〔臼井(うすい)〕の鎌太郎
『鬼平犯科帳』文庫巻3に所載の[駿州・宇津谷峠]は、墓参した京都からの帰路の浜松で、剣友・岸井左馬之助tが別路をとって秋葉大権現社へ参拝、袋井宿へ下りて旅籠へ入った。
泊まりあわせていたのが、幼なじみの鎌太郎であった。30年ぶりの再会である。が、鎌太郎はそそくさと出立してしまった。
年齢・容姿:48歳。眼があるかないのかわからないほど小さい。
生国:下総(しもうさ)国印旛郡(いんばのこおり)臼井村(現・千葉県佐倉市臼井)。
臼井宿は印旛沼南岸の港として繁盛していた。岸井家は郷士で庄屋でもあったが、鎌太郎は百姓のせがれだった。
探索の発端:腹を下していた木村忠吾が、島田を出て阿知ヶ谷の林で尻をまくっていて、〔臼井(うすい)の鎌太郎が女をしめ殺す気配を察した。
その前の会話で、〔二股(ふたまた)〕の音二郎と、〔稲荷(いなり)〕の徳治は、盗賊の首領〔空骨(からほね)〕の六兵衛と妾おもんを殺し、盗人宿に隠してある金を、〔臼井〕の鎌太郎と3人で横取りしようということだったらしい。もっとも、鎌太郎はその〔二股〕の音二郎をも殺害していた。
鬼平が藤枝の〔本陣〕で女の死体を見せると、小間物屋・久蔵の女房と知れた。
結末:岡部の旅籠で、忠吾が鎌太郎の声を耳にし、出ていった2人を尾行すると、岡部川をわたり、朝比奈川を遡る。とある小屋で〔藤枝(ふじえだ)〕の久蔵たち3人が待ち伏せていて、〔稲荷〕の徳治と〔臼井〕の鎌太郎を切り殺したところを、鬼平が捕縛。
このことを鬼平は岸井左馬之助には話さず、肩を借りながら宇津谷峠を下るのだった。
つぶやき:岸井左馬之助が浜松から向かったという秋葉大権現社へ参拝してみた。
麓の別社は、昭和18年だかに建立されたものだから、左馬が詣でたものではない。
台風の翌日で、木の小枝などが散らかっている山道を死ぬほどのおもいで登ったが、あとで、自動車道路ができているときき、がつくり。
しかし、岸井左馬之助(すなわち池波さん)が山道の樹間からの見たと同じ眺めはいまだに忘れられない。
秋葉登山の記録は当サイトの[週刊掲示板]2003年06月03日を。
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コメント
週刊掲示板読みました。
秋葉神社の場所を確認しようとしたら今年の7/1に浜松市、天竜市、浜北市、春野町、龍山村、佐久間町、水窪町、舞阪町、雄踏町、細江町、引佐町、三ケ日町が「浜松市」に合併したんですね。
探すのに苦労しました。
秋葉寺
三尺坊(天狗ですね)祀る古刹で毎年12月15、16日の2日間火防まつりが深夜執り行われる。
秋葉神社と同じ場所にあるのかと思ったらネットで見つけました。
《かつては神仏混合の聖地となっていたようですが、明治の神仏分離で、「秋葉神社」と「秋葉寺」に分離し、さらに、その後、「秋葉寺」は廃寺となりました。廃寺となった「秋葉寺」の本尊「秋葉山三尺坊大権現」は、現在静岡県袋井市「可睡斎(かすいさい)」という曹洞宗のお寺に祀られています。》
投稿: 豊島のお幾 | 2005.07.20 11:55
>みやこのお豊さん
ですから、でっかい楼門が、秋葉寺の遺跡(?)みたいにあったんですね。
とにかく、岸井左馬之助は47歳で登ったのですが、ぼくは73歳で登ったのです。
投稿: ちゅうすけ | 2005.07.20 16:23