〔五井(ごい)の亀吉
『鬼平犯科帳』文庫巻4に所載の[敵(かたき)]に、〔大滝〕の五郎蔵とともに大盗〔蓑火〕の喜之助の薫陶をうけたのち、〔ならび頭(がしら)〕のかたちで独立した、とある。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
年齢・容姿:[敵]は寛政元年(1789)の夏から晩秋へかけての事件。〔ならび頭〕五郎蔵が50がらみ、亀吉の一人息子の与吉が25,6歳。〔五井〕の亀吉が死んだのはその10年前というから47,8歳かそれよりちょっと上だったろう。容姿についての記述はない。
生国:上総(かずさ)国市原郡(いちはらごおり)五井---といっても取れ高2,500石前後と広い(現・千葉県市原市五井のどこか)。
とはいえ、東海道筋・御油との見方も捨てきれないのだが。
探索の発端:〔五井〕の亀吉の息子・与吉が、「父親の敵(かたき)」と、三国峠で〔大滝〕の五郎蔵へ斬りかかってきた。
五郎蔵としても、10年前に駿府(静岡市)の笠問屋〔川端屋〕へ8名で押しこみ、320余両を奪って名古屋城下の旅籠で金を分配、1年後を約して散ったのに、亀吉の消息がその後ばったりと絶えたのを心配していたところだった。
しかし、与吉が火盗改メのイヌといったので、〔坊主の湯〕の盗人宿を知られたのでは、と与吉を殺害してしまった。
その一部始終を望見していたのが、たまたま通りがかった鬼平の剣友・岸井左馬之助で、見たことを鬼平へ報告したことから、〔大滝〕の五郎蔵の探索がはじまった。
五郎蔵は五郎蔵で、与吉に、〔五井〕の亀吉殺しの犯人とそそのかした奴を探しはじめた。
結末:与吉をそそのかした〔小妻〕の伝八を始末した〔大滝〕の五郎蔵は、〔舟形〕の爺つぁんとともに、火盗改メの密偵となった。
つぶやき:じつは、〔大滝〕の五郎蔵の出生地を探索しているのだが、結論がでないままに、先に〔ならび頭〕だった〔五井〕の亀吉を取り上げてしまった。
五郎蔵の出生地の有力候補は、2つにしぼられているのだが、いまだ実地検分がすんでいない。
その候補地とは、一つは近江の「大滝地区」、もう一つは秩父山中の「大滝郷」である。ほかにも、「大滝」を称している土地は15ばかり見つけてはいるが、いまは、上記の2カ所にしぼって探索している。
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コメント
きのうの[〔白駒〕の幸吉]に出ていた、悲劇づくりのウソつき〔押切〕の定七につづいての、デマゴーク屋〔小妻〕の伝八の登場ですね。
むかしから、「ウソは泥棒の始まり」といわれました。鬼平さんの時代にも、この俚言はあったのでしょうか。
いっぽうで、「ウソも方便」ともいわれます。
しかし、悲劇をもたらす「ウソ」はこまります。
〔小妻〕の伝八のように、自分のやったことを
他人におっかぶせるウソはゆるせません。
投稿: 加代子 | 2005.02.22 11:14
>加代子さん
義憤はまったく、そのとおりです。
しかし、悪人や悪業を描くのも、小説作法のひとつでしょう。
そうでないと、悪漢小説(ピカレスク)は存立しえません。
ですから、ご自分の正義感はそれはそれとして、作家の方の悪漢の描きぶりを鑑賞しましょうよ。
投稿: ちゅうすけ | 2005.02.22 13:01
五井の亀吉に関してはコメント書きようがありませんね。
しいて言うならば「手前の息子をしっかりと教育しとけ!!、ならび頭の片方なのだから」と。
小妻の伝八は嫌な野郎ですね、虫唾が走る程嫌な野郎です。
五郎蔵は飼い犬に手を噛まれるなんてもんじゃなく、命まで取られるところでした。
でもこの「敵」は五郎蔵と舟形の宗平が親子の縁を結び密偵になる一編ですから貴重ですね。
あと「坊主の湯」が出てきますがこれは法師温泉ですね。
池波さんは若い頃に行ったこの温泉が余程気に入ったのでしょう。
それと好きっだ田中冬二の詩にも詠われてますからね。
投稿: 靖酔 | 2005.02.23 01:30