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2008.05.30

〔瀬戸川〕の源七(3)

おかねの名は、於嘉根と書くのです」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)は、おまさ(10歳)の手習い帳に書きとめていたこころおぼえの、

忠助、おおばさん、彦十のおじさん、瀬戸川のおじさん、瀬古、お兄さん、おかねちゃん---

の文字列から、さりげなく「〔瀬戸川(せとがわ)〕のおじさん」のことを訊きだしたあと、ひらがなで「おかねちゃん」とあった横に、朱墨で、お嘉根---と書き加えた。

は、よいことという意味をもった字です。は、箱根のからとったと聞いています」
さすがに、産みの親の阿記(あき 23歳)が、わが名---銕三郎の「」を別読みし、「かね」に「」と「」をあてたとは、言えなかった。
言えば、おまさがさらに気をまわす、とおもいついたからである。

箱根・芦ノ湯の親元の湯治旅籠〔めうが屋〕で育っている於嘉根(2歳)のことで、〔瀬戸川〕のなにがしから話題が離れて、ほっとしたことも事実であった。

「そろそろ、道場へ行かねばなりませぬ。おまさどのは、手習いをつづけるように---」
銕三郎は、立ち上がった。
一瞬、おまさはうらめしそうな目つきをしたが、
「お父(と)っつあんが帰ってきたら、〔瀬戸川〕のおじさんの名前を訊いておきますね」
「いや。その必要はありませぬ」
「うそ。お知りになりたいのでしょう?」
銕三郎は、おまさの勘のするどさに、内心、舌をまいたが、表向きはあくまで、
「ほんとうに、あの川が懐かしかっただけです」

北本所の出村町の高杉道場へは、〔盗人酒屋(ぬすっとさかや)〕を出、四ッ目通りを北へ5丁、横十間川(天神川とも)に架かる天神橋の通り(法恩寺通りとも)で左折、西へ7丁ほど---いまの時計ではかって15分とかからない。

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(〔盗人酒屋〕から高杉道場への道順 近江屋板切絵図)

稽古を終え、岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)を、法恩寺前の蕎麦屋〔ひしや〕へ誘い、入れこみの奥の卓をとった。
1ヶ月ほど前、銕三郎左馬之助が居合わせた〔盗人酒屋〕で、〔助戸(すけど)〕の万蔵(まんぞう 35歳前後)が急逝し、後家になったおのことから話題を始めた。

「おどのは、〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直兵衛(じつは直右衛門)とやらいう、いささかうさんくさい仁の手配で、遺骨を葬りに下野国(しもつけのくに)の足利在へ行ったようだが---」
「銕っつぁん。悪いが、その話はよしてくれ」
「未練は、ないのだな?」
「桜屋敷のふささんに申しひらきができないようなことは、しない」
「〔盗人酒屋〕にも未練はないか?」
「ないが、なぜだ?」
「じつは、頼みたいことがある」
「あの店にかかわりのあることか?」
「いまのところは、よくはわからないが---」
「番町の筋か?」
「うん」

番町の筋とは、銕三郎の本家、新道一番町の屋敷を役宅にしている長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石)---すなわち、いまの火盗改メのお頭(かしら)のことである。

「通旅篭町菊新道(きくじんみち)の〔山科屋〕という旅人宿に2泊ほどしてみてくれないか」
「それで、なにを嗅(か)ぐ?」
「京からきて泊まっている、〔狐火(きつねび)〕なにがしと、〔瀬戸川〕なんとやらという者の素性が知りたい」
「その〔山科屋〕への紹介状は手配できるのか?」
「番町へ頼んでみるよ」

「剣術の入門先を探しているとでも、口実にしてくれ。高杉道場が見つかったとでも言って、引き払う」
「念のために訊いておくが、[盗人酒屋]とのかかわりは?」
「〔瀬戸川〕なんとやらが、昨夜遅くに[盗人酒屋]の亭主・忠助(ちゅうすけ)親父(おやじ)を訪ねてきて、親父は今朝、〔狐火〕なにがしに会いに行った」
「それじゃあ、おれではまずいよ。忠助親父に顔をおぼえられている」
忠助親父とは顔をあわさないように---」
「そうはゆくまい。どうだろう、この仕事は、井関録之助(ろくのすけ)にふったら?」

16歳の井関禄之助は、高杉道場に入門したてだが、剣の筋がよく、銕三郎左馬之助が、「録、録」と可愛がり、稽古をつけてやってもいる。
本人は大柄だし前髪もすでに落としているので、20歳そこそこに見えないこともない。

店の小むすめを道場へ行かせた。
まだ道場に残っていた録之助が、小むすめとやってきた。
銕三郎から事情を聞くと、
「おもしろそうです。やらせてください」

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(菊新道の旅籠〔山科屋〕)

銕三郎は、宿泊料として2分(ぶ 半両)、わたした。
「あまったら、残りはいただけるのでしょうね?」
「しょうがない」
「ありがたい、ありがとうございます」
「こいつ、いまから、残す算段をしていやがる」
左馬之助が冷やかした。

当時の2分といえば、いまの8万円にも相当する。
銕三郎とすれば、大伯父の太郎兵衛正直に、1両とふっかけてみるつもりであった。

参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 (1) (2) (4)


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