一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)(5)
「浅田どの。ほんの寸刻、おつきあいいただけませぬか」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)が、剛二郎(ごうじろう 32歳)を小声で誘った。
高杉銀平(ぎんぺい 65歳)師の居室での歓談を終え、それまでいっしょだった岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)や井関録之助(ろくのすけ 21歳)が北へ歩みはじめたときである。
うなずいた浅田剛二郎を、法恩時門前の茶店〔ひしや〕へ導き、
「じつは、私事で申しわけないのですが、妻(さい)が臨月で、そう長話もしておれないのです」
「---お話しとは?」
「その前に、浅田どの。立ちいったことをお訊きしますが、お子は?」
「---ひとり、男の子がいましたが、死なせました」
銕三郎に好意を感じている剛二郎は、さも言いにくいことを打ちあけるように、ぽつりぽつりと話しはじめた。
その子---正一郎(しょういちろう)が生まれたのは、6年前であったという。
そのころ、剛二郎は、笠間藩の下級藩士たちにあてがわれている、城下の花香(はなか)町の4軒長屋同然の1軒に住んでいた。
郷方調べ役だった亡父の家禄(30俵3人扶持)と役目を相続した剛二郎は、藩内を見回る日々で、ときには、僻地の役小屋へ泊りがけで調べものをすることもあった。
1歳の正一郎が発熱の果てに幼い生命の灯を消したときも、出張(でば)っていて、死に目にあえなかった。
そのことを若い妻・於布美(ふみ 19歳=当時)はゆるさなかった。
実家に帰ったまま、葬儀にも顔をみせなかった。
於布美の実家は、100石・馬廻り役であった。
もっとも、実家といっても養女ではあったが---。
はじめに家中の某家へ膨大な持参金つきでもらわれ、その後、むすめのいなかった実家へ養女としてはいった。
17歳で、剛二郎を見そめ、嫁入りした。
生まれが生まれで、金がらみの養女であったから、格下の家への嫁入りも見逃されたともいえた。
結婚はいつかは、おんなに幻滅の現実をつきつける。
愛児の死で堰がきれたのであろう。
話がもつれて離縁にまで行きついたのは、1年後であった。
離縁話には、於布美の義理の兄・長三郎(ちょうざぶろう 23歳)があたった。
この長三郎と口論になり、
「たかが30俵の家、との侮辱は許されぬ」
鞘ごとの太刀で長三郎の左腕をたたき折り、藩を辞めたのであると。
「事情はお訊きしました。ところで、きょうの立会いを相撃ちということにして、浅田どのに、受けていただきたいことがあるのです」
「はて?」
小浪(こなみ 31歳)から頼まれた事情を打ち明け、於布美どののこと、再考の余地はありませぬか---と訊いた。
剛二郎は、
(あきれた)
といった目つきで、まじまじと銕三郎を瞶(み)つめ、黙っていた。
ここで返事を求めては、剛二郎を追いつめてしまい、なるものがならなくなると憶測、
「いや。他人の拙が、よけいなことにかかわり、面目しだいもございませぬ。いちおう、頼まれごとはお伝えした。ご判断はご自由に---」
さっと立ち、剛二郎をのこして去った。
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