ハードボイルド
「鬼の平蔵さまにお会いなされたか?」
と、佐野倉の主人が、
「どんなお人でしたかねえ。私も、ぜひ一度、お顔を見たいと
おもっているのだが……」(略)
役宅の門を出て行きながら高木軍兵衛は、こういった。
「なんともいえぬお人だ。怖くて、やさしくて、おもいやりが
あって、あたたかくて……そして、やはり、怖いお人だよ」
この鬼平像を、ハードボイルド的人物にみたてたのは、朝日カルチャーセンター[鬼平]クラスに在籍していた尾澤 肇一さんだ。
若い時代にハードボイルド小説に凝っていた仁なのだろう。
ハードボイルド小説から、すぐにおもい出されるのが、その道の古典ともいわれるレイモンド・チャンドラーの私立探偵フィリップ・マーロウが活躍するシリーズである。
映画好き、推理小説好きの池波さんの意識の中にあって、鬼平とマーロウを重ねて見ていたか、この私立探偵を超えたものにしようとおもっていたにちがいない。
このフィリップ・マーロウのシリーズ『プレイバック』 (ハヤカワ文庫 清水俊二訳)の名セリフから。謎の婦人ペティが探偵マーロウに、
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさし
くなれるの?」
と彼女は信じられないというように訊ねた。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしく
なれなかったら生きている資格がない」
私は彼女に外套を着せて……。
このセリフはあまりにも有名で、何とおりもの訳が存在するが、ここは鬼平風に。
小鷹伸光訳をとると、
「情に流されていたんじゃ、いのちがいくつあっても、もた
ねえんだよ。だがよ、情けのひとつもかけられねえようじゃ
あ、生きていたってはじまらねえ」
作者レイ・チャンドラー本人が映画の仕事(脚本)もしているし、作品も映画化されている。
レイ・チャンドラーの作品が劇作家であり映画通の池波さんの意識下にあったことはまずまちがいないとおもわれるし、『鬼平犯科帳』自体、池波ハードボイルドとして、チャンドラーを超えるものとして創作されたものと読むことが出来るのである。
『鬼平犯科帳』シリーズを、日本版ハードボイルドととらえている評者は少なくない。
自分の中に自分で一つの規範をつくり、それをかたくなに守っていく美学を実践している男を、ハードボイルドな生き方をしている……と定義すると、小説の中の長谷川平蔵はたしかにそうといえる。
いっぽうで、
一、盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと。
一、つとめ(ヽヽヽ)をするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめ(ヽヽヽ)にせぬこと。
(ヽヽヽ)は傍点
[1-4 浅草・御厩河岸]p131 新p138
この3ヶ条を厳しく守っている盗賊の首領たちもハードボイルドに生きているといいたい。
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コメント
レイモンド・チャンドラーのハードボイルドは、鬼平の後に読んだのですが、これも嵌りましたね。
場所、時代も違うのですが、マーロウが活躍する、カリフォルニアは、鬼平が活躍する江戸後期に驚く程良く似ていると思いました。
あぁ、また、チャンドラーも読み返さなくてはいけないのか?
投稿: ぴーせん | 2006.07.31 19:20
PS: 何度目かの鬼平読み直しで、今日、ちょうど『用心棒』を読んだところでした。
投稿: ぴーせん | 2006.08.02 19:17
>ぴーせんさん
レスが遅れてごめんなさい。
映画好きの池波さんの脳裏には、フィリップ・マーロウともう一人のトレンチコート姿のを男性がいたとおもいます。
ジャン・ギャバンが扮したメグレ警視です。メグレは、江戸を思わせるパリで活躍しています。
池波さんのパリ好き、フランスの田舎好きも、メグレに刺激されているところが多いようにおもいます。
それで、メグレの生まれ故郷まで取材に行きました。
投稿: ちゅうすけ | 2006.08.17 03:38