カテゴリー「197剣客」の記事

2009.04.21

一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)(5)

浅田どの。ほんの寸刻、おつきあいいただけませぬか」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)が、剛二郎(ごうじろう 32歳)を小声で誘った。

高杉銀平(ぎんぺい 65歳)師の居室での歓談を終え、それまでいっしょだった岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)や井関録之助(ろくのすけ 21歳)が北へ歩みはじめたときである。

うなずいた浅田剛二郎を、法恩時門前の茶店〔ひしや〕へ導き、
「じつは、私事で申しわけないのですが、妻(さい)が臨月で、そう長話もしておれないのです」
「---お話しとは?」
「その前に、浅田どの。立ちいったことをお訊きしますが、お子は?」
「---ひとり、男の子がいましたが、死なせました」

銕三郎に好意を感じている剛二郎は、さも言いにくいことを打ちあけるように、ぽつりぽつりと話しはじめた。

その子---正一郎(しょういちろう)が生まれたのは、6年前であったという。
そのころ、剛二郎は、笠間藩の下級藩士たちにあてがわれている、城下の花香(はなか)町の4軒長屋同然の1軒に住んでいた。
郷方調べ役だった亡父の家禄(30俵3人扶持)と役目を相続した剛二郎は、藩内を見回る日々で、ときには、僻地の役小屋へ泊りがけで調べものをすることもあった。

1歳の正一郎が発熱の果てに幼い生命の灯を消したときも、出張(でば)っていて、死に目にあえなかった。
そのことを若い妻・於布美(ふみ 19歳=当時)はゆるさなかった。
実家に帰ったまま、葬儀にも顔をみせなかった。

於布美の実家は、100石・馬廻り役であった。
もっとも、実家といっても養女ではあったが---。

はじめに家中の某家へ膨大な持参金つきでもらわれ、その後、むすめのいなかった実家へ養女としてはいった。

17歳で、剛二郎を見そめ、嫁入りした。
生まれが生まれで、金がらみの養女であったから、格下の家への嫁入りも見逃されたともいえた。
結婚はいつかは、おんなに幻滅の現実をつきつける。
愛児の死で堰がきれたのであろう。

話がもつれて離縁にまで行きついたのは、1年後であった。
離縁話には、於布美の義理の兄・長三郎(ちょうざぶろう 23歳)があたった。

この長三郎と口論になり、
「たかが30俵の家、との侮辱は許されぬ」
鞘ごとの太刀で長三郎の左腕をたたき折り、藩を辞めたのであると。

「事情はお訊きしました。ところで、きょうの立会いを相撃ちということにして、浅田どのに、受けていただきたいことがあるのです」
「はて?」

小浪(こなみ 31歳)から頼まれた事情を打ち明け、於布美どののこと、再考の余地はありませぬか---と訊いた。
剛二郎は、
(あきれた)
といった目つきで、まじまじと銕三郎を瞶(み)つめ、黙っていた。

ここで返事を求めては、剛二郎を追いつめてしまい、なるものがならなくなると憶測、
「いや。他人の拙が、よけいなことにかかわり、面目しだいもございませぬ。いちおう、頼まれごとはお伝えした。ご判断はご自由に---」
さっと立ち、剛二郎をのこして去った。

【参照】200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] () () () () 

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2009.04.20

一刀流杉浦派・仏頂(ぶっちょう)(4)

竹刀を構えるとともに、半歩引いた銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、右肩上に八雙(はっそう)上段にとった。
道場の板壁にそって正座して観戦している岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)が、おもわず、
「ほっ」
小さな嘆声をもらした。
隣座の井関録之助(ろくのすけ)は、息をとめて、2人のつぎの技を見つめている。

対している浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)は、銕三郎の髷(まげ)にじっと視線をすえ、正眼のままである。

門弟たちは、みな退出させられ、道場には5人だけであった。
5人目は、審判役の道場主・高杉銀平(ぎんぺい 65歳)である。
銕三郎との年齢差は40歳。

道場の大川に面した格子窓から、西日がさしこみ、相対している2人の影を長くつくっている。

どれくらいの刻(とき)がすぎたろうか。

録之助が息を吐いたとき、
銕三郎の竹刀が浅田の面上へ落ちると同時に、浅田の竹刀が銕三郎の左肩にきまっていた。

「それまで。相撃ち」
高杉師が両手で2人を指した。

その瞬間、浅田剛二郎がその場に膝をつき、
「いえ。長谷川うじの勝ちでございましょう。一瞬早く、面を撃たれましてございます」

「違うな。一瞬の差もなしの、相撃ち」
高杉師が、ゆっくりといい、
「双方、汗を流して、居室のほうへくるように。岸井井関も相伴いたせ」
先に道場を出て、隣りの居室へ消えた。

銕三郎剛二郎は、ただにらみ合っていただけに近いのに、汗びっしょりであった。
井戸水で躰をぬぐい、師の居室へ伺うと、婆やにでもいいつけてあったのか、酒肴の用意ができていた。

高杉師は、浅田の盃を満たしてやりながら、
「相撃ちでないとおもわれた根拠(わけ)は---?」
盃を置いた浅田が、
「はい。長谷川うじは、気を消して撃ってこられました。一刀流杉浦派の秘太刀・仏頂(ぶっちょう)は、気を殺されると、どうしても後手(ごて)にまわります」
「なるほど。長谷川が八雙上段にとった理由(わけ)は?」
「仏頂の名は、笠間の山の名と聞きました。それで、吹きおろす山風をおもいつきまして---」
「うむ。ところで、長谷川は、笠間城下へ行ったことがあるのか?」
「いいえ。ございませぬ」
「よくぞ、察したの」
浅田うじのお人柄を手がかりに---」
左馬も、いまの長谷川の言葉を肝に銘じておくように」
「はい」
「銘じました」

浅田が、あわてて、
長谷川うじ。買いかぶられましたな」

【参照】200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] () () () (

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2009.04.19

一刀流杉浦派・仏頂(ぶっちょう)(3)

「山か---」
浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)があやつる一刀流杉浦派の秘太刀・仏頂(ぶっちょう)は、笠間盆地を囲む山塊群のなかの一つの峰の名前であるという。

銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、大川で見た筑波山を背にして、大川ぞいに南へ、竪川(たてかわ)へ向かって歩みながら、思い出の山を反芻していた。

東海道では、なんといっても箱根山道。
それと、さつた峠、宇津谷峠、小夜の山が記憶にのこっている。
阿記(あき 22歳=当時)とのことがあった翌朝、2人で後日の約束をかわしながら眺めた駒ヶ岳の姿は朝日にかがやいていた)

参照】2008年1月2日[与詩(よし)を迎えに] (13)  (14) (15

(〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 30歳=当時)と掛川から、山あい道ぞいに相良へむかった途次、中という名の山里の北に見た、名も知れない山の容姿のやさしかったこと)

2009年1月25日[ちゅうすけのひとり言] (30

甲州路は小仏峠をすぎると山ばかりだったようにおもう。
いや、手前の山にさえぎられて、遠くの高山の頂は、往還からは目にはいらなかったといったほうが正しい。

山にはそれそれ命名されたいわれがあるはず。
(仏頂峰のすぐ南隣りには鍬柄(くわがら)山があると、浅田うじはたしかに言った)。
しかし、この2つの峰の名は、山貌からきているのであろう。

仏頂山から北東は、谷をはさんで国見(くにみ)山だったか。
こちらの命名は、ちがいすぎる。
国見山からは常陸国の広い平野と下野国の田畑が見わたせるのか。
いや、国というのは、笠間藩のことかもしれない。

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(赤○=笠間城下 緑○=佐白山 青○=左下から時計まわりに鍬柄、仏頂、国見の各山。 
明治20年 参謀本部測量部製)

国見山から南東に見下ろせる佐白(さしろ)山におかれていた城(居館)のこと指しているということもありうる。
(そういうことだと、仏頂の山頂上からは、佐白城は真東だ。しかも、山高は半分もない)

山姿とすると仏頂は、仏の頭から生まれた仏頂尊ということになるが---。

あれこれおもいめぐらせているうちに、あやうくわが家をゆきすぎかけ、苦笑したが、そのとき、ひらめいた。


【参照】200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] () () () (


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2009.04.18

一刀流杉浦派・仏頂(ぶっちょう)(2)

おもわぬ褒賞金がはいったから、どこかで散財しようと岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)が提案し、
「うなぎでよろしければ、それがしが働いている店の近くの、〔草加屋〕が評判ですが---」
浅田剛二郎(ごうじろう)用心棒がうけた。

浅草田原町(たはらまち)の〔草加屋〕は、屋号のとおり、草加宿のはずれを流れる綾瀬川で獲れたうなぎを生簀(いけす)で飼いおき、舟で毎日はこばせているので、味がいいといわれている店である。

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(うなぎの〔草加屋〕 『江戸買物独案内』 文政7年 1824刊)

銕三郎(てつさぶろう 25歳)も久栄(ひさえ 18歳)と、いちど、行ってみようとは思っていた。
しかし、久栄は臨月が近い。
なるたけそばにいて、気をくばってやりたい。

うなぎを肴に呑もうという3人を見送った。
渡しの舟着きへ向かおうとした銕三郎に、女将の小浪(こなみ 31歳)が声をかけた。
_100長谷川はん。よろしゅおしたら、もう一杯、お茶、どないどすえ?」
「なにか、用でも?」
「お耳にお入れしてええのんか、どうか---」

腰を落ち着けた銕三郎の横へきた小浪が、ささやくように、
今助はんが、浅田はんのご内室が上府してはるいわはりましてなあ」
「なに? 浅田うじのご内室は、たしか、今助どのの姉ごと聞いていたが---」
「ええ。事情(わけ)がおまして、離縁にならはったんどすが、あきらめられへんらしゅうて---」
「男とおんなの仲です。ましてや夫婦だったお方。そういうこともありましょう。しかし、それをなぜ、拙に?」
浅田はんのとりなし役は、長谷川はんをおいて、ほかにはあらへんと、今助はんが---」

於布美(ふみ 25歳)---剛二郎のかつての妻の名である。
於布美はいま、〔銀波楼〕に仮偶している。
小浪は、自分のお頭である京の〔狐火きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 50歳)からの返事があり次第、向島の寮へ移すつもりだという。
生計(たつき)の入用(いりよう)は、今助から出る。

「ほかならぬ今助どのの頼みとあれば、聞かぬわけにはゆきませぬ。機会(おり)をみて、浅田どのには話してはみますが、こればっかりは、ご当人の気持ちひとつゆえ、あてにはしないように、今助どのへ伝えてくだされ」
今助は、浅草・今戸一帯の香具師の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 61歳)の子であるらしい。
小浪は、大盗・〔狐火〕の勇五郎のうさぎ人(にん 耳役)であるとともに、林造の妾であり、今助とも情を通じている。

参照】2008年10月23日[うさき人(にん)・小浪] (

渡しの舟が向こう岸の石原橋脇の桟橋へ着けるあいだ、銕三郎が思案していたのは、於布美のことではなく、剛二郎がふっともらした、一刀流杉浦派の秘太刀〔仏頂(ぶっちょう)〕のことであった。

高杉銀平(ぎんぺい 64歳)師からは、剛二郎の竹刀の一撃が肩へくる前に、対手(あいて)の面を撃つ工夫を宿題にされている。
剛二郎は、こう言った。
「対手が攻撃に移ろうとする瞬間、髪がかすかに逆立(さかだ)つ。それを見て、機先を制すのです」

銕三郎は、大川のはるか上流の向こうに、箱庭の山のような筑波の山頂が夕日をあびているのを眺めた。
(笠間の西、下野国と常陸国の境にそびえているという仏頂山の山容は、あのようであろうか?)


【参照】200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] () () () (

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2009.04.17

一刀流杉浦派・仏頂(ぶっちょう)

浅田どのが、左馬さんにお遣いになった剣ですが---」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)が、浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)に問う。
ところは、御厩(おうまや)河岸の舟着き茶店〔小浪〕である。
岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)が身をのりだした。
つられて、井関録之助(ろくのすけ 21歳)もこぶしをにぎりしめる。

4人は、浅草田原町の質舗〔鳩屋〕長兵衛方をおそった盗賊〔釘無(くぎなし)〕の角兵衛(かくべえ 40歳)一味を倒し、夜廻りに駆りだされていた先手・弓の2番手組頭・奥田山城守忠祇(ただまさ 67歳)に、お馬先(さき)の召し取りの栄誉をもたらした。
その褒賞を、奥田組頭の屋敷で、受けた帰りである。
褒賞は、一人に1両(16万円)ずつが奉書紙につつまれていた。

「ああ。杉浦派の仏頂(ぶっちょう)のことですか」
「ほう---仏頂というのですか」
銕三郎は納得したが、左馬之助録之助はきょとんとしている。

きき耳をたてていた女将・小浪(こなみ 31歳)がお茶のお代わりを注ぎながら、
「ぶっちょういうたら、あの、仏頂顔(ぶっちょうがお)の仏頂どすか?」

「字で書けば同じですが、命名の由来は、笠間の仏頂山からきております」
応じた剛二郎に、
「笠間に、そんな不愛想な名の山があるのですか?」
録之助がも素っ頓狂な声で訊いた。

剛二郎は、笠間は盆地で、ぐるりを朝房(あさぼう)山、国見(くにみ)山、鍬柄(くわがら)山、棟(ぐし)山、吾国(わがくに)山にかこまれており、仏頂山はその山々の一つである。
山貌がけわしいためにつけられた山名であるが、杉浦流の秘剣の場合は、対手(あいて)の髪を注視することに由来していると。

「髪を注視する---?」
左馬之助が反問した。
「はい。攻撃に移ろうとする瞬間、髪がかすかに逆立(さかだ)つ。それを見て、機先を制すのです」
「ふーむ」
うなったのは録之助

「笠間藩では、唯心一刀流と示現流がもっぱらと聞いておりますが---」
たしかめたのは、高杉銀平師から聞かされていた銕三郎である。

「はい。中層より上の家の方々は唯心一刀流を修行なさっておりますが、それがしごとき花香(はなか)町の長屋住まいの小身の者は、杉浦三郎太夫師のお弟子だった方を、師とあおいでおりました」


【参照】200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] () () () (

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2009.04.06

用心棒・浅田剛二郎(4)

浅田うじ。貴殿が盗賊だとしたら、どういう手できますか?」
すべての手配が整ったことを伝えるために、浅草田原町(たはらまち)の質店〔鳩屋〕を訪れた銕三郎(てつさぶろう 25歳)が、用心棒・浅田剛二郎(ごうじろう)を近くの蕎麦屋へさそいだし、声をひそめて訊いた。

「まず、日時は、人影が認めにくい新月ですな」
「まさに---。一番近い新月は3日後。そのつぎは如月(きさらぎ 陰暦2月)の新月」
銕三郎が相槌をうち、
「配下たちに連絡(つなぎ)をつけているとすると、3日後の夜では、いかにもあわただしい」

「目くらましの放火をするとして、その賊に善意があれば、北風がまだ強い3日後より、1ヶ月先の如月(きさらぎ 陰暦2月)のほうが---」
剛二郎の言葉をうけた銕三郎が、復習してきたばかりの『孫子』をひいて、
「---火を発するに時あり、火を起こすに日有り---というが、大事にいたらさないためには、『孫子』の逆をということになる---」

「左様です。『孫子』は、乾いたときといっていますが、春雨の夜だと広がりが少なくてすみます。また、風の強い日を〔宿(しゅく)〕といってすすめておりますが、善意の賊なら、風のないでおる晩をえらぶでしょう」
銕三郎はうなずき、剛二郎が軍法にもくわしいのをみて、安心した。

「で、放火の場所の読みは?」
「先手の夜廻り組をおびきよせるには、田原町から離れていて、しかも大火事にしないために、風下に人家がないところ---というと、神田川に南面している平右衛門町あたりでしょうか」
「たしかに---あのあたりも町家ばかりで辻番所がない」

「首領が率いる本盗(ほんづと)め組は、大川を舟でやってきましょう」
「竹町の渡しの舟着きにもやっておく」
「駒形堂か、そのあたりです」

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(大川側から見た駒形堂 近くに竹町の渡し 『江戸名所図会』
塗り絵師:ちゅうすけ)

「ご存じの岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)と井関録之助(ろくのすけ 20歳)を助っ人として、泊り込みさせましょう」
「いや、それにはおよびませぬ。手前一人のほうが、気づかいなく戦えます」
「しかし、賊の側が浅田うじを意識して、手錬(だ)れの浪人を雇っていることもかんがえておかないと。左馬は、高杉道場に備えつけの鉄条入りの振り棒で、盗人と戦わせます」

参照】2008年5月12日[高杉銀平師] (

「手錬れとの対決になると、手前は、真剣を遣うことになるやも---」
「できれば、火盗改メか先手組の衆が駆けつけるまで、動けないようにしておくだけになさってください」
「こころがけましょう」

銕三郎は、これほどの藩士が、なぜ、藩を去るようなことになったのか、確かめてみたくなったが、私事にたちいることで、せっかくの友情がそこなわれることを怖れて、そのことは忘れることにした。


参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () (

1009年~4月3日[用心棒・浅田剛二郎] () () (

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2009.04.05

用心棒・浅田剛二郎(3)

「父上。浅草田原町(たはらまち)の質商〔鳩屋〕のことですが--」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、下城してきた父・平蔵宣雄(のぶお 52歳)に、これまでの経緯を話した。

すなわち、押しいった盗賊〔浮塚(うきつか)〕の甚兵衛(じんべえ 30歳)一味5名は、用心棒・浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)が倒してしばりあげ、長谷川家の隣家の火盗改メ・本役、松田組の得点になった。
しかし、浅田用心棒の剣の腕前を知らない盗賊のなかには、〔浮塚〕一味のような名もない田舎盗賊だから用心棒に簡単にしてやられたが、おれたちなら実(じつ)があげられると思い上がり、押しこんでくるような心得違いがいそうな気がしてならない。

「なるほど。(てつ)の言い分にも一理ある。それで、の考えは?」
浅田用心棒が申しますには、〔鳩屋〕の家族や使用人の生命を守らくてもよくて、賊たちだけとの勝負なら、負けはしないと---」
「ふむ」
「〔鳩屋〕の二軒隣りに、うまいぐあいに、空き家がありました。それで、いやがる店主・長兵衛を説き伏せて、その空き家を借りうけ、家族・使用人は、銭箱とともに、夜分はそちらへ泊まるようにさせました。移動も、表の出入り口でなく、裏庭づたいに行き来させます」

「なるほど。かんがえたな」
浅田用心棒は、自分が囮(おとり)になるから、火盗改メ方は警戒をきびしくして、襲ってくる賊を捉えてほしいと申しております。つきましては、先手組で非番の6組、さらには両番の書院番・小姓組の若手にも、深夜の見廻りを、上のほうから命じていただくわけには参らないかと存まして---」

「むつかしいお願いとはおもうが、いまの月番の少老(若年寄)は、水野壱岐 忠見 ただちか 41歳 上総・北条藩主 3万5000石)さまだから、先手の長老どのから、上申していただこう。さいわい、いまの長老は弓の10番手の石原惣左衛門広通(ひろみち 77歳 475石)さまだから、話を通しやすい」
このとき、77歳の組頭にもう一人、鉄砲(つつ)の20番手の福王忠左衛門信近(のぶちか 200石)がいたが、格は弓組のほうが上なので、福王信近は次老(じろう)と呼ばれていた。

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こうした処置は、ふつうは、前例がどうのこうのとごたごた論議がつづき、容易に結論がでないのが当時の幕政の泣きどころであったが、宣雄の人柄のせいで、3日とたたないで即決されたのはおどろきであった。
もっとも、田原町の一帯に旗本の屋敷や辻番がなく、警戒手段が見廻りしかなかったことも幸いしたようである。

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(東本願寺・緑○=田原町の質商〔鳩屋〕)


参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () (

2009年~4月3日[用心棒・浅田剛二郎] () () (


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2009.04.04

用心棒・浅田剛二郎(2)

浅田うじに謝らないといけませぬ」
「なんでしょう?」
浪人・浅田剛二郎(ごじろう 32歳)---いや、いまは浅草田原町(たはらまち)の質店〔鳩屋〕方のりっぱな用心棒という肩書きがある---その浅田用心棒が、澄んだ眸(め)で銕三郎(てつさぶろう 25歳)をみつめた。

火盗改メ・本役(ほんやく)の松田彦兵衛貞居(さだすえ 63歳)の屋敷兼役宅から連れだって、〔笹や〕に立ち寄っている。
〔笹や〕は、二ッ目ノ橋の南、弥勒寺の門前の茶店である。

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(二ッ目の通りと弥勒寺。山門前の板庇がお熊の〔笹や
『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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(上絵の部分拡大。〔笹や〕と隣の〔植半〕。「植木や」の文字が)

女将のお(くま)は、おんなのさかりをとうに過ぎた46歳だが、当人は依然として現役ぱりばりのつもりでいる。

久しぶり顔を見せた銕三郎に、
長谷川の若、嫁ごをもらったというでねえか。どうだえ、おれの味とくらべて?」
臆面もない口のききようである。
剛二郎を紹介されると、
「読み売りに、10人もの盗人をばったばったと片づけたと書かれていた用心棒さんが、このおさむれえかい? もう一本の剣で、おんなに『死ぬ、死ぬ』っていわせてみねえかね?」
剣は一流の浅田用心棒も、さすがに赤面して、
「倒したのは5人」
と訂正しそこなった。

「おどの。浅田うじと内密の話があるので、奥の部屋をしばらくお借りしたいのだが---」
「奥ってい7やあ、いつだかの晩に、若と裸の躰と躰をもみあった部屋でいいかね?」

【参考】2008年4月20日~[〔笹や〕のお熊] (1) (2) (3) (4) (5)

「また、これだ---」
「思い出のあの部屋でいいんだね?」
「じゅうぶんです」
という次第で、2人は、〔笹や〕の部屋にいる。

浅田うじを囮(おとり)にしてしまったことを、です」
「囮?」
「読み売りに、書かせてしまったことです」
「あれで、〔鳩屋〕の亭主は、大満足。わしの目利きのたしかさが江戸中に知れわたったと、鼻高々です」

「品定めはいいとして、賊の中には、〔浮塚(うきつか)〕の甚兵衛(じんべえ 30歳)一味はだらしがない、おれなら---と、売名の輩が押しかけるのがいないともかぎりませぬ」
「そのときはそのとき、です」
「5,6人の賊なら---いや、10人でも、浅田うじのお手並みなら片づけられましょう。しかし、15人がいちどにかかったら---しかも、手錬(だ)れの浪人が混じっているかもしれませぬ」
「------」

松田組だけでなく、父にも話して、手すきの先手組や両番(書院番と小姓組)の若くて腕の立つのを毎晩、夜回りさせるつもりですが、〔鳩屋〕のほうでも、浅田うじとどっこいどっこいの用心棒をもう一人、雇えないかと---」
「さて。あのけちな長兵衛がなんといいますか---」
浅田うじの命がかかっています。なんとか口説けませぬか」

浅田用心棒が、ひとり言のようにつぶやいた。
「手前ひとりなら、何人の賊でも手にあまるということはありませぬが---」
この言葉に、銕三郎は天啓をえた。


参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () (

1009年~4月3日[用心棒・浅田剛二郎] () () (


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2009.04.03

用心棒・浅田剛二郎

浅田どのとやら。このたびの処置、おみごとでござった」
火盗改メ・本役の松田彦兵衛組の筆頭与力・土方万之助(まんのすけ 51歳)が、姓を呼んで、ほめた。
銕三郎(てつさぶろう 25歳)が横目で見ると。浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)は、袴のほころびを気にしながら、頭をさげてかしこまっている。

年があらたまり、松がとれたころあいに、土方筆頭からの差紙(さしがみ 呼びだし状)が、浅草田原町(たはらまち)の質商〔鳩屋」と、松田家(1150石 先手・鉄砲(つつ)の2番手・組頭)の隣りの長谷川邸へとどいた。

昨年の暮れに、〔鳩屋〕へ押しいった盗賊・〔浮塚(うきつか)〕の甚兵衛(じんべえ)一味5人を、血をみせないで逮捕した浅田用心棒へのねぎらいの言葉と、その経緯を読み売りに売りこんで、火盗改メ・松田組の市井の声をいささか高めた銕三郎へのほめ言葉をかけるための呼びだしであった。

当夜、浅田用心棒は、太刀の鞘と棟(峰ともいう)で盗賊たちを気絶させたあと、縄でしばりあげて、夜明けを待った。
明るくなってから事態をしった町(ちょう)役人が、火盗改メの役宅---すなわち、松田組頭の屋敷へとどけたのである。

出勤してきた土方筆頭は、町奉行所でなくて、火盗改メ・本役の役宅へとどけたことを大げさな言葉で賞し、同心2名に小者数人をつけて、賊を受けとりにやった。

松田組の吟味で、首領・〔浮塚〕の甚兵衛は、 〔通り名(呼び名ともいう)〕のとおり、武蔵野国埼玉郡(さいたまこおり)浮塚村(現・埼玉県越谷市増林)の生まれで、若いときから江戸へ流れでてき、門跡(もんぜき 東本願寺)の寺男を隠れ蓑に、悪事をかさねていたことが判明した。

土方筆頭は、甚兵衛を伝馬町の獄へ送りこんだあと、一件の取調べ控え書を北町奉行所へまわし、月番の若年寄・水野壱岐守忠見(ただちか 41歳 上総・北条藩主 1万5000石)へもとどけておいた。
若年寄からは奥祐筆を経へ、褒賞の言葉はあったが、賞金の下賜はなかった。

したがって、土方筆頭与力も報奨金をつつまず、
「お頭も、大儀のよし、申しておられた。こんごとも、はげむように---」
筆頭与力としては、若年寄からの褒賞の言葉があったことを伝えただけでも、恐懼(きょうく)感激せよ---というつもりであろうが、浅田剛二郎とすれば、笠間藩士時代ならともかく、市井で浪人ぐらしをしている身とすれば、言葉などより実入りのほうがありがたい。
しかし、一応はありがたくうけたまわったという形をとった。

銕三郎へは、
「町方の安堵におおいに支えとなった。お頭も喜んでおられた。今後とも、側面からの助(す)けを、よろしゅうに---」
これだけであった。
(ま、今助(いますけ 26歳)と権七(ごんしち)の商いがふえ、左馬さんと(ろく)の実入りがつづいたのであるから、よし、とするか。言葉で飯がくえるほど、世の中、甘くはないよ、土方さん)


参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] () () () () () () () (

2009年~4月3日[用心棒・浅田剛二郎] () () (

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