仕事にさしつかえがなければ、ちょっと、呑(や)って行きませんか? 小田原宿の薬舗〔ういろう〕に入った賊のことも、もう少しお聞きいたしたいのですが---」

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(小田原・薬舗〔ういろう〕 『東海道名所図会』)

城下町・小田原宿を東西に貫通している東海道に面して繁盛している薬舗〔ういろう〕を、『東海道名所図会(ずえ)』は、以下のごとくに紹介している。

小田原・北条氏綱(うじつな)の時、京都西洞院(にしのとういん)錦小路外良(ういろう)という者この地に下り、家方透頂香(とうちんこう)を製して氏綱に献ず。その由緒は、鎌倉・建長寺の開山・大覚禅師、来朝の時供奉(ぐぶ)し、日本へ渡り、家方を弘(ひろ)む。氏綱はこれを霊薬とし、小田原に八棟(やつむね)の居宅を賜り、名物として世に聞ゆ。

その〔ういろう〕に、3日前に盗賊が入り、当主・藤右衛門を抜き身でおどして金蔵を開けさせ、800両余の金を持ち去ったという。(このころの1両は、当今の16万円にあたろう)。

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宝永(1704~10)小判

【ちゅうきゅう注:】 池波さんは、『鬼平犯科帳』の連載をはじめた1968年ごろ、1両を4万円ほどと換算していたが、連載が終わる1990年前後には20万に引き上げていた。バブルのものすごさも類推できるが、大家となった池波さんの金銭感覚もこれでうかがえる)。

とにかく、1億円を超える盗難である。
小田原藩の町奉行所は、あげて探索にあたったが、なんの手がかりもつかめていないという。というのも、すべての戸締りはしっかり錠がかかったままで、どれも開けられた気配がないので、12~3人もの者が、どこから、どうやって侵入したかもわかない。
また、黒装束の上に覆面した賊たちは、ひとことも口をきかず、当主への指示はすべて、あらかじめ紙に書いて用意していたもので伝えたという。

権七の説明を聞いて、銕三郎は、
「無言のわけは、言葉ぐせから出生地を割らさないためでしょう。しかし、そのことも有力な手がかりですね。それほど用心深い盗賊の前例が報告されているかどうか、江戸の火盗改メに速便(はやびん)で問い合わせたのでしょうね」
「さあ。そこまでは聞いていませんがね。うっかり聞き耳を立てると、こっちが疑われかねませんからね。雲助稼業はつらい立場です」
「しかし、権七どのには証(あか)しあるのでしょう?」
「もちろんでさぁ。あの晩は、たまたま、三島のお須賀の店にいて、何人もの常連客が見ていてくれていますから---」
「それは重畳でした。錠前の謎は、今晩じっくりと考えてみますが、〔ういろう〕では、店や奥の使用人は、いまでもやはり、京都から採っているのでしょうか」
「さあ、どうなんでしょう」
銕三郎の頭からは、京の荒神口で太物商いをやっているという〔荒神屋助太郎の姿が浮かんでは消えている。

参考】2007年7月14日~[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4)
2007年12月28日[与詩(よし)を迎えに](8)

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2007.07.18

〔荒神(こうじん)〕の助太郎(4)

銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)とお供の太作は、道中記が目的ではない。
しかし、銕三郎にとっては、生まれて初めての遠旅である。土地々々の風物人情を、写真に撮るように記憶にとどめてきた。

ところが、今朝からは、電池が切れたカメラみたいに、風景は目に入っても残らない。
昨夜のお芙沙の、張りのある白い姿態の一つひとつが、頭の中というより、14歳の銕三郎の躰のすみずみをかけ巡(めぐ)っている。
あちこちを不意打ちでもするように這いずりまわった形のいい唇。
首にからんだ双腕のつけ根の茂みが発する気をそそる香り。
押し上げてくる腰。
胴をしめつけていながら、その瞬間に突きあげて痙攣した太腿。
躰をいれかえたときに胸をくすぐってきた乳頭。
余韻に、目じりから涙滴が一筋ながれ落ちた横顔。
着物をまとうときの、だるそうな動きと、満ちたりた笑みをうかべている浅いえくぽ。
空想していた秘画よりはるかに艶っぽく、謎めいていて、この世のものとはおもえない甘美さであった。
無理もない。男が人生でいくつがとおる関門の一つ---それも、もっとも男の本能にしたがった関門を通過したのである。
さまざまにおもいめぐらして当たり前であろう。それでこそ、相手へ儀礼を十分につくしたことになるというものだ。

が、その分、太助への言葉も少なくなってしまうし、千本松原もうわの空だった。

原に近づくにつれ、今朝の銕三郎も、さすがに正気にもどった。
正気にもどしたのは、愛鷹山(あしたかやま)の陰から、ぬっと全容をあらわし、見る者にのしかかるように迫ってくる富士だった。

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(広重 朝の富士 『東海道五十三次』)

4月初旬だから、5分ほども残っている雪が、白衣装をまとっているかのように気高い。

原の茶店で一休みして、よもぎ団子をとった。
太作。沼津宿で別れた、あの助太郎という男、何者とおもう?」
「若さまは、どうおおもいでございます?」
「商店の絵をくれたから、大工かなにか。そんなふうには見えなかった---」
「人は、見かけどうりとはかぎらないことが多うございますれば---」
「なぜ、大店(おおだな)の姿を写しているのであろう?」
「絵図面師かも」
「絵図面師?」
「いろんな家の絵を写してきて、大工の棟梁に売る商売があるときいています。棟梁が示して、施主の考えを導くためのものだそうでございます」
「しかし、京の荒神口では、女房と太物の店をだしているとかいっていた。屋号も〔荒神屋〕とかで、変わっていた」
「どこか、変わってはいましたが、あれは、大勢の人を束ねている仁でございますね。並みの太物屋の亭主ではありますまい。気くばりが尋常ではございませなんだ」
「どうして、絵図などを呉れたのであろう?」
「若さまに、謎を置いていったのではございませんか」
「なんの謎を?」
「ま、もう二度と会わない人のことです。忘れましょう。覚えておくことは、ほかにありすぎますゆえ」
「そうだな」
「それより、若さま。お話しになりたかったのは、助太郎どんのことではございますまい」

「いいそびれていた。太助。ありがとう」
「なんでございますか、水くさい」
銕三郎に、3人目の母者ができた---江戸の家で待っているくれている実の母者、父上の形ばかりの奥方で9年前に亡くなった義理の母者、そして、ゆうべ、縁(えにし)を結んだ仮(かりそめ)の母者」
「若さま。もう、おっしゃってはなりませぬ。さようなことは、一切、若さまの胸の中であたためておおきなさいませ」
太作。戻りにも、3人目の母者に会いたい。いや、会わせてほしい」
「万事、太作めに、おまかせおきを。それより、お役目を早くはたさねば---」

【ひとりごと】
もちろん、荒神の助太郎とは、この後、銕三郎は会うことはないかもしれない。
しかし、長谷川平蔵宣以となり、火盗改メの長官となって、おまさを通して、〔荒神〕のお夏という女賊を知った。
は、助太郎が妾に産ませた娘だった。
が12歳の時、助太郎は病死した。平蔵が火盗改メの長官となる6年前のことだ。
助太郎が束ねていた〔荒神〕一派は、おを頭にいただいて上方で盗(おつと)めを働いていたという。
もちろん、12,3歳の娘に盗賊一味の実際の首領として采配がふるえるわけはない。しかるぺき副将がいたのだろう。

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