隣家・松田彦兵衛貞居(6)
--ぜひ、お助力をいただきたい。
隣家の火盗改メ・松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150石)の筆頭与力・土方万之助(まんのすけ 50歳)からの使いとして、同心見習・友田由里之進(ゆりのしん 20歳)が長谷川家の玄関に立った。
秋口に入ったというのに、昼間はまだ暑いので、水浴びのあと浴衣がけで新妻・久栄(ひさえ 17歳)の膝を枕に耳掃除をさせていた銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、老下僕(ろうげぼく)の太作(たさく 62歳)に、あとで伺うと言わせたが、友田見習は、杓子定規に納得しない。
「同道ねがいたい」
式台の前で粘っているという。
着替えて内庭から玄関にまわってみると、友田見習があまりに初々しいので、
「お待たせしました。ところで、友田どのは、いつからご出仕で?」
「おととい---からでございます」
まる顔の頬を紅潮させて答える。
隣家の与力詰め部屋では、土方筆頭が待ちかねていた。
「かような投げ文がありましてな」
3枚の紙片を、さも危険なものをわたすように、さしだした。
「23日の九ッ半(深夜1時)に参上。 蓑火」
「24日の九ッ半(深夜1時)に参上。 蓑火」
「25日の九ッ半(深夜1時)に参上。 蓑火」
1日ずつずらして、達筆でしたためられていた。
土方筆頭によると、
23日づけのは、浅草諏訪町の紙問屋・伊勢屋伝兵衛方。
24日づけのは、本郷2丁目の結納物所・伊勢屋市兵衛方
25日づれのは、上野新黒門町の乾物問屋・伊勢屋善兵衛方
へ、それぞれ投げこまれていたという。
「23日といいますと、あと7日後ですが---」
「いたずらでござろうか?」
「いや。そうではないでしょう。〔蓑火(みのひ)〕という盗賊の一味の名は、聞いたことがあります。たしか、前の前の火盗改メ方・本多采女紀品(のりただ 56歳 2000石)がご本役のときに、神田鍋町の海苔問屋〔旭耀軒・岩槻屋〕へ押し入った賊が〔蓑火〕であったやに聞いております」
【参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年10月24日[うさぎ人(にん)]・小浪 (2)
「明日にでも、本多どののところへ人をやってたしかめさせよう」
「それがよろしゅうございます。 小村筆頭与力(彦次郎 ひこじろう 53歳)どのが一件をご存じです」
「だれかが〔岩槻屋〕の一件から、〔蓑火〕の名をかたったとか---}
「いえ。〔岩槻屋〕の件が〔蓑火〕一味の仕業らしいということは、本多組の外には洩れていないはずです」
(あぶない、あぶない。拙が〔蓑火〕一味としったのは、別の筋からであった)
「それにしても、なんのために予告をしてきたのか?」
「松田組の衆との知恵くらべのつもりかも」
「知恵くらべ---こしゃくな」
「まことに」
神妙らしく言ったが、銕三郎は、腹では笑っている。
投げ文のこの達筆は、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りゅう)に代わって〔蓑火〕一味の軍者(ぐんしゃ 軍師)となった備前・岡山の浪人・〔殿(との)さま〕栄五郎とやらの手筋であろうか。
「はかりかねていることがあるのでござる」
「なにでしょう?」
「日付だが、23日当夜か、暦が変わって翌24日になったばかりの九ッ半か?」
「2晩とも、こちらに警備させるための目くらましということも---」
「さすれば、24日は、諏訪町と本郷の2店に出張ることになる---」
(3店とも、本役の秋口からの縄ばりを指定してきている。これは、助役(すけやく)組も日本橋から北へ出張らせるための策かもな。したが、いまはまだ、助役は発令されていないはず---)
銕三郎は意見を述べなかった。
【ちゅうすけ注】この年、火盗改メ・助役に、菅沼主膳正虎常(とらつね 55歳 700石)が発令されたのは、(旧暦)9月25日であった)
「いや、蓑火が賊の名と知れただけでも、ご足労願った甲斐があったというもの。今後とも、ご存じのことは、お明しのほどを---」
(まるで、拙が盗賊一味とつながりでもあるような口ぶりではないか。失礼な---)
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