〔万福寺(まんぷくじ)〕の長右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻12に収められている[見張りの見張り]で、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵と親しかった、上方がテリトリーの首領。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
年齢・容姿:まったく記されていない。
生国:山城(やましろ)国宇治の五ヶ荘の万福寺のあたり(現・京都府宇治市五ヶ荘)。
探索の発端:大身旗本・本多寛司(寄合。7,000石)の広大な屋敷(5,590余坪)の南側---本所・相生町4丁目の裏通りに、〔大滝〕の五郎蔵・おまさ夫婦と義理の父〔舟形〕の宗平の煙草屋〔壺屋〕がある。
(参照: 女密偵おまさの項)
その〔壺屋〕へ、たまたま煙草を買いにきて、宗平とばったり顔をあわせた老爺は、はるかむかし、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助のところでいっしょだった〔長久保(ながくぼ)〕の佐助だ。
(参照・〔蓑火〕の喜之助の項)
佐助が江戸へきたのは、息子・佐太郎を殺した〔杉谷(すぎたに)〕の虎吉を討つためだという。探しているその敵(かたき)が、〔大滝〕の五郎蔵一味になっていると聞いたことは告げなかったが。
〔舟形〕の宗平から、〔壺屋〕が五郎蔵の盗人宿だときかされた佐助は、五郎蔵を尾行して、南品川で寅吉の女房とむすめがやっている蝋燭店までたどりついた。
その2人を、密偵の伊三次が見つけ、鬼平へ報告。
(参照: 伊三次の項)
さて、〔杉谷〕の寅吉はもと、〔万福寺(まんぷくじ)〕の長右衛門一味にいたのだが、長右衛門が病没して一味が解散すると、長右衛門と親しかった〔大滝〕の五郎蔵をたよってきたのである。しかし、腕はたしかだが人物ぶりに表と裏がありすぎ、3年ほどして、一味を離れていった。
結末:京・祇園の茶汲女をめぐって、佐太郎と殺し合いを演じたのは、佐助に寅吉のことを吹き込んだ〔橋本(はしもと)〕の万造だということを、〔大滝〕の五郎蔵に捕らえられた寅吉が、佐助と相対で白州に引きだされて、ぶちまけた。
けっきょく、佐助は仇討ちをしないまま、処刑されることになった。
〔万福寺〕の長右衛門は、さきに書いたとおり、病死。
つぶやき:武州・荏原郡馬込村にある万福寺かとおもった。というのも、『仕掛人・藤枝梅安』のもう一人の仕掛人である楊枝削りの彦次郎が、ここの寺男として住み込み、女房を迎えているから、池波さんの頭の中にこの寺があったと推察した。
武州・都筑郡万福寺村(現・川崎市麻生区万福寺)も考慮に入れてはみた。
しかし、わざわざ、本拠は「上方」とあるので、黄檗(おうばく)派の大本山である宇治市の万福寺を採った。
『忍者丹波大介』(新潮文庫)p10に「京都市中の東面をかこむ東山地塁につらなる台上の伏見城は、眼下に宇治川をのぞみ、山科と京都両盆地を左右に見下す突端にあった」と、実地を取材したとおもえる描写もしている。
盗賊の首領同士の付き合い方---盗みに対する似た考えをしている同士---がうかがえておもしろい。
〔大滝〕の五郎蔵・おまさ夫婦と〔舟形〕の宗平がやっている煙草屋〔壺屋〕は、最初に登場した巻7[隠居金七百両]からずっと本所・相生町5丁目だったが、この篇でとつぜん本多寛司邸の南側---すなわち相生町4丁目(文庫初刷り)となった。
多くの読者から指摘があったのであろう、文庫も何刷り目から「相生町5丁目」へ訂正されたが、
「道をへだてた北側、大身旗本・本多家の広大な屋敷の土塀であった」
の1行がくっついたままなので、切絵図で見ると依然として相生町4丁目となる。
さらに、新装版(第2刷り)では、また、「相生町4丁目」へ戻ってしまっている。
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コメント
読みました、読みました。
『文芸別冊 池波正太郎 没後15年記念特集号』に書いてらした「仕掛人・藤枝梅安」。
『江戸名所図会』から「万福寺・馬込八幡宮・梶原屋敷」の絵を掲げてましたよね。
へえ、そういう小説の読み方もあるんだって、思いながら読みましたよ。
でも、あの馬込の「万福寺」じゃないんですよね。
投稿: 岩井町裏店 おこん | 2005.03.28 18:56
>おこんさん
『文芸別冊 池波正太郎 没後15年記念特集号』では、どういう次第だったのか、「藤枝梅安」を割り当てられました。「鬼平」や「剣客」だと、著作があるしHPもあるから新味がでない、とでもおもわれたのでしょうか。
で、「梅安」をなぞりながら、「鬼平」「剣客」のロケーションと合わせるという形をとってみました。
でも、万福寺は彦次郎にかかわるだけのロケーションでしたね。
盗賊〔万福寺〕の長右衛門は、やはり、宇治市の万福寺にまつわる「通り名」でしょうね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.03.29 05:51