お勝からの手紙(4)
「権七どのは、寸時、残ってくだされ」
支払いをすませた〔福田屋〕の常平(つねへい 48歳)とつれだって〔丸太橋(まるたばし)〕の元締代理・雄太(ゆうた 40歳)がのれんをはねたとき、平蔵(へいぞう 29歳)が〔箱根屋〕の権七(ごんしち 42歳)を呼び止めた。
(このようにするするとことが運んでいいものかな。どこかに見落とし,があるのではないか?)
しかし、権七には洩らさなかった。
「ここは権(ごん)さのなじみかな?」
料亭の旦那たちと、ときどき使っているがと応えながら、
(なにか、密談でも?)
権七は、そんな面持ちで訊いた。
「小部屋があったら、移りたい」
奥の小座敷に、新しい酒席がもうけられた。
肴は、味つけの高野豆腐。
お勝(かつ 33歳)が、おんなおとこのお賀茂(かも 35,6歳)に目をつけられ、それで京にいられなくなったと打ち明けると、眉根を寄せただけで感想は口にしなかった。
以前の権七なら、煮えくりかえっている腹の中を、そのまま表情にあらわした。
(さすがに、貫禄が大きくなってきている)
権七が箱根にいられなくなったのは、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 55歳)とお賀茂がからんでいた。
【参照】2008年3月27日~[〔荒神(こうじん)の助太郎] (8) (10)
「銕(てつ)っつぁん」
取り決めどおり、2人きりのときの呼び方になった。
お勝に目をつけたということは、もしかすると、〔荒神(こうじん)〕の助太郎がこの世の者でなくなったか、捕まって牢にはいったか---したのではないか、と権七は推察した。
「お賀茂の躰が、本卦がえりしたのかもしれない」
平蔵は、お勝がそうなったのを見ているだけに、おんなおとこ(女男)のありように、いくらかは通じているつもりであった。
「本卦がえりしたとなると、〔荒神〕の奴が黙って見逃さないでやしょう?」
「助太郎も55歳だ」
「55歳でおんなをあきらめますかね?」
「父上は54歳で京都町奉行に赴任なされるとき、母上をお連れではなかった。上方にお住まいのときにも、それらしいおんなもいなかった」
「まあ、そのほうの欲情は人それぞれでやしょうから---」
「それもそうだ---」
40歳代はどうだ? と訊きかけてやめた。
(武士が口にする言葉ではない)
代わりに、
「お島坊は幾つになったかな?」
権七・お須賀(すが 36歳)夫婦のむすめ---お島(しま)
の名付け親は平蔵であった。
「正月がくると8つでやす。もう、一人前のむすめ気どりで---。辰蔵さまは?」
「同じく、年があけると6歳。子どもが育つのは、あっというまだな」
「それだけ、親のほうも、あっ、というまに歳を経ておりやす」
「まったくな」
★ ★ ★
週刊『池波正太郎の世界 18』[仕掛人・藤枝梅安四/殺しの掟]が送られてきた。深謝のきわみ。
この号の読みものの一つは、講談社で池波さんを担当した小島 香さんの「ネバー・エンディング・ストーリー」である。おまさ救出だけでなく、『梅安冬時雨』も未完であったことを思い出させていただいた。しかし、それをかんがえる残り時間は、ぼくにはない。おまさ救出で手いっぱい。
もう一つ教えられたのは、テレビで佐々木三冬を演じた大路恵美さんの殺陣(たて)の稽古の打ち明け話。木刀の素振りで腕がぶるぶる震えたと。
これは、つい先日ブログに書いた菅沼新八郎(11歳)の稽古はじめに遣わせてほしいようないい体験談である。
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