一刀流杉浦派・仏頂(ぶっちょう)(3)
「山か---」
浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)があやつる一刀流杉浦派の秘太刀・仏頂(ぶっちょう)は、笠間盆地を囲む山塊群のなかの一つの峰の名前であるという。
銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、大川で見た筑波山を背にして、大川ぞいに南へ、竪川(たてかわ)へ向かって歩みながら、思い出の山を反芻していた。
東海道では、なんといっても箱根山道。
それと、さつた峠、宇津谷峠、小夜の山が記憶にのこっている。
(阿記(あき 22歳=当時)とのことがあった翌朝、2人で後日の約束をかわしながら眺めた駒ヶ岳の姿は朝日にかがやいていた)
【参照】2008年1月2日[与詩(よし)を迎えに] (13) (14) (15)
(〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳=当時)と掛川から、山あい道ぞいに相良へむかった途次、中という名の山里の北に見た、名も知れない山の容姿のやさしかったこと)
2009年1月25日[ちゅうすけのひとり言] (30)
甲州路は小仏峠をすぎると山ばかりだったようにおもう。
いや、手前の山にさえぎられて、遠くの高山の頂は、往還からは目にはいらなかったといったほうが正しい。
山にはそれそれ命名されたいわれがあるはず。
(仏頂峰のすぐ南隣りには鍬柄(くわがら)山があると、浅田うじはたしかに言った)。
しかし、この2つの峰の名は、山貌からきているのであろう。
仏頂山から北東は、谷をはさんで国見(くにみ)山だったか。
こちらの命名は、ちがいすぎる。
国見山からは常陸国の広い平野と下野国の田畑が見わたせるのか。
いや、国というのは、笠間藩のことかもしれない。
(赤○=笠間城下 緑○=佐白山 青○=左下から時計まわりに鍬柄、仏頂、国見の各山。
明治20年 参謀本部測量部製)
国見山から南東に見下ろせる佐白(さしろ)山におかれていた城(居館)のこと指しているということもありうる。
(そういうことだと、仏頂の山頂上からは、佐白城は真東だ。しかも、山高は半分もない)
山姿とすると仏頂は、仏の頭から生まれた仏頂尊ということになるが---。
あれこれおもいめぐらせているうちに、あやうくわが家をゆきすぎかけ、苦笑したが、そのとき、ひらめいた。
【参照】200余年4月17日~[一刀流杉浦派・仏頂(ぶつちょう)] (1) (2) (4) (5)
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