〔五井(ごい)〕の亀吉
「お武家さん。お帰(けえ)りになる前(めえ)に、ひとつだけ、お聞かせくだせえ」
五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 30前後)が、眉根を寄せて、訊いてきた。
(発覚(ばれ)たか。いよいよとなったらこやつを斬らねばなるまいが、そうなると、〔木賊(とぐさ)〕の林造(りんぞう 59歳)とのあいだがらがおかしくなる)
【参照】2008年8月22日~〔木賊〕の林造 (A) (B) (C)
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの平蔵)は、つとめて平静をよそおい、
「なんでしょう?」
「長谷川さまとおっしゃいましたか?」
「さよう」
「間違っていたら、ご免こうむりやす。長谷川平蔵さまとおっしゃるお旗本は---?」
「拙の父だが---」
「やっぱり! 失礼いたしやした」
「父が、なにか---?」
亀吉がいうには、てめえは「呼び名(通り名)でお察しとおり、上総(かずさの)国市原郡(いちはらこおり)五井(現・千葉県市原市五井)の漁師の三男だが、女房・お衣知(いち 22歳)は、同じ上総でも山辺郡(やまのべこおり)片貝(かたがい 現・千葉県山武郡九十九里町片貝)の小百姓のむすめで、知行主が長谷川平蔵宣雄(のぶお 50歳)--すなわち、銕三郎の父だと。
長谷川家は、知行主としてはよくできており、もともとも幕府からの片貝の下賜地は180石であったが、村人とともに荒地を開墾して90石分ほど新田をふやし、2割にあたる18石分を村に渡したと。
村は、18石分のからあがりで、村の諸掛かりをまかかない、それぞれの農家の負担がその分助かっているとも。
「新田開発の指導は、父上がおやりになったもので---」
「そうだそうですね」
亀吉は、なにかをおもいだしたらしく、くっくくくと笑った。
「どうかしましたかな?」
銕三郎が、話の先をうながした。
「お殿さまにゃ、ないしょにしてくだせえよ。女房から聞いたのでやすが、じつは---」
海女(あま)をしていたお衣知叔母が、宣雄に惚れて、わりない仲になったのだと。(歌麿「海女たち」 イメージ)
「また、海女ですか---」
【参照】2008年1月12日[与詩(よし)を迎えに] (23)
「おや、ほかにも?」
「いや。で、その海女は?」
「いまでは、15人の孫持ちだそうで---」
「はっ、ははは。父上のしっぽをつかみました」
「なんでも、もう一つの知行地---武射郡(むしゃこおり)の村長(むらおさ)のむすめもはらませたとか---」
「その村長のむすめが産んだ子が、拙です」
「や。これは、これは---」
小浪(こなみ 29歳)が横から笑いながら口をはさむ。
「そういたしますと、長谷川さまのお血筋は、おなごにお手がお早い---」
「女将さん。そうじゃあねえんで。うちの奴に言わせると、村のおんなたちが、むすめっこはおろか、年増たちもほっとかなかったんだと」
「こちらさまも、そうのようでございますね」
小浪は、流し目を銕三郎にくれた。
「村方での話ですよ。江戸のおんなは、しっかり者ばかり---」
銕三郎は、逃げるように、店を出た。
(しまった。亀吉の住まいを聞いておくんだった)
暮れるまでには、半刻(1時間)以上あった。
そのまま、店の前の御厩渡しの舟に乗った。
つづいて乗る者がいなかったので、対岸の石原町の舟着きでは、安心して両国橋へ直行し、和泉橋通りの大橋家へ向かったのである。
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