〔五井(ごい)〕の亀吉(6)
1ヶ月半ほど経った歳末に近いころ、松造(まつぞう改め よしぞう 29歳)が、〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 41歳)の名を口にのせた。
「殿。例の〔五井〕のが、行方(いくかた)しれずになったそうで---」
「行方しれず、とはどういうことだ?」
「〔銀波楼〕の千浪(ちなみ 41歳)女将が、買い物ついでに〔三文(さんもん)茶亭〕へ立ちより、京都のお頭(かしら)から、亀吉の風聞を気にかけるようにと、連絡(つなぎ)がきたと、お粂(くめ 39歳)に洩らしたのです」
〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 60歳)からの便りによると、〔五井〕の亀吉はならび頭の〔大滝(おおたき)の五郎蔵(ごろぞう 42歳)と7名の配下を引きつれ---、
駿府城下の笠問屋〔川端屋彦兵衛〕方へ押し込み、三百ニ十余両(5120余万円)を盗んで逃走した。
蓑火(みのひ)の喜之助仕込みゆえか、これれまでに大滝の五郎蔵は、人ひとりも殺傷していない。
で------。
一味は、尾張・名古屋城下の〔どんでん屋〕という小さな旅籠(はたご)へあつまり、それぞれに金を分配し、一年後を約して散った。
ところが、そのとき以来、五井の亀吉は、
「行方知れず」
になってしまったのである。(巻4 [敵(かたき)])
深川に住んでいる女房・衣知(いち 37歳)が連絡(つなぎ)人を通じて〔蓑火(みのひ)の喜之助(きのすけ 59歳)大お頭へ、亀吉がいいおいた日が10日も過ぎても戻らないと、訴えた。
〔蓑火〕は、すぐさま、盟友の〔狐火〕ほか、親しくしているあちこちの首領たちへ、報らせを頼んだ。
〔狐火〕は、江戸のうさぎ人(にん)・千浪へも耳をたてるようにといってよこした。
「ひと仕事(つとめ)のあとの息抜きをどこかでしているにしても、留守宅にしてみれば正月の支度もあろうから、のう」
おもいやった科白(せりふ)は吐いたものの、平蔵(へいぞう 35歳)はさほど気にはとめなかった。
亀吉の名を再び耳にしたのは、あと3日で元旦というときであった。
知行地のひとつ---上総(かずさ)の山辺郡(やまべこおり)片貝(かたがい)村(現・千葉県山武郡九十九里町片貝)の肝いり・幸兵衛(こうべえ 53歳)が例年のように魚の干物を献じにやってき、久栄(ひさえ 28歳)に、村から嫁いだ遠縁にあたるお衣知が東深川の島田町に住んでいるのでのぞいてみたが、亭主・亀吉が旅にでたまま戻ってこないので歳の瀬が越せないと嘆いているとこぼしたという。
平蔵は、用人・桑島友之助(とものすけ 48歳)に1両(16万円)包んでもたせた。
「殿。このような施しをなさっては---」
あきれ顔の用人へ、
「他言無用だぞ。とりわけ母上にはな。その者の叔母御(ご)と父上がわけありであったらしい。亡き父上からだといって渡してやれ」
【参照】20101011[五井(ごい)〕の亀吉] (2)
年が明け、安永10年(1781)となったが、4月13日には天明と改元された---。
年始まわり先のひとつ、西丸・書院番4の組の与(くみ 組)頭の牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 61歳 800俵)の門前で、6尺(1m80cm)はあろうかとおもわれる大男が、
「長谷川さまでございますか?」
「いかにも、長谷川だが---?」
「お衣知へのお志、かたじけのうございました」
「知行地の出の者であっての」
「はい。しかし、向後はご放念くださいますよう」
紙包みを供の松蔵の掌へ載せた。
「頭領は〔蓑火〕とか、いったな---」
「あっ!」
「よろしく、な」
【ちゅうすけ注】火盗改メ時代の平蔵は、死罪になった盗賊たちのために盆には、戒行寺で供養の法事を怠らなかったと史書に記録されているほど、慈悲深かった。
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