カテゴリー「149お竜・お勝・お乃舞・お咲」の記事

2012.06.25

おまさ、[誘拐](7)

当ブログに不思議なキャラが登場している。
中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)であった。
銕三郎(てつさぶろう 27歳=当時)より6歳年長であった。

なにが不思議かというと、大盗・〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ)と、これも盗賊としては横綱格・〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう)につかえたおんな賊であった。
しかも、ただの引きこみなどではない。

_130は、軍者(ぐんしゃ 軍師)という格で両巨頭のためにはたらいたのである。

参照】2009年1月27日~[〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)〕] () (

聖典『鬼平犯科帳』には、おというおんな賊のキャラは登場していない――という声は当然である。

池波さんは、元盗賊の首領・〔大滝おおたき)〕の五郎蔵(ごろうぞう)の口を借りて、
「おんなという生きものには、どうしても、わからねえところがある」
「男とは躰の仕組みがちがう所為(せい)かもしらねえ……その日その日でがらりと気分が変ってしまうおんながいるものだよ。おまさは、それが少ないほうだとおもうが」([炎の色]p77 新装版p )

気分の急変ぶりは男に理解ができないところだと慨嘆している。
所帯をもっている男性なら、共感できる台詞であろう。
いや、軍者の気分がその日の気温や雲の形で変化しては、危なっかしい。

それはともかく――。

五郎蔵が〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 享年67歳)の下で修行をかさね、〔五井'(ごい)〕の亀吉(かめきち 享年50歳近く)とともに並び頭(がしら)として独立をゆるされていた時期があった。

統率者が2人――というのは、相手の気分を害しては、という遠慮が双方にあるから、人物をみるのにも手薄になるところがある。
そこを衝かれて亀吉は命をおとした。

小妻こずま)〕の伝八(でんぱち)のような腹黒い男を配下に加えたのがそのいい証拠であるが、昔のことはともかく、いまはおまさの物わかりのいい亭主として夫婦で平蔵につかえ、密偵たちの元締格で差配をしている。

その五郎蔵おまさから聴かされたお(なつ)の初印象は、


「眼がおおきくてねえ、なんとも妙な女なんですよ。一目(ひとめ)見たときには、何だかぞっとして……」
「眼が大きくて奇妙な女が、どうしてぞっとするのだ?」
「だって、それよりほかに、いいようがないんだもの」([炎の色]p138 新装版p  )


躰は少女のように細く嫋(しなや)か――ちゅうすけの年代だと浅丘るり子さんをおもいうかべるのだが、いま世代の人たちはだれであろう。
まあ、名前をあげられても、まるで別世界の女人であろうが。

とにかく、おは、いわゆる近代的というか、竹久夢二描くところの昭和初期のなよなよしい美人とおもっておこう。


は洗い髪を後(うし)ろへ垂(た)らし、その先を白縮緬(しろちりめん)で包んでいた。
紺一色の単衣(ひとえ)に、これも白の細い帯を、何十年か前の享保の時代(ころ)の女がしていた水木結(みずきむす)びにしている。(炎の色]p77 新装版p )


これを聴いただ゜けで、平蔵はおのある性癖を見抜き、五郎蔵おまさの夫婦関係まで先ばしって憂慮した。

つまり、おの存在が鬼平密偵団にとって間接的に脅威をおよぼすとも、平蔵が予想したということである。

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2011.05.31

お乃舞(のぶ)の変身(3)

五左次(いさじ)が、とんでもなくご迷惑をおかけいたしやして---」
品川の香具師(やし)の元締・〔馬場(ばんば)〕の与左次(よさじ 57歳)が頭をさげると、うしろの五左次(いさじ 22歳)もつづいて額を畳にすりつけた。

平蔵(へいぞう 37歳)がお(かつ 41歳)に呼び出されてから5日のちの、〔季四〕の座敷であった。

「迷惑---はて、面妖な---?」
「は---?」
「たしかに、お(かつ 41歳)はとり乱してはおる。 しかし、われはよかったとおもっておる」

意外な言葉に、〔馬場〕親子はきょとんとした顔で平蔵の次の科白を待った。

五左次どんの嫁にしてくれるのではなかったのか?」
横で、女将の里貴(りき 38歳)が笑いをこらえ、与左次に酒をすすめた。

与左次が、いつもの威容はどこへやら、しどろもどろで言いわけしたところによると、先だっての集まりで、口火をきって己れの考えを述べたお乃舞(のぶ 23歳)の気風(きっぷ)のよさと、絹でつつんだような京都弁にすっかり感激した。

参照】2011年5月26日[若獅子たちの興奮] (

ちょうど、[化粧(けわい)読みうり]品川板のお披露目枠の常連である白粉問屋〔久乃(くの)屋〕作兵衛方の化粧師がお産で休みたいといっており、代わりを頼まれていたので、集まりが退けてから茶店でお乃舞に相談した。

乃舞は気軽に品川までき、〔久乃(屋〕をのぞいてくれた。
陽が暮れたので、〔馬場〕家で夕飯となり、酒も出たので、若い者を楓川ぞいのおたちの家へやって断りをいれ、その晩は品川で泊まってもらった。

もちろん、 寝間には与左次の女房がいっしょに伏せた。
ところが、おは承知しなかった。
朝帰りしたお乃舞を面罵しつづけた。
乃舞はそれに耐られず、数回、馬場へ逃避してきたので、そのたびに女房をいっしょの部屋で寝させてきた。

さいわい、お乃舞も、五左次のことを嫌いではないらしいので、
「ここは、長谷川さまにおさんを説き伏せていただき、お乃舞さんを当家の嫁にもらいうけたいのでやす」

長谷川さま。お引きうけなさいませ」
五左次びいきの里貴がすすめた。

「〔馬場〕一家の祝いごとともなれば、元締衆はいうよおよばず、あちこちのつながりもあろう。仲人は〔音羽(おとわ)〕の元締夫妻に頼むとして、われはお乃舞がわの親族ということで出席しよう。したがって、式の日取りは、われの非番の日にしてもらいたい」

平蔵の申し入れに、〔馬場〕親子は、平伏したまましばらく顔をあげなかった。

平蔵は、おのために、相手を見つけてやる難題に、じつは頭をいためることになった。

〔箱根屋〕の権七(ごんしち 50歳)相談したところ、笑いながら、
長谷川さまも、案外、灯台元暗し---でございますなあ。〔耳より〕の紋次(もんじ 39歳)どんがいるじゃございませんか。[読みうり]のネタにことよせ、足しげく会っていますぜ」

(手に職をもったおんなが齢上の時代なんだな)
平蔵が憮然としてつぶやいたが、里貴のことは忘却していたらしい。

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2011.05.30

お乃舞(のぶ)の変身(2)

半月ほどのち、お(つう 15歳)、お(くめ 41歳)、松造(よしぞう 31歳)という経緯(つながり)で、お(かつ 41歳)からの、下城の途次に〔福田屋〕へ立ちよってほしいとのこと伝(づ)てを受けた。

日本橋通り南3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕は、あいかわらず店先に紺の大暖簾(のれん)を2枚かけていた。
その隙(すき)間から店をのぞくと、一番番頭・常平(つねへい 55歳)が目ざとく見つけ、仕事中のおを呼んでくれたので、白粉臭い店へ入らずにすんだ。

大暖簾の前で待つまでもなく、たすきをはずしながら目尻を吊りあげたおが、
「いつもの、うなぎの大坂屋さんでよろしいでしょう?」
「まだ陽が高いから、船宿というわけにもいくまい」
「ご冗談にお付きあいしているゆとりなんぞ、ありません」
いつになく、きんきんしていた。
(おも41---おんなの変わり目だ)

飯時からずれていたので、室町浮世小路の〔大坂屋〕の2階には、客はいなかった。
店は気をきかせ、酒と白焼きを通したきりにしておいてくれた。

「ま、いっぱい呑(や)れ」
「まだ、仕事がのこっています。お乃舞(のぶ 23歳)がまた休んでいるので、きりきり舞いなんです」
「それなのにおは、こうして店をあけている---?」
(てつ)さまのほかには、聞いていただける人がいないのです」
言葉を吐くたびに目尻をふるわせながら吊りあげた。

が吐きだした胸の内を文字にするとこうなる。
この半月のあいだに、お乃舞(のぶ 23歳)は4晩も外泊し、昨夜も大原稲荷の脇の坂本町の家へ帰ってこず、今日は店を休んでしまった。

京で、父親が二度目の女房を家にいれ、島原へ売られそうになったのを引きとり、手に職をつけてやったのも忘れて、男にうつつをぬかしている---。

「その男というのは---?」
平蔵は、わざととぼけた。
「品川宿の五左次(いさじ 22歳)にきまってますよ」
「〔馬場(ばんば)〕の五左次どん---?」
「お乃舞は打ちあけませんけどね」

「どうして五左次どんとわかるのだ?」
「せんだっての例の集まりが退けてから、誘われて2人で茶屋へいったんです。それから、あたしとのことを嫌うようになった」
「お乃舞は、これまで、男とのことは---?」
「あるわけないでしょう」

「おんな同士の睦みあいがどのようなものかはしらぬ。しかし、お(りょう 享年33歳)といたしたときも、おを抱いたときも、ふつうに動いた。それでも2人とも、おんな同士のとは異なった快感を覚えてくれたとおももっていた。どうだ?」
「それは、(てつ)さまが、おんなとして、やさしく扱ってくださいましたから---」
五左次どんも、お乃舞をやさしく扱っているやもしれない。やさしさの中に、猛々しさも見せていよう」
「猛々しさ---」
「おんな同士には、ないものかもな---」

「しかし、です、きょうまで、なんの苦労もさせないできたのに、あの恩しらず---」
「お。恩は着せるものではない、着るものだ。お乃舞もそれだけに、いいだしかねておるのであろうよ」

ちゅうすけ注】「恩は着せるものではない、着るものだ」、池波さんが、長谷川伸師から直伝の名句。

「それにな、お。男とおんなの、閨房(ねや)での合性(あいしょう)は、本人たちだけのもので、他人にはうかがいしれぬ」

が大きくため息をついた。


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2011.05.29

お乃舞(のぶ)の変身

(それは、困ったことだな)
平蔵(へいぞう 37歳)の正直な気持ちであった。

乃舞(のぶ 23歳)は化粧師(けわいし)・お(かつ 41歳)の代理であり、10年ごしの相方(あいかた)であった。

の立役であったお(りょう 享年33歳)が、29歳のとき、平蔵(24歳=当時)によってはじめておんな(?)に目ざめた。

参照】2008年11月17日~[宣雄の同僚・先手組頭] () (
2008年11月25日[屋根船
2008年11月27日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (

からは、盗賊たちの戦略を学んだ。

そのおが琵琶湖で溺死したあと、おもおんな(?)にしてしまった。
平蔵が27歳、おは31歳であった。

参照】2009年8月4日~[お勝、潜入] () () (
2009年8月24日~[化粧(けわい)指南師のお勝] () () () (9)
2009年9月25日~[お勝の恋人] ()  ) (() 

8年前の初冬に、お乃舞(15歳=当時)とお(さき 12歳=同)をつれ、お(33歳=同)が江戸舞いもどってからも、たまに、せがまれて抱いていた。

そのことは、お(りょう 33歳)とのこととともに、里貴(りき 38歳)には伏せてきた。

権七(ごんしち 50歳)もそこまでは立ち入っていないはずであった。

だから、品川の元締・〔番場(ばんば)〕の嫡男の五左次(いさじ 22歳)がお乃舞(23歳)に一と目惚れしたらしいと察し、うかぬ顔をしているのは、おとお乃舞とのあいだにおもいをいたしているからに違いなかった。

平蔵は、お、おとのはじめての夜のことを、あさってのほうに目をやりながらおもいだしてみた。
というより、相手がすこしでもさからったかどうかであった。
そんな気配はなく、むこうから燃えた。

すると、五左次にさそわれたとき、お乃舞もさりげなく受けいれるかもしれない。
そうなったときに、おが狂乱しなければよいのだが---。

平蔵里貴は、
「お乃舞さんが一つ齢上っていうのも、、なんとなく微笑ましい」
自分と平蔵の齢の差にあてはめていた。

「男とおんなのあいだのことは、当人同士にしかわからぬものよ」
平蔵の言葉に、
「はたから煽ることはできます」
「無理はしないことだ」

「さようでございます。成り行きにまかせやしょう」
権七(ごんしち 50歳)が、さすがに平蔵の思惑を察した。

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2010.11.06

お勝の杞憂(3)

息がふだんに戻り、それでも目をつむって余韻をまさぐっているお(かつ 37歳)に、
「相談ごとは---?」

は、指で平蔵(へいぞう 33歳)のものをゆっくりともてあそびながら、平蔵の中指をおのれにみちびいた。

「お(さき)のことなんです」
「いくつになった?」
「16です」
「おんなの兆(しる)しはあったか?」
「はい。去年」

の相談ごとは、おと姉のお乃舞(のぶ 19歳)のふつうでない愛情に気がつき、
乃舞あんちゃんがお嫁にいかれへんのは、おかぁちゃんのせいや」
毎日にのように責めるようになったのだという。

もちろん、お乃舞は、やめるつもりはないと断言している。
しかし、男を迎えいれた体験がないから、いつ、どうなるかはわからない。
いっそ、体験させ、どちらを選ぶか決めさせようかとおもわないでもない。

手を焼いているのは、おのほうであった。
髪結い・化粧(けわい)師の手職は身につけたいが、いっしょには暮らしたくない、姉妹の縁も切らないと自分に好きな男ができたときに嫁にもらってもらえない---といい張り、いまにも出ていきそうだと。

「好きな男(の)がいるのか?」
「〔福田屋〕の手代の達吉(たつきち 20歳)に気があるみたいだけど---まだ、あの齢ですから、いつ気が変わるかしれたものではありません」
「〔福田屋〕でも、20歳の手代に所帯を持たすはずがない」
「だから、手職をおぼえて---とおもっているようなんです」

ふたたび、おが乗ってこようとしたが、平蔵が、
「今宵は、もう、いいだろう」
「でも、こんなに元気なのに---」
「それはおが、すすめ上手だからだ」

じつは、平蔵は気がついたのである。
以前とちがい、おんなと過ごすなら、ひと夜ずっとでありたい。
帰宅を気にしながらの逢う瀬は、自分の気を晴らすことはできるが、ただそれだけにすぎない。


は、けっきょく、家をでていくことになった。
引きとってくれたのは、〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 52歳)・お多美(たみ 37歳)夫妻で、〔音羽〕分の〔化粧読みうり〕のお披露枠を買いきっている市ヶ谷八幡下の紅白粉問屋〔紅粉屋〕で腕を磨くことになった。

ちゅうすけ注】後日談を書き添えておく。
の相手は、なんと、〔越畑(こえはた)〕の常平(つねへえ 26歳)であった。
多美(たみ 37歳)とおが交わす京言葉にころりとまいり、躰をあわせたらしい。
宇都宮での〔化粧(けわい)読みうり〕の刊行が軌道にのり、おの髪結・化粧の腕も一人前になった安永8年(1779)年春、招かれて平蔵夫妻、〔音羽〕夫妻、お・お乃舞の2人連れが日光街道を下っていた。

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2010.11.05

お勝の杞憂(2)

(てつ)さま。お訊きしてはならないことをお訊きしても、お怒りにならないでくださいますか?」
(37歳)は、すでに酒がまわったか、浴衣の胸元がはだけ、乳房は丸見え、横すわりの裾も割れ、太腿の奥の黒いところまでのぞけた。

「怒られるとおもったら訊くな」
「いいえ。しりたいのです」
「おの尻(しり)の肉(しし)置きなら、先刻、触ってたしかめた」
平蔵(へいぞう 33歳)が笑ったが、おの目はすわっていた。

「お教えください。さまには、いま、お情けを受けているおんながいますか?」
「いたら、どうする?」
「どうもしません。おもその一人にお加えください」

参照】20101011[剃髪した日信尼] 

(抱くしかないようだ)
jしてやったりという笑顔を見せたおは、膳を板戸の外へだし、二つ折りの布団をのべた。
泊まる者の用向きが用向きだけに、部屋々々の間仕切りは厚い板戸を配慮していた。

「初めての時、死んだようにしていよ、とおっしゃいました」
裸で目をつむり、仰向けに寝た。
「おは、死にます」

「死ぬ前に訊いておく。お乃舞(のぶ 19歳)とは終わったのか?」
箱枕をあてがったかぶりをかすかにふった。
「相談ごととは、そのことではなかったのか?」

参照】2009928~[お勝の恋人] () () (

平蔵も横に添いながら上掛けを覆うと、おが躰を脇に変え、腰を抱き、秘所を押しつけた。
平蔵のものが硬くなっているのを感知し、
「長い6年でした。この硬くて、弾みがついているのをいただくのは---上に乗っていいですか?」
「好きにせよ」

里貴(りき 30歳=当時)も、このように接したがったことがあったな)

参照】2010年3月22日[平蔵宣以の初出仕] (

は上にまたがり、脊を立てたまま、しばらくじっとしていたが、
「あっ、あたりました」
「ん?」
「ここです、ここ---」
の上躰が前へ傾き、腰を激しくゆすった。
両掌は、平蔵の胸板で支え、指先で乳首をなめらかにいたぶった。

(おれをお乃舞とまちがえておるのか?)
微妙な性感を感じはじめたこともいなめなかった。

「あたるんです、ほら---」
「なにがだ?」
「すごい。す、ごう、く、---い、い---わかりますか? わかってぇ---」

がかぶさり、首に腕をまわし、しめつけ、また上躰をおこし、腰をゆさぶり、倒れこみ、平蔵の上で小きざみに震え、うめいた。
「来て。きて---」

「よし---」
平蔵が腰を動かすと、おは悲鳴のように喉を鳴らし、泣きだし、うわごとのようなつぶやきを洩らした。
「う・れ・し・い---」

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2010.11.04

お勝の杞憂

「殿。お(かつ 37歳)どのから、お(つう 11歳)が文を預かってきました」
郎党の松造(まつぞう 27歳)が、下城どきに、ほかの供にかくして渡してた。

は、日本橋通り3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕文次郎方で、契約化粧(けわい)指南師として、お乃舞(のぶ 19歳)ともに稼ぎまくっていた。
このごろでは、お乃舞の妹・お(さき 16歳)まで見習いとして働いているらしい。

そのことは、5日ごとに朝一番に結髪してもらっている〔三文(さんもん)茶亭〕の看板むすめ・おから、義父・松造を経由して平蔵(へいぞう 33歳)の耳にとどいていた。

参照】2010年10月14日[〔三文(さんもん)茶亭〕のお粂(くめ)] (


---お目もじして、ご相談いたしたきことができました。
夕方でも、お店にお立ち寄りくださいませんか---かつ。

歩きながらほどいた結び文に、こうあった。

鍛冶橋をわたり、丸の内をでたところで松造を呼びよせ、
「〔福田屋〕へ立ち寄らねばならぬゆえ、先に帰館し、おを迎えに行ってやれ」
裃を抜いてわたすと、すばやくはさみ箱から羽織をとりだした松造が、strong>平蔵の肩にあてた


〔福田屋〕をのぞくと、帳場から鼻眼鏡ごしに目ざとく見つけた一番番頭・常平(つねへえ 52歳)が、小僧をおのところへ報らせに走らせた。

長谷川さま。おかげさまで、お髪は大評判でございます」
「それは、重畳。こんごも、お、お乃舞をよしなに、な」

身姿(みなり)をととのえたおが、番頭に会釈をし、平蔵を押すようにして店をでた。
陽が長くなりはじめてい、七ッ半(午後5時)前なのに、陽は沈む気配さえ見せなくなっていた。

さま。朝から働きづめで汗を流したいのですが、坂本町の家でもよろしいでしょうか。湯をわかして行水します」
「ちょっと遠くてもよければ、内湯のある旅籠がある」
「遠いって、どのあたりでございますか。まさか、寺島村の〔狐火(きつねび)のお頭の寮では---?」

このころ、町人の家は湯殿をつけることをほとんど禁じられており、もっぱら銭湯に通っていた。

「いや、深川の浄心寺裏の山本町の旅籠〔甲斐山〕だ」
「旅籠なら、お酒もでますね?」
「多分---」
「猪牙(ちょき)でひと漕ぎです」

箔屋町の突きあたりの楓川の船宿から、仙台堀の亀久橋のたもとまでおのいうとおり小半刻(こはんとき 30分)とかからなかった。

〔甲斐山〕では、2本差と町女房風の客にいささか不審をおぼえたようだが、おはこころえたもので手早く、なにがしか、女中につかませ、
「風呂は、2人でも遣えますか?」
掌の中の額を感触で推量し、
「はい。すぐにお浴衣をそろえてお持ちします」

背中を流してもらいながら、平蔵がうしろ手におの尻部をまさぐり、
「いちだんと肉(しし)置きがたくましくなったな」
さまのは、筋肉ばっかり---」
重い乳房が押しつけられた。

部屋には早くも布団が敷かれていたが、酒肴を頼むと女中が二つ折りした。

膳を運んできた別の女中にも、おはぬかりなくこころづけをにぎらせる。
37歳、その世馴れぶりはさすがで、伊達には齢をくっていない。

盃をあわせ、
「ところで、相談ごととは---?」
「京都以来の、6年ぶりの逢う瀬です。お急(せ)きにならないで---」

参照】2009年8月4日~[お勝、潜入] () () () (

「最初は、三条の旅籠〔津ノ国屋〕の中庭が見えるお部屋でした」
「よく覚えているな」
「太い。硬い。やさしい。熱い。長いものが奥の骨にあたりました」
「うむ」
「躰が少女のようにやわらかだ---とおっしゃってくださいました。うれしくて、うれしくて、ちょっと腰がうごいたら、初めての快感が躰をつらぬきました」

「そうだったかな」
「この6年、忘れられませんでした」

盃をだした平蔵の手をにぎり、
「2度目は、東川端三条上ルの〔俵駒〕でした」
「そうだったかな」
「おんなは、躰がおぼえたことは、決して忘れません」
「こわいな」
不謹慎にも、おがしったら怒りそうなことが頭をよぎった。
(里貴(りき 34歳)も覚えてくれているであろうか)

参照】2009年8月24日~[化粧(けわい)指南師お勝] () () () 


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2010.05.04

お勝と於津弥(2)

平蔵(へいぞう 30歳)が剣術指南ををつけてきた菅沼藤次郎(とうじろう 12歳)は、鍛錬熱心の甲斐があり、筋力も脚力のついてき、面がまえもたくましくなっていた。

「もう、道場に通っても、同じ年齢の者たちにひけをとることはない。いや、むしろ、藤次郎どののほうかが勝さっていよう」
はげまたした上で、指南は月に1日にするといいわたし、母者を呼ぶよう命じた。

藤次郎の母・於津弥(つや 36歳)は、お勝との湯殿での全裸の化粧指南で、平蔵への興味がきれいに消えており、顔をださなくなっていた。

年齢には見えない艶のました顔であらわれた於津弥に、藤次郎に告げたことをくりかえすと、用人を呼び、召使いに茶を用意するようにいいつけてくるようにと遠ざけ、
「ほんに藤(とう)は、男らしゅうなりました。姉が湯殿をつかうのを、覗き見するのでございますよ」

心得た召使いが、2ヶの湯呑みに冷酒を満たして持すると先に含んでから、
「おささは、おどのお仕込みです。すこし酔いかげんのほうが頂上が長びくと---」
大身の奥方なら口にしないようなことまで洩らした。
(そろそろ、おの引きあげどきだな)

用人から束脩(そくしゅう)を受けとった足で、日本橋通箔屋町の〔野田屋〕へまわり、お(34歳)を浮世小路の蒲焼〔大坂屋〕へ呼びだした。

「於津弥どのを、奥で使っている召使いの立役に仕込むんだな」
微妙な笑みをうかべたおが、
「4人で遊ぶには、あのお屋敷の湯殿は狭すぎましょう」
「本所四ッ目に別宅があるということであった。湯殿でなくてもよかろう」
(てつ)さまは、いつ、いらっしゃったのですか?」
「行くわけはない。むこうが誘っただけだ」
「やってみますから、うまくいったら、ご褒美をくださいますね?」
「お乃舞(のぶ 16歳)に殺されるぞ」


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2010.04.18

お勝と於津弥

「ご内室さま。化粧(けわい)の具合・不具合は、その日のお肌のありようによります。湯化粧と申しすとおり、湯上りがもっとものりがよろしいのですが---」
(かつ 「33歳)のすすめで、於津弥(つや 35歳)は、すぐに風呂の用意を命じた。

乃舞(のぶ 15歳)が手提げの化粧箱のぬか袋をあらためた。
目ざとく認めて、
「とくべつにあつらえたものか」
「越後米のぬかに、馬歯莧(うまひゆ)を煮出して乾かした粉がまぜてあります。毛穴の脂気をのぞきます」
「馬歯莧とは、初めて聞く」
「若いむすめたちがにきびで悩んでいるとき、この草を煎じた湯で顔をあらいます」

平蔵(へいぞう 29歳)は、おを於津弥へ引きあわせせると、あとはおんなたちにまかせ、庭で藤次郎(とうじろう 11歳)の竹刀を受けていた。
始めて4ヶ月がすぎた藤次郎は、いまでは毎朝と夕べ、鉄条2本入りの木刀を息をあがらすことなく、60回は振りきっている。

湯殿がにきわしくなった。
洩れてくる嬌声を気にしている平蔵に代わり、浴室をのぞいて見よう。

なんと、湯で顔の毛穴をひらかせる於津弥ばかりか、おもお乃舞もすっぱだかではないか。

津弥は洗ってもらったらしい、つやつやした髪をうえにまるめ、すきどめにしていた。
その鉄火おんなふうの髪型が気にいっらしく、湯気の曇りをいくどもぬぐわせながら、お乃舞がささげている鏡を、湯舟の中からのぞきこんでいる。

「ご内室さま。お肌をおととのえますから、この腰かけにおかけください」
のみちびきにしたがった於津弥の背中をお乃舞がぬか袋でこすった。
ひらかれた股のあいだに腰をおちつけたおは、首すじから乳房へむけ、ぬか袋を泳がせ、わざと乳首に触る。
はじめはそのたびに、眸(め)を見ひらいていた於津弥も、そのうちに頬を上気させてきた。

のぬか袋が下腹へおり、
「ご内室さま。殿方は、ここの毛並みを気になされます」
「どのまように?」
「からまると、殿方の切っ先が傷つきます」
「どのように整えるのか?」
「軽石で先端をこすり切ります」
「整えてくだされ」

の小指の先が秘頂を軽くなぶりながら、軽石が動く。
弥津の躰がぐらりと右に傾き、湯舟もたれた。
左手がおの肩に置かれた。

「ご気分でも---?」
問いかけには、かすかに頭をふり、ひたりきっている。
その顔に、お乃舞が絞った手拭をあてて蒸した。

「ご内室さま。いまいちど、湯におつかりくださいませ」
意思のない人形そっくりに、重そうに腰をあげ、湯へ。
と、お乃舞がすばやくいっしょに入り、乳首を吸いはじめた。

ちゅうすけ注】いやはや。こんなはしたない場面をのぞくことになろうとは---。
たち3人---お乃舞とその妹・お(さき 12歳)が菊新道(きくじんみち)の旅籠〔山科屋〕へ落ち着いたとき、訪ねていった平蔵が、3人を浮世小路の蒲焼の〔大坂屋〕へつれだした。

蒲焼に大喜びの姉妹の横の、おが、
「なにかお気になさっていることがおありのようですが---」
問われて、つい、お津弥のあつかいに困っていると打ちあけてしまったのが、この日の経緯(いきさつ)を招いたらしい。
なりの報恩のつもりであった。

ついでに記しておくと、おは日本橋3丁目通箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕に筆頭化粧指南師として復職でき、お乃舞はこの1年間に修行した髪結い師として同じ職場ではたらくようになった。
妹のおは、〔福田屋〕から楓川をはさんだ対岸の大原稲荷社脇に借りたしもた屋で家事をこなしている。

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2010.04.16

お勝からの手紙(5)

(やっぱり、見落としがあった)
平蔵(へいぞう 29歳)が独り合点してうなずいので、権七(ごんしち 42歳)が口まで運んでいた盃を戻した。

「-----?」
掌で制した平蔵が、いまは上総(かずさ)の寺崎村で竹節(ちくせつ)人参の植え場をつくっている太作(たさく 63歳)が、宇都宮の城下で〔荒神(こうじん)〕の助五郎(すけごろう)とその一味らしい者を見かけた顛末(てんまつ)を語った。

参照】2010年2月24日~[日光への旅] () () (

「すると、長谷川さま---いえ、(てつ)っつぁんが京の荒神口の太物屋(もめん衣類の店)で取り逃がしたお賀茂(かも 35歳)とそのむすめっ子も宇都宮にいたわけでやすな」
「そうらしい」

権七は、おが着府したら、宇都宮でお賀茂の顔をみた近所の者を上府してもらい、おともども、絵師に印象を告げ、似顔絵を描かしたらどうであろうと、提案した。

「似顔絵か。さん、火盗改メが似顔絵を描かせるのは、火付けと主殺しだけなのだよ」
「旅の入費なら、[化粧(けわい)読みうり]のあがりからでます」

平蔵は、京の絵師・北川冬斉(とうさい 40すぎ)の酒やけのした顔をなつかしくおもいうかべ、苦笑した。

「絵師のことは、〔耳より〕の紋次(もんじ 31歳)が、親しいのがいるといっていたな」
「そんじゃ、明日にでも紋次どんにつなぎ(連絡)をいれときやす」

参照】2008年8月11日~[〔菊川〕の仲居・お松] (10) ((11)

「その似顔絵をどう使うつもりかな」
「木版を彫らして、元締衆に配り、シマのなかを洗ってもらいやす」
さんは、江戸に潜んでいるとでも?」
「いえ。しかし、おどんが江戸へくだったと知ったら、やってこないともかぎりやせん」

似顔絵ができたら、京都東町奉行所の同心・加賀美千蔵(せんぞう 32歳)にも送るこころづもりになった。

参照】2009年9月13日]~[同心・加賀美千蔵]() () () () () (6)
2009年9月30日[姫始め] (

参照】2010年4月12日~[お勝からの手紙] () () () (4

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