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2010.04.26

〔蓑火(みのひ)〕のお頭(9)

(おや、あれは〔尻毛しりげ)〕の長助?)
外堀の東沿い、鍛冶橋をすぎた横丁からついと前にでた、指の脊まで毛むくじゃらの30男に、長谷川平蔵(へいぞう 30歳)はひとりごちた。

わずかに猫背ぎみのうしろ姿も、〔尻毛〕の長助(ちょうすけ 31歳 )にそっくりであった。
長助とは最初、8年の前に、阿記(あき 享年24歳)の見舞いに、芦ノ湯村へ急いでいた六郷の渡し場で会った。
美濃(みの)国方県郡(かたがたこうり)尻毛(しっけ)村(現・岐阜県岐阜市尻毛)の出身なのだが、手足の指まで黒い毛が密生しているために、仲間うちでは(しっけ)と呼ばれないで(しりげ)と愛称されている。
30年近くのちに、長右衛門と改めて『鬼平犯科帳』の一篇を飾った。

参照】2008年7月25日[明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)] (

のちに、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 54歳)の配下の小頭格の一人と知った。
その後、姿は見せない[蓑火〕の喜之助を介し、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)やお(かつ 33歳)、小浪(こなみ 35歳)、さらには〔五井ごい)〕の亀吉(かめきち)といった盗(つと)め人と知りあった。

参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭]  (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (
2008年10月23日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6)  (

供の一人の松造(まつぞう 24歳)に、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(49歳)元締に預かってもらっている万吉(まんきち 24歳)と啓太(けいた 22歳)を借りうけ、屋敷に待たせておくようにいいつけた。
「10日はお借りすることになろうと、丁重に断っておいてくれ」

南横町西会所で手ばやく袴をとって供の者に持たせて帰し、着流しで尾行(つ)けつづけた。
一石橋をすぎ、竜閑橋をわたり、鎌倉町横道の荒物商い〔信濃屋〕へ入っていった。
しばらく見張ったが出てこないので、〔信濃屋〕は〔蓑火〕の江戸での盗人宿の一つとふんだ。

三ッ目の通りの屋敷へ帰り、しばらくすると、万吉啓太がやってきた。
見張りと尾行の仕事だというし、2人とも喜んで、
「京都でやったののおさらいやよって、大事おへん」
胸をはった。

門番小屋の隣の物置につかっていた空き部屋を片づけ、当座の寝ぐらとしたが、すぐに見張り所に泊まりこむことになる。

翌日、若侍・桑島友之助(とものすけ 42歳)に、与(くみ)頭・牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 55歳 800俵)あての欠勤願をとどけさせた。
添え状には、火盗改メ本役・菅沼藤十郎定享(さだゆき 45歳 2022石)の役宅となっている小石川大塚町に近い屋敷へ注進におよびたいことがある旨を認(したた)めた。

前任・赤井越前守忠晶(ただあきら 49歳 1400石)が京都東町奉行へ転じたあと、先手・弓の2番手組頭と同日(安永3年3月20日)に菅沼定享が火盗改メを命じられていた。

目白台に組屋敷がある先手・弓の2番手の与力・同心たちとすれば、役宅が15丁ほどの近まになり、内心、大歓迎であったろう。

菅沼邸で門番になじみのある筆頭与力・(たち)伊織(いおり)に刺を通すと、伊織は数年前に卒し、息・朔蔵(さくぞう 20歳)が勤めにでているが、いまの筆頭は次席であった脇屋清助(きよよし 47歳)であるが、どちらに取りつぐのかと問われた。
脇屋与力とも話しあったことがあった。

参照】2009年12月11日[赤井越前守忠晶(ただあきら)] (
2009年2月8日[高畑(たかばたけ)の勘助] (

_360
_360_2
(菅沼藤十郎定享の個人譜)


参照】2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16

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コメント

蓑火の一門と平蔵の対決が早くも始まるのでしょうか。小説をとびこえることも、あり、なんですね。倍おもしろいといえそう。

投稿: tsuuko | 2010.04.27 05:52

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