〔うさぎ人(にん)〕・小浪(3)
「お竜さんにわたりをおつけになろうとしているわけをお聞かせください」
〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳 初代)に言われて、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)は、 これまでの経緯(ゆくたて)を、隠すこととなく話した。
きっかけは、この〔盗人酒屋]の主(あるじ)の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 47歳)から、〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳)の人柄を聞いたとき、3人の小頭---〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵、〔五井(ごい)〕の亀吉、〔尻毛(しっけ)〕の長助(一本立ち後は長右衛門)と、2人の軍者(ぐんしゃ)---〔神畑(かばたけ)〕〕の田兵衛(でんべえ 41歳)と〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)がついていること。
お竜はおんなおとこ(女男)で、男ぎらいらしいこと。(歌麿 お竜のイメージ)
【参照】[〔蓑火(みのひ)のお頭] (2) (4) (6)
[大滝(おおたき)〕の五郎蔵 (1) (2)
【参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
そこまで話したとき、板場から忠助が顔をだした。
それまで、遠慮していたが、どうやら、平穏に話がすすみそうだとみきわめて、酒と肴をはこんできて、3人に酌をし、そのまま、長身をかがめて座に加わった。
おまさは、2階で手習いにはげんでいる。
肴は、刻んだ茄子(なす)を塩もみしただけのを山椒醤油で食すもので、夏らしく、さっぱりし風味であった。
「茄子を山椒醤油---とは気がつかなかった。冷酒がすすみそうだ」
勇五郎がほめると相好をくずし、砂町(江東区北砂町)からいい実(み)がはいったのでと首をすくめた。
銕三郎は、お竜の生地---甲斐国八代郡(やつしろこおり)中畑(なかばたけ)村まで出かけて素性を聞きこみ、母親が武田方の軒猿(のきざる 忍びの者)の子孫であったこと、父親・木こりの猪兵衛の先祖も武田の通信網---山のろし小屋の番人を兼ねていたことがわかったことも告げた。
雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)脇の料理茶屋〔橘屋〕忠兵衛が父・平蔵宣雄のふるい友人であるので、家族3人で食事をしたとき、そこの女中から、お勝という、甲斐の中道ぞいの村生まれで、辞めた女中(の)がおんなおとこであったと聞いたことから、もしや、お竜の相方ではなかろうかと、その行方を捜していること---(歌麿 お勝のイメージ)
(女中頭・お栄(えい 36歳)やお雪(ゆき 23歳)のことは、迷惑がおよんでは---と伏せた)
ざっと聞き終わった、勇五郎が、
「よくぞ、正直に話してくださいました。長谷川さまが、甲斐へのお旅の一件をおはぶきになっていたら、手前は長谷川さまを信じなくなるところでした」
脇の〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳)が、安堵のうなずきをくりかえす。
「甲府勤番にまで、〔うさぎ〕がもぐりこんでいたとは---」
「あそこは、〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ 42歳)どんの地盤でしてな」
「睦んだこともない、おんなおとこのために、あやうく、命をおとすところでした。あは、ははは」
「お竜さんとは、いかな長谷川さまでも、睦めますまい。あは、ははは」
笑い終わると、銕三郎が言葉をつないだ。
去年の大晦日より、ことしの元旦と言ったほうがあたっているが、高輪の牛舎の松明牛さわぎと、神田鍋町の海苔問屋〔旭耀軒・岩附屋〕の盗難の件の関連は、火盗改メ方本役・本多采女紀品(のりただ 55歳 2000石)組も察してはいるが、その節にお竜が使った海上の小舟から松明をつかって合図を継送したことまでは、まだ、調べがすすんでいないはずであること。
したがって、お竜には捜査の手がのびていない、と銕三郎が断言した。
「山のろしの通信法など、お竜どのが会得している武田信玄公流の軍学について、いろいろ、質(ただ)してみたい---いや、教わりたい、それで、お竜どのを捜しているのです」
「長谷川さまは、小舟による松明(たいまつ)の合図送りまで、見抜いておられましたか。〔狐火〕一味の軍者に、三顧の礼でお迎えしたいほどのものです。いや、冗談です。それでは手前が、長谷川さまをお竜さんにお引きわあせしてしんぜましょう」
「ほんとうですか?」
「はい。いま、お竜さんを、〔蓑火〕の喜之助どんから譲りうける話をすすめているところです。10日ほど、お待ちください」
銕三郎は、まるで安物の小説のように、ことがするすると運ぶのに、半分、あきれていた。
これまでの苦心が、まるで、悪夢を見ていたようでもあった。
〔神畑〕の田兵衛とのあいだが、ぎくしゃくしてきているらしい。
「長谷川さま。お竜の件と、〔蓑火〕一味の小頭が香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 59歳)となにやらたくらんでいることとは、別ごとでございますよ」
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