お勝からの手紙
朝日をあびた銀杏の葉の一枚々々が小判色に輝くのを見た平蔵(へいぞう 29歳)は、
(冬がそこまで来ている)
と実感した。
そんなとき、京都のお勝(かつ 33歳)から小浪(こなみ 35歳)あての文の中に、平蔵へのものが同封されていたと、〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 27歳)のところの若いのが届けてきた。(歌麿 小浪のイメージ)
今助は、父親・林造(りんぞう 享年62歳)の跡を継ぎ、浅草・今戸の香具師(やし)のシマをりっぱにまもっている。
小浪は、今助の女房として、料亭{銀波楼(ぎんぱろう)の女将におさまっていた。
「銕(てつ)さま。
わたし、京にいられなくなりました。
いえ、〔延吉屋〕さんをしくじったなんてことではないんです」
〔延吉屋〕は、四条堺町の白粉問屋である。
お勝は、この店で化粧(けわい)指南師として、いろいろな収入を得ている。
1日に2分(8万円)にもなる日が少くないらしいかった。
1ヶ月には12両(192万円)を超えた。
【参照】2009年8月31日[化粧(けわい)指南師のお勝] (8)
「[化粧(けわい)読みうり]が種ぎれとか、売れなくなったわけでもありません」
【参照】2009年8月31日[化粧(けわい)指南師のお勝] (4)
〔狐火(きつねび)〕のお頭(かしら 54歳)から、引き込みに戻れといわれたわけでもありません」
お勝の手紙は、女のおしゃべりと同じで、まどろっこしいが、おつきあいいただきたい。
たぶん、書きづらい理由(わけ)なので、先のばしにしているのであろう。
「お乃舞(のぶ 15歳)との仲も、えんまんです」
(円満---とは、まったく夫婦気どりで、いい気なものだ)
【参照】2009年9月26日~[於勝の恋人] (1) (2) (3)
2009年10月26日[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)] (8)
「変なおんなに見こまれてしまったのです。
おきゃら(伽羅)のあぶらを求めにきた、痩せた色黒のその30女は、わたしを見るなり、りょうめ(双眸)をもえるようにかがやかせ、手をとりにきたのです。
それから、毎夜のようにわたしの帰りを待ちぶせています。
そのおんなは、3歳ほどのおんなの子をつれています。
わたしが無視したら、お乃舞の妹をさらおうとしました」
(お賀茂(かも 35歳)だ)
平蔵にはぴんとくるものがあった。
しかし、いまは出仕の身である。
京都へ飛ぶわけにもいかなかった。
京都にいる〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 40歳)か、〔左阿弥(さあみ)〕の元締・角兵衛(かくべえ 43歳)に見張るように頼んでも、あるいは東町奉行所の加賀美(かがみ 32歳)同心にしらせても、その前にお勝は京を離れていよう。
このときほど、宮仕えの身に歯ぎしりしたことはなかった。
それと、お勝にお賀茂のことを話しそびれたことも悔やまれた。
(たしか、〔中畑(なかばたけ)のお竜(りょう 享年33歳)には、〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 55,6歳)の名を告げたが、お勝へまでは伝わっていまい)
そのお竜の分骨は、長谷川家の香華寺、四谷の戒行寺の墓の下に納まっていた。
【参照】2010年4月12日~[お勝からの手紙] (2) (3) (4) (5)
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コメント
そうでした。このブログは、荒神のお夏の手からおまささんを救いだすまで、ということでした。
いろんな関係者と女性が、あまりにもめまぐるしく登場するので、つい、おまささんのことを忘れて場面にのめりこんでしまいます。
投稿: tsuu | 2010.04.12 05:16
ブログのタイトルが”Who's Who(紳士録)"なものですから、つい、かかわりのありそうな人物を虚実とりまぜて登場させています。
平蔵の人間的成長、それに欠かせない女性との関係---ヰタ・セクスアリス(性的遍歴)、幕府の諸制度、それとおまさの救出が大きなネライです。
まあ、横道は目をつむっておいてください。
投稿: ちゅうすけ | 2010.04.13 15:02