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2008.01.04

与詩(よし)を迎えに(15)

暁闇の中、阿記(あき)はそっと床をぬけだし、身づくろいをして、母屋へ帰っていった。
一と言も発しなかったのは、まだ2刻(4時間)と眠っていない銕三郎(てつさぶろう)に、すこしでも多くの眠りをとらせる気づかいである。
それでも、銕三郎の眠りが気になるのか、見下ろすようにこちら向きで着付けるのを、銕三郎は薄目で見守る。
乳房をだしたままで赤い襦袢の皺をととのえ、着物に袖をとおし、帯を締めていく手さばきは、すばやい。
4年前のお芙沙(ふさ)のときには、そんな余裕はなく、気が上ずっていて、相手のことにまでは配慮が及ばなかったが、阿記には、いとおしさと、おもいやるゆとりを味わっている。
その変化を、銕三郎は、
(それだけ、おとなの男になっているのだ)
そう、自分を納得させた。

阿記が抜けたあとの寝床は、温(ぬ)くもりが失(う)せたようだったが、銕三郎は明けきるまでの一と眠りをむさぼる。寝不足は旅には禁物なのだ。

朝食は、これまで見たことのない、若い女中が運んできた。15,6歳にしか見えないそのむすめに、女中頭・都茂(とも)はどうしたのか、と訊いた。
「お頭(かしら)さんは、腹が痛いといって、臥(ふ)せっています」
「ひどく痛んでいる様子ですか?」
「いえ。お頭さんのいつもの術(て)なんです。気にいらないことがあると、腹痛になるんです」
「ははは。では、これを、飲むようにと、とどけてくれませんか」
銕三郎が取りだしたのは、小田原宿の〔ういろう〕で、〔荒神(こうじん)屋〕の助太郎(すけたろう)の婿・彦次(ひこじ)の母親にと求めた〔透頂香(とうちんこう)〕の包みであった。
【参照】2007年12月28日[与詩(よし)を迎えに(8)]

少ない荷をまとめていると、あわただしく都茂が入ってきた。
長谷川さま。先ほどは高価な貴重薬を、ありがとうございました。おこころざしがうれしゅうて---」
「もう、起きてもいいのですか?」
「早速にあのお薬をいただいたら、たちまちに効いて、腹痛がどっかへ行ってしまいました」
「それは重畳。いや、このたびは、いろいろとお世話になりました。お礼に、都茂どのに、いいお相手を引きあわせしなければと---」
「え? ほんと? いつ?」
「府中からの帰りだから、往復5日とみて---」
「5日後でございますね。しっかり、若返っておかないと」
みるみる、都茂の顔に血の気がさしてきた。

銕三郎の荷を胸がかえに抱いた都茂が先に立って母屋へ。
店先には、〔めうが屋〕の主人・次右衛門(じえもん)夫妻と阿記が待っていた。
銕三郎の姿をみとめて、走るように寄ってきた。

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(国芳『江戸錦吾妻文庫][生娘])

着物から髪型まで、すっかりおぼこむすめ風につくっている。
「おっ!」
目を見開いて驚いている銕三郎の手にさっと紙片をにぎらせ、
「生まれ変わって、娘時代に返ってみたくなったのです」
「なるほど、芦の湯小町だ」
「嫌ですよ。そんなにお驚きになっては。どうせ、21の出戻りでございますから」
「いや、惚れなおすとは、このこと」
「嘘でも、そういってくださると、嬉しい」
ぞんざいな口調と客向けの丁寧な言葉がいりまじってしまう。
(おんなとは、一夜で変わる生きものなのだ)

銕三郎を手招きした次右衛門が、手にしていた包みを示して、
「今朝がた、そう、六ッ半(7時)ごろでしたか、権七(ごんしち)さんの手の者とおっしゃる若い衆が、これを権七さんから長谷川さまへ、と---」
次右衛門が「権七さん」と呼んでいるのにをすばやく察して、
権七どのからとは、なんでございますかな」
「足の凝りほぐしの妙薬とか、聞きました。なんでも、風早村の秘伝薬とかで、梅干の肉に箱根の湯の花を練ったもので、〔足早(あしばや)膏薬(こうやく)とか---旅籠での湯上りにふくらはぎに貼るといいのだそうでございます」
「それは重宝。かたじけない。権七どのは、あたり一帯の顔ききだけあって、気づかいが行きとどいておられる。では遠慮なく---」
権七の手の若い者が、どこかにひそんでいて、逐一を報告するのを見越しての会話であった。

芦の湯村から三島宿への道は、来たときに通ったのとは違い、双子山の裏から西の山裾づたいに箱根関所まで小一里(4キロたらず)。途中で芦ノ湖畔にでる。
次右衛門の道しるぺを聞いてうなずいている銕三郎が、それとなく自分に視線をむけてくれると、阿記は、躰の芯があやしく燃えてきて、声を立てそうになるのを懸命におさえた。
(生むすめ風をよそおったのは、間違いではなかった。さまは、新鮮な気持ちで三島で再会してくださる)

村はずれにきて、銕三郎は、阿記がにぎらせた紙片を改めた。
(三島宿本町通りの〔樋口屋〕から北半丁(約500メートル)、円明寺隣、甲州屋、たのしみにしています)

【参照】三島・原宿[東海道五十三次] 広重&分間延絵図]

河原谷村を過ぎ、新町川の石橋をわたると、三島宿である。
三島大社の前を通ったが、江戸を発つときには、訪ねたいとおもっていた社の裏のお芙沙のしもた家は気にもならなくなっていた。

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(旧東海道に面している三島大社の正面)
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]


桜川をわたると、本陣・〔樋口屋〕の前がまえが見えたところで、左におれて円明寺をめざす。
〔甲州屋〕はすぐに見つかった。閑静な旅籠のようで、〔めうが屋〕次右衛門が、むすめのために選んだだけのことはある。
立ち寄らないで、近くの飯屋で遅い昼をとった。
東海道へ戻り,〔樋口屋〕の中はのぞかないで、さりげなく行過ぎる。昼間なので、本陣の者たちも表には注意をはらっていない。
4年前に世話をかけた先代の故・伝右衛門への回向料は帰りに、与詩を預けるときでよかろう。
今夜は、原宿で泊まるつもりでいる。

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(広重 原・朝日之富士)

陽はのびてきているが、原宿に着くころには、暮れかかっているだろう。
明日の宿は、府中(静岡市)だ。

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