カテゴリー「165『鬼平犯科帳』と池波さん 」の記事

2007.04.30

シリーズ・タイトル〔鬼平犯科帳〕

『オール讀物』編集部時代に池波さん担当だった花田紀凱さんが、朝日新聞社刊『池波正太郎作品集』(1976)に挟入された月報に寄せたエッセイによると、シリーズ・タイトルが〔鬼平犯科帳〕に決まるまでには、編修部内で〔本所鬼屋敷〕、〔本所の鬼平〕、〔本所の銕〕、〔鬼平捕物帳〕などの案が出た。

ギリギリになって〔鬼平犯科帳〕とつぶやいた仁がいた。4年前に出て新鮮な感じを与えた岩波新書『---長崎奉行所の記録---犯科帳』を思い出したらしい---と、花田さんが『ダカーポ』に語っている。

その定説に、あえて、反論をとなえてみたい。
『長谷川伸全集 第十巻』(朝日新聞社 1971.8.15)は、[新コ半代記]などの自伝・エッセイ集だが、その中の1972年10月に人物往来社から刊行された[私眼抄]と題した覚え書きが収録されている。
書きつぶした原稿用紙の裏に示された文章らしいが、[法刑・犯科篇]という章に目がいく。

1972年(昭和42)は、[1-1 唖の十蔵]が1968年に連載第1話として『オール讀物』に発表された4年後である。
しかし、長谷川伸師の草稿は、同書の上梓のずっと前から書きつづけられており、その内容は、新鷹会その他で折りにふれて伸師の口から語られていたと想像できる。
「犯科」という言葉も出ていよう。
池波さんがは長谷川平蔵宣以に興味を抱いて史料を探索していることをご存じだった伸師は、それとなく草稿を示していたともいえないだろうか。

いや、『オール讀物』の通しタイトルは、編集部内で発案・議論されたものだ。試案が決まってから、池波さんの了解がとられたはず。
やはり、〔鬼平犯科帳〕は、岩波新書がヒントだったのだろう。

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2007.02.03

池波さんの小説作法

池波さんは、自分の小説作法(さくほう)について、しばしば、結末なんか決めないで書きはじめ、そのつづきは散歩のときに考えるようにしている、と。
作者が、その先どうなるかがわかっていないんだから、読む方だって、筋書きの予測がつかないのはあたり前---ともいっている。

似たような小説作法をしている英国のベストセラー作家がジェフリー・アーチャーだ。

かつて某週刊誌に自分の小説作法を語っていたのによると、朝、ゴルフ場を2時間ばかりかけて散歩しながら、その日の筋書きを考えるんだと。

散歩コースが、荏原の庶民的な商店街の池波さんと異なり、ゴルフ場というところが貴族憧れ趣味の強いアーチャーらしい。

100_18このアーチャーの、その日ごとに考える主義について再確認させてくれたのが、新作『ゴッホは欺く 上、下』(新潮文庫 2007.2.1)に付された、訳者・永井 淳さんの巻末解説だった。

「大体この作家は、作品全体の設計図をきちんと完成させてから書きはじめるのではなく、あるアイデアが浮かぶとあとは筆の勢いにまかせて一気に書きはじめるタイプである。なにしろ作家自身にストーリーの展開が前もってわかっていたのでは、つぎになにが起きるかと、読者にハラハラしながらページをめくってもらうことができない。だから自分も読者同様、先が見えないままにスリルを楽しみながら書き進めるのだと」

ね、池波さんのエッセイから写したのかというほど、似ている。

しかし、池波さんと違うところは、その日分を書いたあと。
アーチャーは、委嘱しているオクスフォード大とケンブリッジ大の学生数人に、書いた細部のリサーチをしてもらう。

その日主義の小説作法だと、ほころびがでやすいからだ。ほころびとは、データの勘違いや矛盾である。映画のスクリプターの仕事と思えばよかろうか。スクリプターは、前のシーンで着ていた衣装の細部や挙措の按配などを記録しているという。

アーチャーの場合は、歴史的事実やローカル・カラーなどのリサーチであろう。『ゴッホは欺く』でいうと、その一つが旅客機の発着時刻。
そういえば、成田空港も出てくるが、学生リサーチャーを成田まで派遣したのかな。

池波さんは、ここのところを、自力と雑誌社の編集者・校正者に頼っていた気味がある。

両作家ともストーリー・テリングのベテランで、自信家だが、専属のリサーチャーをもっている分、アーチャーのほうにはほころびが少ないようだ。

そうそう、いい忘れるところだった。アーチャーで最も痛快なのは処女作『百万ドルをとり返せ!』(新潮文庫 1977.8.30)。いま読んでも面白さが新鮮。

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2006.11.13

小説の鬼平、史実の長谷川平蔵

[小説の鬼平、史実の長谷川平蔵]のタイトルで
12月13日(水)の夕方、2時間、銀座で
鬼平について語ります。

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先着順・定員100名とのこと。

参加のお申し込みは、
fax.03-3566-3510
e-mai forum@bunshodo.co.jp

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2006.07.29

ハードボイルド

 「鬼の平蔵さまにお会いなされたか?」
 と、佐野倉の主人が、
 「どんなお人でしたかねえ。私も、ぜひ一度、お顔を見たいと
 おもっているのだが……」(略)
 役宅の門を出て行きながら高木軍兵衛は、こういった。
 「なんともいえぬお人だ。怖くて、やさしくて、おもいやりが 
 あって、あたたかくて……そして、やはり、怖いお人だよ」

この鬼平像を、ハードボイルド的人物にみたてたのは、朝日カルチャーセンター[鬼平]クラスに在籍していた尾澤 肇一さんだ。
若い時代にハードボイルド小説に凝っていた仁なのだろう。

S_8ハードボイルド小説から、すぐにおもい出されるのが、その道の古典ともいわれるレイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するシリーズである。
映画好き、推理小説好きの池波さんの意識の中にあって、鬼平マーロウを重ねて見ていたか、この私立探偵を超えたものにしようとおもっていたにちがいない。
このフィリップ・マーロウのシリーズ『プレイバック』 (ハヤカワ文庫 清水俊二訳)の名セリフから。謎の婦人ペティが探偵マーロウに、

 「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさし
 くなれるの?」
  と彼女は信じられないというように訊ねた。
 「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしく
 なれなかったら生きている資格がない」
 私は彼女に外套を着せて……。

このセリフはあまりにも有名で、何とおりもの訳が存在するが、ここは鬼平風に。
小鷹伸光訳をとると、

 「情に流されていたんじゃ、いのちがいくつあっても、もた
 ねえんだよ。だがよ、情けのひとつもかけられねえようじゃ
 あ、生きていたってはじまらねえ」

作者レイ・チャンドラー本人が映画の仕事(脚本)もしているし、作品も映画化されている。

レイ・チャンドラーの作品が劇作家であり映画通の池波さんの意識下にあったことはまずまちがいないとおもわれるし、『鬼平犯科帳』自体、池波ハードボイルドとして、チャンドラーを超えるものとして創作されたものと読むことが出来るのである。

『鬼平犯科帳』シリーズを、日本版ハードボイルドととらえている評者は少なくない。

自分の中に自分で一つの規範をつくり、それをかたくなに守っていく美学を実践している男を、ハードボイルドな生き方をしている……と定義すると、小説の中の長谷川平蔵はたしかにそうといえる。

いっぽうで、

 一、盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと。
 一、つとめ(ヽヽヽ)をするとき、人を殺傷せぬこと。
 一、女を手ごめ(ヽヽヽ)にせぬこと。
   (ヽヽヽ)は傍点
        [1-4 浅草・御厩河岸]p131 新p138

この3ヶ条を厳しく守っている盗賊の首領たちもハードボイルドに生きているといいたい。

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