〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七
「〔瀬戸川(せとがわ)〕の、そうすると、〔狐火(きつねび)〕のお頭(かしら)は---」
飯台に伏せって眠ってしまっていた銕三郎(てつさぶろう 20歳)の耳に、忠助(ちゅうすけ 40がらみ)の抑えた声がはいった。
【参照】[盗人酒屋] (8)
忠助は、ここ、本所も東端、竪川(たてかわ)に架かる四ッ目ノ橋に近い深川北代1丁目裏町に面した居酒屋〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕の亭主である。
(東本所・四ッ目橋に近い〔盗人酒屋〕 尾張屋板)
銕三郎は、長谷川本家(1450余石)の大伯父で、いまは火盗改メのお頭(かしら)を勤めている太郎兵衛正直(まさなお 57歳)に言われ、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)と探りにきていたのだが、この探索はなんとなく意にそまないとおもいはじめていた。
というのも、店を手伝っている忠助の一人むすめのおまさ(10歳)を妹みたいに感じるようになったからでもある。
酔いつぶれた銕三郎をそのままにして、、権七と〔相模無宿(さがみむしゅく)〕の彦(ひこ)十(31歳)が帰っていったのには気づかなかったのに、〔瀬戸川〕という言葉に無意識に反応したのは、6年前に、父・平蔵宣雄(のぶお)の言いつけで、駿州・田中城へでかけた時に、藤枝宿の西を流れているこの川を見たからである。
いや、見たというのは正確ではない。
その時、長谷川家の祖・豊栄(ほうえい 没後・法永)長者こと今川家の臣で小川(こがわ)城主だった長谷川次郎左衛門尉正宣(まさのぶ)の墓に詣でるため、瀬戸川を乗馬のままでわたった。
銕三郎は、伏せったまま動かず、目もあけないで耳だけをすませた。
「うん。いつもの菊新道(きくじんみち 通旅篭町)の〔山科屋〕だがね。こんどばかりは、忠助どんの顔を借りないと---」
〔瀬戸川〕と呼ばれた男は、それきり、ひそひそ声になった。
(通旅籠町菊新道(じんみち)〔山科屋〕 近江屋板)
ややあって、忠助が、
「えっ。お頭が---」
絶句したあと、
「わかりました。明日、五ッ(午前8時)に〔山科屋〕さんへ伺いますです」
〔瀬戸川〕という男が出てゆき、忠助が見送っている時も、銕三郎は動かないで眠っているふりをつづけた。
【参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七
戸締りをすませた忠助が、銕三郎の肩をゆすって、
「長谷川の若さま。こんなところでお寝(やす)みになっていてはいけません。お帰りにならないのなら、裏2階に仮床をしつらえますから、そちらで---」
「う、うーん」
いま、やっと目覚めた態(てい)で、
「なん刻(どき)ですか?」
「四ッ(午後10時)をすぎました」
「権七どのは?」
「彦十どんと、五ッ(午後8時)にお帰りに---」
「これはしたり。木戸が閉まっている」
「お泊めいたします」
「いいのか?」
「そのかわり、明朝、おまさの手習いを見てやってください」
「心得た」
おまさが寝巻きのまま降りてき、どんぶりに水を入れて、
「酔いざめの水です。銕(てつ)お兄(にい)さんは、あまり飲(い)けないのだから、無理して飲むことはないのです」
「負うた子に教えられ---だ」
「子ではありません。手習い子です。それより、明日の朝ご飯は---」
「おまさどのがつくってくださるのですか?」
「わたししか、いません」
「そうでした。では、白がゆと梅ぼし、香のもので---」
【参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 (2) (3) (4)
| 固定リンク
「121静岡県 」カテゴリの記事
- 〔横川(よこかわ)〕の庄八(2005.04.17)
- 〔瀬戸川〕の源七(3)(2008.05.30)
- 〔伊砂(いすが)〕の善八(2004.12.20)
- 〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛(2004.12.21)
- 〔瀬戸川〕の源七(2004.12.20)
コメント