〔うさぎ人(にん)〕・小浪(4)
「小浪(こなみ)さんが今助(いますけ)どんから聞きだしたところによると、〔蓑火(みのひ)〕のお頭が放逐なさった、〔伊庭(いば)〕の紋蔵(もんぞう)という男(の)が、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)と組んで、なにごとかたくらんでいるらしいのです」
〔狐火(きつねび)〕一味の番頭(ばんがしら)格・〔瀬戸川(せとがわ)の源七(げんしち 52歳)が、説明役を買ってでていた。
お頭の勇五郎(ゆうごろう 48歳)に、肴の茄子の早漬けを、ゆっくり味あわせるこころづかいからである。
小浪(29歳)は、浅草・今戸一帯をとりしきっている香具師(やし)の元締・〔木賊〕の林造(59歳)のものとなった代償に、御厩(おうまや)の渡し場前に、小粋な茶店を買ってもらった。(御厩河岸の渡し『江戸名所図会』 練り絵師:ちゅうすけ)
その〔木賊〕一家の若い者頭格・今助(21歳)をたらしこみ、寝床で一家の内情をしゃべらせている。
【ちゅうすけ注】〔蓑火〕一味を追放れた〔伊庭〕の紋蔵(37歳)は、『鬼平犯科帳』文庫巻2[蛇(くちなわ)の眼]p225 新装版p238で、60がらみの唐物商〔白玉堂〕の紋蔵として登場している。紋蔵が唐物屋となった経緯(いきさつ)は、あとで。
もちろん、〔狐火〕の勇五郎が期待していたのはそんなことではなかったが、小浪とすれば、勇五郎の盟友ともいうべき〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 46歳)にかかわることだから、聞き出さないわけにはいかないとおもったのであろう。
そのことは、〔狐火〕から〔蓑火〕へ通じ、小頭の〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 30歳前後)と〔尻毛(しっけ)の長助(ちょうすけ 24歳)が蕨(わらび)宿からつかわされてきたのであった。
両国橋の西詰で、久栄(ひさえ 16歳)といっしょだった銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)が2人を見かけたとき、2人は薬研堀北側に設けられた紋蔵の盗人宿の出入りを見張った帰りだったことは、あとでわかった。
【参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (2) (3)
[大橋家の息女・久栄(ひさえ)] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
ついでに書いておくと、〔蓑火〕一味からは、4人が紋蔵についていたことが、このときの見張りで判明している。
「そういうわけで、〔蓑火〕のお頭はちゃんと手をおうちになっているのですが、できれば、〔木賊〕一家とはことを構えたくないからと、うちのお頭に相談なさっているのです」
「〔蓑火〕の喜之助どのも、江戸へ?」
「うちのお頭が江戸入りなさっているわけですから---」
「で、拙が呼ばれたのは?」
源七は、またも、勇五郎の顔を仰いだ。
勇五郎がうなずいて、茄子の浅漬けを飲み込んでから、
「長谷川さまに、火盗改メのお役宅への投げ文(ぶふ)役をお引きうけいただきたいのです」
「投げ文役?」
じっさいは、銕三郎から、火盗改メの本役・本多采女紀品(のりただ)へ、〔伊庭〕の紋蔵一味の逮捕の出役をすすめてほしいというのだが、表向きは、投げ文があった形をとれば、〔木賊〕の林造の体面を傷つけることなく、たくらみを未然につぶせると考えらしい。
「拙が本多さまと---?」
「長谷川さまは、ご自分が平塚の〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 39歳)におっしゃったことを、よもや、お忘れではございますまい?」
(あっ、そういう繋がりもあるのか! しかし、この人びとの地下の連絡(つなぎ)の網目は、どうなっているのであろう? 恐しいばかりだ)
【参照】[与詩(よし)を迎えに] (29) (37)
[明和4年(1767)の銕三郎 (9) (10)
たしかに、4年前、婚家をとびだした阿記(あき 21歳)をおどしにきた平塚宿の顔役・〔馬入〕の勘兵衛に、当時も火盗改メをしていた本多紀品の相談役と大きく出たことがあった。
そんなことまで、〔狐火〕の耳へ達していたとは---。
(そういえば、勇五郎は、妾の一人を小田原城下にお吉(きち)を囲っていたが、本妻の病死とともに、お吉とのあいだにできた〔又太郎とかいう男の子とともに京都へ移したと聞いたことがあった。とすると、お静(しず 20歳)とややは、藤沢あたりに囲われており、こんどの入府は、そこからかもしれないな)
【ちゅうすけ注】小田原城下のお吉と又太郎のことは、『鬼平犯科帳』文庫巻6[狐火]p124 新装版p132
銕三郎は、承知するしかなかった。
「じつは、もう一つ、やっていただきたいことがあるのです」
〔狐火〕が言い、銕三郎に酌をした。
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コメント
白玉堂の紋蔵が伊庭の紋蔵だったなんて、想像外でした。『犯科帳』がいろいろ楽しめます。
投稿: kayo | 2008.10.26 06:03
〔白玉堂〕の紋蔵は、一時、〔蓑火〕の喜之助お頭のところにいたことがある、とかって読んだ記憶がありましてね、それで、どうして---?って考えみたんです。
で、たぶん、シナの帝王たちのように、玉に魅せられたんではないかと思いついたんです。
それは、いつか? っているうちに、大津の海辺の伊庭って地域に行き着いてしまいました。
あと、5日後に、そのいきさつがけっきりします。
投稿: ちゅうすけ | 2008.10.26 10:25