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2004.12.27

法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻4の[おみね徳次郎]の女賊おみねのお頭。
上総(かずさ)、下総(しもうさ)がおつとめのテリトリー。
(参照: 女賊おみねの項)

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年齢・容姿:60がらみ。でっぷりと肥えた、おだやかな老顔。
生国:栃木県足利市の城山南麓に法楽寺(禅宗)があり、あたりが法楽寺の里。

探索の発端:女密偵おまさが、四谷・舟町の全勝寺の前で、幼馴染みで女賊おみねと出会い、おみねがいま同棲している徳次郎のことを惚気(のろけ)たことから、狙いがつけられた。
(参照: 女密偵おまさの項)
おみねのお頭〔法楽寺〕の直右衛門には、おまさの父親・〔鶴(たづがね)〕の忠助が一味に加わっていたこともあり、忠助の歿後、おまさは〔法楽寺〕の手配で〔乙畑〕の源八一味へつけられた。
(参照: 〔鶴(たずがね)〕の忠助 の項)
(参照: 〔乙畑〕の源八の項)

結末:おみねが、一味の盗人宿である千駄ヶ谷の仙寿院(日蓮宗)の門前茶店〔蓑安〕の店主〔名草〕の嘉平を訪れ、そこへ〔法楽寺〕の直右衛門が早めに上府してき、新堀川端の浄念寺(浄土宗)門前の茶屋で盗人宿の〔ひしや〕へ入ったところを、一味5名もろともに捕らえられた。
〔鶴〕の忠助が配下になったぐらいだから、本格派のおつとめだが、重ねてきた罪状からいって死罪はまぬがれないところ。
しかし、おみねだけはおまさの懇願で釈放されている。
(参照;〔名草(なぐさ)の嘉平の項)
(参照:女賊おみねの項)

つぶやき:〔法楽寺〕は、池波さんが盗人に「通り名」をつけるときにいつも参照していた吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治38年-)に、
法楽寺(摂津・田辺)
法楽寺(播磨)
法楽寺(上野・足利郡)
903
明治20年(1887)ごろの足利市とその近郊

『蝶の戦記』(文春文庫)には、北近江(滋賀県東浅井郡浅井町)の法楽寺も登場する。

904
明治20年(1887)ごろの北近江・小谷山近辺

茶店の亭主・嘉平の〔名草〕が決め手となった。足利市の北に「名草」という山間(やまあい)の里がある。
また、〔法楽寺〕の直右衛門がつかまったのちの吟味で、上総・下総に潜んでいた一味22名もそれぞれ逮捕されている。

〔法楽寺〕の直右衛門がおまさを預けた〔乙畑〕の源八も、どうやら栃木県矢板市乙畑の出身らしい。

足利義氏の墓所でもある足利市の法楽寺を訪れた。
館林をすぎたあたりから車窓は一望、田圃で、むかしから豊かな農村地帯だったみたい。こんな土地でのびのびと育った〔法楽寺〕の直右衛門を〔鶴〕の忠助が信用してお頭と仰いだわけも、なんとなく納得がいく。
現実の法楽寺は、足利市駅から徒歩25分、本城山の東南麓にあり、中級武士たちの屋敷が建ち並んでいた雰囲気をのこした高台の地区で、きれいな疎水が流れていた。
9月初旬だったので、境内には赤萩がまっさかり。高台の下の平地は足利氏のころは農地だったのであろうか。

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足利市本城山下の法楽寺

2001
法楽寺の内陣

池波さんは、いつ、足利義氏の墓所のあるこの寺の存在を知ったのだろう。
『蝶の戦記』の執筆中に、近江・浅井町の取材で見えおぼえた法楽寺村を脳裏にとどめて、上杉謙信がらみで『大日本地名辞書』で足利家の支配地を調べているうちに、引きあてたのかも……。
名草は、町営バスが昼間は3時間に1本間隔だったので、いつか自分の車で……と、断念。

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コメント

凄いこと、始めましたね。
これまでも「盗賊who's who」的なリストをつくった人は何人かいらっしゃいますが、盗人の生国まで調べたのは見たことがありません。

独創的で、しかも面白い。まさに、池波ワ-ルドに花を添えました。

投稿: 文くばり丈太 | 2004.12.28 07:20

>文くばり丈太さん

9年前に、雑誌で池波さんの書斎の写真に写っていた書籍の背を、ルーペで拡大して読んでみたのです。

そこに、吉田東伍さんが独力で編纂された『大日本地名辞書』(冨山房 明治後半に刊行)を数冊見つけました。

「あ、池波さんの地名の源は、これなんだ」とおもった瞬間、「盗人の〔通り名(呼び名)〕もここからとっているにちがいない」とひらめき、それからいろいろと手をつくしてリサーチを始めました。

もちろん、盗人のすべての〔通り名〕が同辞書から出ているわけではありません。だいたい80パーセントとふんでいます。

で、地方自治体に協力をあおぎながら、リサーチをすすめています。
独力での完成はおぼつかないので、できるだけ多く仲間をつのってすすめるつもりです。
ご支援ください。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.28 08:24

「盗人探索日録」毎日楽しみにしてます。

一日一人優秀(?)な盗人に出会える楽しみですね。

これまでの10人の名前の語感のよさに感心しています。

「羽佐間の文蔵」「海老坂の与兵衛」「馬伏の茂兵衛」など読み上げるとリズム感もよく、また「法楽寺の直右衛門」は字面はちょっと長ったらしいのが声を出して読むといいリズムになります。

新国劇の脚本を書かれていた池波さんだけに読みやすい、聞き取りやすいなどを考慮されて各地方の地名を選ばれたのかと思うぐらいです。

ブログに掲載される盗人名を毎日順番に読み上げて楽しんでいます。

投稿: 靖酔 | 2004.12.28 11:16

>靖酔さん

ようこそ、当ブログへ。

おっしゃるとおり、池波さんの語感はするどいですね。芝居で身についた感覚---との鋭いご指摘、たしかに、そうなんでしょうね。

これからも、せいぜい、コメントをお寄せください。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.28 11:22

盗人の生国がつぎつぎに明らかになっていく経緯は、あたかも、ミステリー小説を地で行っているようで、読んでいてもすごくスリルがあります。

もちろん、探索なさっている側とすれば、山あり谷あり、森あり迷路ありの連続と拝察して、「ご苦労さまです」と声をおかけしたくなりますが。

ところで、〔法楽寺〕の直右衛門を足利市をおきめになったのは、配下の〔名草〕のためとか。

たしか、『蝶の戦記』にも近江に「法楽寺」という地名が登場しますよね。
池波さんの頭にはこれがあったのではないでしょうか?

素人のヨコ槍で申しわけありません。

投稿: 黒文字 | 2004.12.29 09:19

>黒文字さん

ようこそ、いらっしゃいました。

ところで、「法楽寺」という地名についてですが、黒文字さんのご指摘どおり、たしかに、近江にもこの地名があり、『蝶の戦記』にも登場しています。

それで、大いにな悩んだわけです。
近江(滋賀県)は、池波さんの忍者ものの舞台で、作者もしょっちゅう、取材に訪れた土地ですからね。

しかし、「名草」ともう一つ、〔法楽寺〕一味のおつとめのテリトリーが江戸と上総(かずさ)、下総(しもうさ)で、捕らえられた配下も上総、下総に散らばっていた---という記述から、足利市の「法楽寺」としました。足利市は上総のすぐ北ですから。

けれども、今後も、近江の「法楽寺」からも目を離さないつもりでいます。

ご提言、ありがとうございました。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.29 09:39

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