〔神崎(かんざき)〕の伊之松(4)
10年前、お信(のぶ 20歳=当時)が、〔神崎(かんざき)〕の伊之松(いのまつ 40歳=当時)にひろわれたと言ったので、銕三郎(てつさぶろう 26歳)はなん気もなく、
「すぐにできたか?」
と訊いてしまった。
ところが、お信は、
「いいえ。お頭は、そういうお人ではありませんでした」
即座に否定した。
(はて。聞いたような科白(せりふ)だが、だれからであったか?)
すぐに思い出した。
(〔盗人酒屋〕の亭主・〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)どんだった)
(あのとき、忠助どんはこう言った)
「銕っつぁん。お頭の中には、ご存じの〔法楽寺(ほうらくじ)の直右衛門(なおえもん 42歳)お頭のように、配下のおなごの躰を熟させて、おもうように操るお人も少なくはありません。しかし、〔狐火(きつねび)〕のお頭と〔蓑火(みのひ)〕のお頭、それに〔乙畑(おつばた)のお頭は、それをなさらないということで、仲間内でとおっております」
【参照】2008年10月28日[うさぎ人(にん)・小浪] (6)
(〔蓑火〕と〔狐火〕と〔乙畑〕の3人の首領に、〔神崎〕の伊之松も加えるか)
「〔神崎〕の教えで、いちばん、納得したことは?」
「世の中は盗人だらけだ。その中でも、もっとも大きい泥棒がお上だぁな。百姓から有無をいわせねえでふんだくっていきなさる。諸国の大名・小名さまもお上を真似ていなにさる。つぎに悪ィのか大商人(あきんど)だ。蔵にたんまり小判を貯めているのがなによりの証拠だぁな。まじめにはたらいていた日にゃあ、あんなに貯まりはしねえ。だから、おれたちがくすねて、平均(なら)しとるのよ。だがね、慾をかきすぎてはいけねえ。ほどほどに押さえておくのが長生きのコツってえものよ--でした」
「たいした道学者どのだな、伊之松って仁は---」
「いいえ。違います」
「ほう?」
それを、〔神崎〕のお頭のひがみからでたかんがえ方だと、この春の小梅村の足袋問屋〔加賀屋〕に押し入ったときのやり方でさとったと、お信は断言した。
その半年前から女中として引きこみに入っていたお信は、仙吉という小僧にしたわれていた。
仙吉は、砂村の小作人のせがれだが、母親を亡くし、口べらしのために〔加賀屋〕で働いていた。
陰日なたなく、こまごまとよく働いていた。
お信も、上総の不入斗(いりやまず)村の実家の末のおとうとに似た仙吉をかわいがった。
押しいりの日、お信が連絡(つなぎ)で命じられたとおりに表の潜り戸の桟をはずし、一味を引きいれた。
それを起きぬけてきていた仙吉にみられた。
「姐(あね)さん。いけないよ」
仙吉がむしゃぶりついた。
と、伊之松が仙吉を殴り倒し、刀で刺そうとしたので、
「お頭、やめてください」
「でも、お前が見られた」
「いいえ。この子はしゃべりません」
さすがに、これまで、血を流したことのない〔神崎〕の伊之松は思いとどまってくれた。
が、それから、お信は、伊之松の言い分を、盗人の三分の理と疑うようになり、泥棒は自分勝手な振るまいだときめつけることができたという。
「自首したのは、そのためだったのか」
「はい」
「お信どのは、博徒をどうみる?」
喉まで出かかった言葉を、銕三郎は、あやうく胃袋に落としこんだ。
よけいな知恵をつけないほうが、お信が自然にふるまえると思ったのである。
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