〔蓑火(みのひ)〕のお頭(6)
「本多さま。その〔旭耀軒・岩附屋〕へ押し入った賊は、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助一味ではないかとおもいます」
「銕三郎どの。しばし、待たれよ」
本多采女(うねめ)紀品(のりただ 明けて54歳)は、銕三郎(てつさぶろう 明けて23歳)を制し、当番与力・岡野憲一郎(けんいちろう 41歳)と書き留め役同心・加藤半之丞(はんのじょう 明けて30歳)を呼んだ。
2人が詰め部屋から現われると、加藤同心が、
「お久しぶりです」
銕三郎にあいさつした。
銕三郎も、
「その節は---」
「おお、加藤は、旧知であったな」
【参照】2008年2月20日~[銕三郎(てつさぶろう)、初手柄 (1) (4)
そのあと、岡野与力を、例繰方(れいくりかた)と紹介した。
例繰方は、過去の判例を調べて、量刑を提案するのが主な仕事だが、盗賊の押し入り手口や、博打の常習犯の名簿もつくったりする。
岡野は、その掛り束ねている。
銕三郎は、自分の考えをあらためて話した。
〔蓑火〕一味には、2人の軍者が押し込みの案を練っていること。
2人は、火にたとえられている、信州・上田生まれの〔神畑(かばたけ)〕の田兵衛(でんべえ 明けて41歳)と、水と称されている甲州・滝戸川の最上流の中畑(なかばたけ)村の出で女男(おんなおとこ)のお竜(りょう 明けて29歳)である。
こんどの事件であるていど読めたのは、田兵衛は火を使ってのめくらましに案に長(た)けていること、水のお竜は連絡(つなぎ)と嘗(なめ)---つまり、下調べ役をしているらしいこと。
芝から築地ぞいに舟を配置し、火牛の暴走が成ったことを、ゆれる松明の火で次の舟へ申し送る仕組みを算段したのは、お竜とみる。
「銕三郎どの。その者たちのこと、どこで仕入れたのかな?」
本多お頭(かしら)が、にこやかに訊く。
「これは、拙の秘綱(ひめづな)ですから、明すわけにはまいりませぬ」
「余計なことを訊いて悪かった。おのおのに隠し筋があってとうぜん」
「拙からお訊きしたいのですが、これまで、〔蓑火〕一味の仕業とわかった盗難がございましょうか?」
「岡野、どうじゃ?」
「火牛を使った大がかりなのは、こたびが初めてです」
「あとで、よく例繰ってみよ。それにしても、朝日将軍(源(木曾)義仲)が倶利加羅峠で平家軍に対してとった戦法を、盗賊がつかうとはのう」
平蔵宣雄(のぶお)が口をはさんだ。
「本多どのも先刻ご存じのはずですが、倶利加羅峠での松明(たいまつ)牛のことは『平家物語』には書かれておりませぬ。『源平盛衰記』にあります。ですから、あとでの創りものといわれておるのに、それをこの江戸で再現したというのは、どういう了見でありましたのか」
「わしも、『源平』の書き手が、かの国の田単(でんたん)将軍がやった戦法---牛の角に剣をむすんではなった話のすりかえだとはおもっています。そういえば、田単と田兵衛---なにやら、似ていますな。はっ。ははは---」
銕三郎は、またしても、父から、暗に、不勉強をたしなめられたと感じた。
【ちゅうすけのつぶやき】銕三郎くん、それほど気落ちするにはおよばないんだよ。ぼくだって、塩野七生さん『マキャヴェッリ語録』(新潮文庫 1992.11.25)で、ハンニバルがアルプス越えしてローマ領に攻めこんだとき、カラクリで火牛戦術を使ったって啓発され、〔蓑火〕に使わせてみたんだよ。もちろん、木曾義仲の越中・倶利加羅峠のこともすぐにおもいついて、グーグルったさ。
http://blog.goo.ne.jp/t-50202/e/314671ed0e89f4849ff57961ed152e15
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310313853?fr=rcmd_chie_detail
http://plaza.rakuten.co.jp/syanaesyan/diary/200505310000/
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