用心棒・浅田剛二郎(3)
「父上。浅草田原町(たはらまち)の質商〔鳩屋〕のことですが--」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)は、下城してきた父・平蔵宣雄(のぶお 52歳)に、これまでの経緯を話した。
すなわち、押しいった盗賊〔浮塚(うきつか)〕の甚兵衛(じんべえ 30歳)一味5名は、用心棒・浅田剛二郎(ごうじろう 32歳)が倒してしばりあげ、長谷川家の隣家の火盗改メ・本役、松田組の得点になった。
しかし、浅田用心棒の剣の腕前を知らない盗賊のなかには、〔浮塚〕一味のような名もない田舎盗賊だから用心棒に簡単にしてやられたが、おれたちなら実(じつ)があげられると思い上がり、押しこんでくるような心得違いがいそうな気がしてならない。
「なるほど。銕(てつ)の言い分にも一理ある。それで、銕の考えは?」
「浅田用心棒が申しますには、〔鳩屋〕の家族や使用人の生命を守らくてもよくて、賊たちだけとの勝負なら、負けはしないと---」
「ふむ」
「〔鳩屋〕の二軒隣りに、うまいぐあいに、空き家がありました。それで、いやがる店主・長兵衛を説き伏せて、その空き家を借りうけ、家族・使用人は、銭箱とともに、夜分はそちらへ泊まるようにさせました。移動も、表の出入り口でなく、裏庭づたいに行き来させます」
「なるほど。かんがえたな」
「浅田用心棒は、自分が囮(おとり)になるから、火盗改メ方は警戒をきびしくして、襲ってくる賊を捉えてほしいと申しております。つきましては、先手組で非番の6組、さらには両番の書院番・小姓組の若手にも、深夜の見廻りを、上のほうから命じていただくわけには参らないかと存まして---」
「むつかしいお願いとはおもうが、いまの月番の少老(若年寄)は、水野壱岐(守 忠見 ただちか 41歳 上総・北条藩主 3万5000石)さまだから、先手の長老どのから、上申していただこう。さいわい、いまの長老は弓の10番手の石原惣左衛門広通(ひろみち 77歳 475石)さまだから、話を通しやすい」
このとき、77歳の組頭にもう一人、鉄砲(つつ)の20番手の福王忠左衛門信近(のぶちか 200石)がいたが、格は弓組のほうが上なので、福王信近は次老(じろう)と呼ばれていた。
こうした処置は、ふつうは、前例がどうのこうのとごたごた論議がつづき、容易に結論がでないのが当時の幕政の泣きどころであったが、宣雄の人柄のせいで、3日とたたないで即決されたのはおどろきであった。
もっとも、田原町の一帯に旗本の屋敷や辻番がなく、警戒手段が見廻りしかなかったことも幸いしたようである。
(東本願寺・緑○=田原町の質商〔鳩屋〕)
【参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2009年~4月3日[用心棒・浅田剛二郎] (1) (2) (4)
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