〔笹や〕のお熊(その2)
「お熊どの。その〔加納屋〕のことを、もすこし、教えてください」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)のために、先に座っていた〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)が腰をずらせて、席をつくった。
「長谷川さま。とりあえず、お掛けください。女将(おかみ)。新しいお茶を---」
茶を入れかえてきたお熊は、得意げに話しはじめた。
〔加納屋〕善兵衛(ぜんべえ)---当主だった時代は伊兵衛(いへえ)といったが、なにしろ、いまは、上は大奥のお局(つぼね)さまから、下は裏長屋の嬶(かかあ)まで、髪飾りをつけない女はいないってくらいの世の中になってきているから、商売は順調---。
とりわけ、〔加納屋〕の鼈甲は上品という評判がたったからたまらない。
(歌麿『絵本笑上戸』の髪飾り)
「というのも、男と女の秘めごとを書きちらしている枕草子(まくらぞうし)の、なんとやらいう名のある絵描きが伊兵衛とは幼(おさな)馴染みでね。〔加納屋〕の創案した意匠の鼈甲櫛や簪(かんざし)を髪に飾った大奥の女たちが、いとやんごとなきことにはげんでいる絵入りの草子が売れに売れたのが、もとらしい。髪飾りをつけたままで極楽へいくもねえもんだ。のたうちゃ、みんなはずれちまわあな」
(北斎『ついの雛形』部分 イメージ)
お熊の辛らつな口調は、癖なのだ。
(〔加納屋〕は、お披露目(ひろめ)の奥義(コツ)をこころえておるようだが---)
たいていは、ねだられた男が買って与える。
高価なものから売れていくっていうのも奇妙な女ごころで、伊兵衛は笑いがとまらない。
男に金があまってくれば、とうぜん、使い道は女か道楽となる。
東両国の尾上町のさる料亭で仲居をしていたお福(ふく 28歳=当時)とできて、竪川(たてかわ)・緑町2丁目で売りにでていた〔古都舞喜(ことぶき)の女将に据えたのが10年前。
そのあと、店と屋号と継ぎ名を息子に譲って暇になった善兵衛はまだ50代の半ばだったから、2日とあけずに泊まっていたが、いまでは、あまり顔も見せないとか。
かんじんのものがいうことをきかなくなってきているって、お福がこれという客にはこぼしているらしい。
「お福の術(て)ですよ。そう言われた男客は、気があるのかなって自惚(うぬぼ)れるけど、このお熊さんに言わせりゃ、お福は、客の懐中の小判か南鐐(なんりょう 二朱銀)に誘いをかけているだけなんだけどね」
「お熊どの。くわしいですね」
感心する銕三郎に、
「本所・深川のことなら、なんだってお熊さんの地獄耳にはいるのさ」
40すぎ女のそれだが、それでも嫣然と笑ったときに、奥歯がほとんど抜け落ちてしまっているのが見えた。
「で、〔古都舞喜楼〕は繁盛しているんですかい?」
権七が訊いた。
「そこそこだってさ」
「お福女将の出は?」
「近在の葛西(かさい)の、どこかって聞いたね。親は花づくりもしている小百姓とか」
「〔加納屋〕さんは?」
「先々代が、美濃の加納宿---商人(あきんど)の多い、中山道の宿場だそうな」
「甲斐につながる線はありやせんね」
「権七どの。〔軍者(ぐんしゃ)〕は、〔舟形(ふながた〕の、と割れました。羽前だそうです。紅花染めの手拭いを懐中にしているとか---」
聞きとがめたお熊が、
「長谷川の若さまよ。なんだね、その紅花染めの手拭いって?」
「羽前生まれの舟形って通り名の男が、懐中にしている---」
「---手拭いは分かった。その男がどうかしたのかね?」
「軍者---つまり、知恵者(ちえしゃ)って呼ばれている---」
〔手っとりばやくいうと、軍師だね」
「そういうことです」
「何の軍師だね?」
「盗賊の---」
「〔古都舞喜楼〕へ押し入った?」
「そうです」
「こいつぁ、おったまげた。その軍師なら、ここで茶を飲んだよ」
「何時です?」
「5日ほど前になるかなあ。雨もよいの日だったよ。〔古都舞喜楼〕が賊に襲われた2日あとだ」
お熊の話は、こういう次第であった。
どちらも5尺(1m50cm)そこそこの男が、〔笹や〕の縁台でお茶を飲んだ。
50がらみの男が、蛙によく似た面(つら)つきの30歳前後とおぼしい男に、
「ちょうすけ(長助)どん。助っ人、ありがとうよ。かんざき(神崎)のに、あっしがよろしくと言っていたと伝えておくんなさい」
「これをお返しいたしやす」
受け取った小さな包みと入れ替わりに、風呂敷包みを押しやり、
「〔軍者〕さん、このたびのお勤め、おみごとでやした。また、声をかけてやってくだせえ。ずいぶんとお達者で---」
その時、〔軍者〕と呼ばれた50がらみのほうが、大きなくしゃみをして、あわてて懐から黄味がかった淡紅色の手拭いをだして、口をぬぐった。
「お熊どの。その〔軍者〕と呼ばれた男は、どちらへ去りました?」
「二ッ目之橋のほうさ」
【ちゅうすけ注】そう、お察しのとおり、面が蛙に似ているのは、文庫巻10の1篇で題名にもなつている[蛙(かわず)の長助]にまちがいない。〔神崎〕の、といわれたのは、長助のお頭の〔神崎」の伊之助。万事にはしっこかった長助が助っ人に借りられたのである。p69 新装板p64
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コメント
銕三郎の20歳前後で、もっとも親しくしたいた盗賊は〔鶴(たずがね)の忠助がいますね。おまさともども。
それから、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎とその妾のお静。
活躍していたのは、〔傘山(かさやま)〕の弥兵衛。
〔血頭(ちがしら)〕の丹兵衛。
〔夜兎(ようさぎ)]の角右衛門など。
メモです。
投稿: ちゅうすけ | 2008.04.21 09:55