〔高窓(たかまど)〕の久兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻13の巻頭に据えられている[熱海みやげの宝物]は、〔甞帳(なめちょう)〕〔甞役(なめやく)〕といった、池波さん独特の用語が初登場する篇である。
『オール讀物』1975年7月号に発表されたが、その前の6カ月間は休載。
休載中の半年のあいだにも、『鬼平犯科帳』の想を練っていたことがこの〔甞帳〕〔甞役〕という池波用語からもうかがえる。
〔甞役〕は大坂の地蔵坂に本拠を置く〔高窓(たかまど)〕の久兵衛の配下、〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治であることは、いうまでもない。
(参照: 〔馬蕗〕の利平治の項)
年齢・容姿:70歳をこえて卒中で死亡。容姿の記述はない。
生国:大和(やまと)国平群郡(へぐりこうり)白毫寺(びゃくごうじ)村(現・奈良県奈良市白毫寺町)。
〔高窓〕という地名は江戸期にはない。それで、池波さんは、レイモンド・チャンドラーによる私立探偵フィリップ・マーロウものの『高い窓』に影響されてつけた「通り名(呼び名)」かな、と長いこと錯覚していた。
あるとき、〔高窓〕(たかまど)「高円(たかまど)」とヒラメイた。高円山(たかまどやま)は白毫寺町の東にあって432.2メートル、北の三笠山とつながる。
高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人無しに
(『万葉集』巻ニ)
池波さんは、〔高窓(たかまど)〕の久兵衛を、高円山のふもとの村の出生と仮定したのであろう。
探索の発端:彦十は、かつて見知っていた〔馬蕗〕の利平治が熱海の湯へつかりにきているのを見かけた。接触すると、お頭〔高窓(たかまど)〕の久兵衛が病死したので、消息が絶えている嫡男・〔布屋〕久太郎を探しているが、一味の後継をめぐっ争いが起きている、と訴えた。
(参照: 〔布屋〕久太郎の項)
後継騒ぎをおこしているのは、浪人あがりの高橋九十郎だった。
結末:〔高窓〕一味を乗っとった高橋一派は、鬼平の手配りで全員逮捕。〔馬蕗〕の利平治は無事に〔布屋〕久太郎に会たが、久太郎は盗人稼業から足をあらうという。
お頭を失った利平治は、命のつぎに大切な〔甞帳〕を鬼平へ差しだして、密偵となる。
つぶやき:この[熱海みやげの宝物]は、寛政7年(1795)1月の事件である。史実をいうと、この年の初夏、長谷川平蔵は床につき、旧暦5月10日に逝った。
小説のほうは、史実の平蔵の死後3年ほどもつづいている。もちろん、読者の要請による継続だったが、池波さんとしては、(こころならずも---)の気分だったのではなかろうか。
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コメント
「高窓」イコール「高円」への発想すばらしいですね。敬服してしまいます。
山の辺の道の出発点、白毫寺(真言律宗)の門前集落にあるまだ残る大和棟や石組みの白い土壁がみたくて、昨年暮ひとりで、この
高円山の麓の白毫寺町へ行きました。
高円山は万葉時代には、遊宴や狩猟の地として親しまれ,四季の風物に富んでいたのか、「万葉集」には高円の地名が多くでてきます。
上記ブログの中の歌は、霊亀元年に志貴皇子が亡くなられた時に死を悲しみ作られた挽歌の反歌だとされてます。
皇子のゆかりの地に建てられた白毫寺(五色の椿や90段もの細い参道の両側の萩で有名なお寺)の境内の南の端にこの歌の碑が立っていました。
昨年この碑を見た時には、この歌がブログに登場してこようとはつゆほども思っていませんでした。
夕暮れ迫った師走の境内で,この歌の文字を物悲しく読んだのを,今しみじみと思い出しています。
思い入れのある土地がブログに登場すると、こんなに感動するなんて。
ご自分の出身地がブログに登場した時は、是非読んでみて下さい、きっと特別な気分になると思います。
高円山今は夏の奈良の「大文字送り火」の舞台で奈良の町が一望できる眺望の場所です。
池波さんも旅の途中できっと強く印象に残られた土地なのでしょうね。
投稿: みやこのお豊 | 2005.07.20 13:51
>みやこのお豊さん
お豊さんが、昨年暮、京都へ行ったのは聞いてましたが、白毫寺へも足ををのばしていたとは。いや、聞いたかもしれないけれど、そのときは「高円」がひらめいていなかったから。
でも、耳の奥に、「高円」がのこっていたのかも。
投稿: ちょうすけ | 2005.07.20 16:27