一刀流杉浦派・仏頂(ぶっちょう)(2)
おもわぬ褒賞金がはいったから、どこかで散財しようと岸井左馬之助(さまのすけ 25歳)が提案し、
「うなぎでよろしければ、それがしが働いている店の近くの、〔草加屋〕が評判ですが---」
浅田剛二郎(ごうじろう)用心棒がうけた。
浅草田原町(たはらまち)の〔草加屋〕は、屋号のとおり、草加宿のはずれを流れる綾瀬川で獲れたうなぎを生簀(いけす)で飼いおき、舟で毎日はこばせているので、味がいいといわれている店である。
(うなぎの〔草加屋〕 『江戸買物独案内』 文政7年 1824刊)
銕三郎(てつさぶろう 25歳)も久栄(ひさえ 18歳)と、いちど、行ってみようとは思っていた。
しかし、久栄は臨月が近い。
なるたけそばにいて、気をくばってやりたい。
うなぎを肴に呑もうという3人を見送った。
渡しの舟着きへ向かおうとした銕三郎に、女将の小浪(こなみ 31歳)が声をかけた。
「長谷川はん。よろしゅおしたら、もう一杯、お茶、どないどすえ?」
「なにか、用でも?」
「お耳にお入れしてええのんか、どうか---」
腰を落ち着けた銕三郎の横へきた小浪が、ささやくように、
「今助はんが、浅田はんのご内室が上府してはるいわはりましてなあ」
「なに? 浅田うじのご内室は、たしか、今助どのの姉ごと聞いていたが---」
「ええ。事情(わけ)がおまして、離縁にならはったんどすが、あきらめられへんらしゅうて---」
「男とおんなの仲です。ましてや夫婦だったお方。そういうこともありましょう。しかし、それをなぜ、拙に?」
「浅田はんのとりなし役は、長谷川はんをおいて、ほかにはあらへんと、今助はんが---」
於布美(ふみ 25歳)---剛二郎のかつての妻の名である。
於布美はいま、〔銀波楼〕に仮偶している。
小浪は、自分のお頭である京の〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 50歳)からの返事があり次第、向島の寮へ移すつもりだという。
生計(たつき)の入用(いりよう)は、今助から出る。
「ほかならぬ今助どのの頼みとあれば、聞かぬわけにはゆきませぬ。機会(おり)をみて、浅田どのには話してはみますが、こればっかりは、ご当人の気持ちひとつゆえ、あてにはしないように、今助どのへ伝えてくだされ」
今助は、浅草・今戸一帯の香具師の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 61歳)の子であるらしい。
小浪は、大盗・〔狐火〕の勇五郎のうさぎ人(にん 耳役)であるとともに、林造の妾であり、今助とも情を通じている。
【参照】2008年10月23日[うさき人(にん)・小浪] (1)
渡しの舟が向こう岸の石原橋脇の桟橋へ着けるあいだ、銕三郎が思案していたのは、於布美のことではなく、剛二郎がふっともらした、一刀流杉浦派の秘太刀〔仏頂(ぶっちょう)〕のことであった。
高杉銀平(ぎんぺい 64歳)師からは、剛二郎の竹刀の一撃が肩へくる前に、対手(あいて)の面を撃つ工夫を宿題にされている。
剛二郎は、こう言った。
「対手が攻撃に移ろうとする瞬間、髪がかすかに逆立(さかだ)つ。それを見て、機先を制すのです」
銕三郎は、大川のはるか上流の向こうに、箱庭の山のような筑波の山頂が夕日をあびているのを眺めた。
(笠間の西、下野国と常陸国の境にそびえているという仏頂山の山容は、あのようであろうか?)
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