〔空骨(からぼね)〕の六兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[駿州・宇津谷峠]は、京都からの帰路の浜松で、岸井左馬之助は10余里の寄り道にはなるが、かねて念願の秋葉大権現社へ参拝、さらに10余里を歩いて袋井宿へ下り、旅籠〔六文屋〕へ入った。
泊まりあわせていたのが、30年ぶりの再会となる臼井での幼なじみ・鎌太郎だったが、なぜか彼はそそくさと出立していった。
(参照: 〔臼井〕の鎌太郎の項)
盗賊〔空骨(からぼね)〕の六兵衛の一味の鎌又郎としては、左馬之助がけむったかった。
年齢・容姿:〔空骨〕の六兵衛についての記述はない。ただ、配下にそむかれるほどシミったれた性格らしい。
生国:駿州か遠州(どちらも静岡県)の生まれだろうが、〔空骨〕という地名は見あたらない。
探索の発端:舞台は変わり、こちらは鬼平と随行の同心・木村忠吾。
左馬之助に先行していて、大井川越えした先の林で、忠吾が下痢の処理をしていると、〔臼井(うすい)〕の鎌太郎がお茂を絞め殺すのが聞こえてしまった。
その鎌太郎と〔稲荷(いなり)〕の徳治は〔空骨(からぼね)〕の六兵衛一味だった。府中(静岡)の薬種問屋〔神崎屋〕で奪った460余両の分配をめぐっての不満から、お頭の六兵衛と妾おもんを殺害し、金を横領しようというわけだ。
岡部川をさかのぼる2人を尾行(つ)けていく鬼平と忠吾。
結末:行きついた山中の小屋で待っていたのは、お茂が酔わせて締め殺したはずの久蔵だった。徳治も鎌太郎も久蔵に殺されたが、その久蔵は鬼平の手に。
鬼平とすると、鎌太郎の正体を左馬之助に知らせずに終わったのがせめてもの友情であった。
つぶやき:〔空骨〕の六兵衛はお茂を密偵として配下の動きを探ぐっていたというが、それにしては〔二俣(ふたまた)〕の音五郎にあっさり殺されたものだ。
音五郎もお茂を抱いているらしいから、謀反一味だという情報は〔空骨〕の耳に入っていて、用心はしていたろうに。
さらにいうと、自分を守ってくれる配下をつくっていなかった六兵衛は、首領になる器量のなかった人物だったのかもしれない。
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コメント
「空骨病み」という方言が東北地方にあるようです。骨惜しみをするとか怠け者とかいう意味のようです。
投稿: 豊島のお幾 | 2005.12.05 00:53
>豊島のお幾さん
いい情報、ありがとうございました。
「空骨病み」なら、なるほと、「骨惜しみする」ともとれますね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.12.10 04:35