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2005.12.03

〔白玉堂(はくぎょくどう)〕紋蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収録の[蛇の眼]で、残虐な首領〔蛇(くちなわ)〕の平十郎の軍師として登場しているのが、飯倉3丁目で唐物屋〔白玉堂(はくぎょくどう)〕をやっていた紋蔵である。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
記憶力のいい読み手なら、〔白玉堂(はくぎょくどう)〕紋蔵がすでに巻1[座頭と猿]に顔をみせていることに気づいていよう。そう、〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門は以下の〔尾君子(びくんし)小僧〕と綽名されている軽業育ちの徳太郎が、助(す)けにいく〔蛇(くちなわ)〕一味の紋蔵のもとへあいさつに行っている。
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
(参照:〔尾君子小僧〕徳太郎の項 )
座頭・彦の市が愛欲のもつれから徳太郎を刺殺したので、身の危険を感じた紋蔵は店を閉めて、本所・成願寺(切絵図の誤植で正しくは成就寺。明治期に江戸川区平井1丁目へ移転)裏の百姓家へひそんでいる。
[暗剣白梅香]で、本郷の顔役〔三の松〕の平十ところへ、〔蛇〕の平十郎の代理として鬼平の暗殺を依頼に行ったのも紋蔵である。平十は、金子半四郎に300両で請け負わせた。
(参照: 〔三の松〕平十の項 )
(参照: 仕掛人・金子半四郎の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていない。
生国:記述はないが、店の屋号の〔白玉堂〕が手がかり。古代からシナでは、金よりも玉(ぎょく)を最高の宝とした。とりわけ白い玉が珍重された。
玉の輸入口は長崎で、それらを仕入れたのは大坂の商人である。〔蛇〕の平十郎とは、同じ大坂の出ということで信頼関係ができたと見る。
大津市に「白玉(edoqj)町」が誕生したのは明治7年(1874)だから、対象外である。

探索の発端:これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の部落・上之尾にあることを白状した。
また、襲われて殺された医師・千賀道栄が、いまわのきわに自らの血で「くちなわ」と書いていた。

結末:上之尾へ馬で急行、待ち構えていた鬼平以下の火盗改メに、紋蔵も含めて全員逮捕。

つぶやき:紋蔵が〔白玉堂〕の財物を処分するには、ずいぶんと時間がかかったろう。
しかし、唐物屋とはかんがえたものである。『鬼平犯科帳』で盗賊たちが狙うのは現金ばかりだが、『御仕置例類集』で現実の盗難の記録を読むと、財物もかなり盗みの対象となっている。
財物は、この一味は、〔白玉堂〕で売りさばいたのであろう。

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