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2008.10.11

〔五井(ごい)〕の亀吉(2)

(〔五井ごい)の亀吉(かめきち 30がらみ)という男、なかなかに油断がならない)
銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、人があふれている両国橋西詰の広小路から、柳原土手を神田川ぞいにあるきながら、先刻、亀吉が言ったことを反芻していた。

久栄(ひさえ 16歳)をどちらの密偵と見たのかと訊いたとき、「多分、火盗---」と言いかけた今助にかぶせて、
「わしらが、賭場へ行くものと見たのでしょうよ」
(うまく誤魔化した用慎ぶかさと手際のよさ---細面で小柄なところもふくめて、動物にたとえると、川獺かな)

銕三郎は、〔たずがね〕の忠助(ちゅうすけ 45歳前後)が、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ46歳)には、6尺(1.8m)近い大男の〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろうぞう 29歳)という小頭と、〔五井〕の亀吉という2番手の小頭がいる---と言っていたことをおもいだした。

参照】2008年8月30日[〔蓑火(みのひ)」の喜之助 (2)

(大男と小男の2人の小頭---〔蓑火〕は、どう遣いわけているのかにも、興味がわいた。
それと、〔神畑(かばたけ)〕の田兵衛(でんべえ 40歳)と〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)と呼ばれる2人の軍者(ぐんしゃ)。

そして、ふたたび、思案を〔五井〕の亀吉へもどし、
(アッ---)
と、、口の中でさけんだ。
亀吉に、こちらの姓をさらしたからには、これから、看視の目がそそがれると、観念すべきであろう。
ことの経緯を、久栄に告げるだけではすまなくなった。

和泉橋を北へわたったころには、陽はすでに落ちていた。
橋の北側、御徒町通り(和泉橋通りとも呼ばれる)に面した神田松永町で、蕎麦屋を見つけ、小僧に久栄あての文をことづけた。

まもなく、久栄が母親(30代なかば)をともなってあらわれた。
後添えとはいえ、55歳の大橋与惣兵衛親英(ちかふさ)とは、齢があまりにかけはなれすぎているように、銕三郎は感じたが、こだわらないことにして、あいさつを交わした。
とにかく、武家方のむすめが、暗くなってから、町屋の蕎麦屋で男にひとりで会うことはゆるされない。

母ごに丁寧にあやまってから、ことの次第を告げ、おまさ(12歳)への手習い師範をしばらく中止したほうが安全なこと、久栄自身の稽古のための外出もできたらひかえること、2人は当分会わないほうがいいことなどを話した。

「それでは、長谷川さまが、わが家へおあそびにいらしてくださいますか?」
「いいえ。拙には〔蓑火〕一味の看視がつくとかおもっておいたほうがよろしい。ですから、お屋敷を訪ねますと、久栄どのの正体があらわになってしまいます」
「なんだか、つまりませぬ」
母親が、たしなめた。

翌日の午後、銕三郎は、高杉道場からの帰り、〔盗人酒屋〕に忠助を訪ね、〔五井〕の亀吉に会ったことを告げた。
仕込みの手をやすめた忠助が、印象を訊いてきた。
「2番手の小頭をつとめるだけの才覚の主(ぬし)と見ました」
「才覚はともかく、人柄は?」
「目くばり手くばりに落ち度はない分、容赦しない気質かと」
「〔蓑火〕のお頭(かしら)の、汚れ役を一手に引きうけているという噂も耳にしました」
「汚れ役---をねえ」
銕三郎は合点がいった。

蓑火〕ほどの大きな組織になると、配下にもさまさまな経歴と考え方をする人間が集まっていよう。中には、ひと癖でおさまらず、ふた癖はおろか三癖もの持ち主もいよう。
その中には、一味の規律を守らない者もでてこよう。
始末は、きれいごとだけではすむまい。
汚れ役の出番はいくらもあろう。
(もし、あの者たちにとっておれが邪魔となれば、除かれよう。それが、久栄かもしれない)

「ところで、ご亭主。〔五井〕の亀吉と〔尻毛しっけ)」の長助(ちょうすけ)という、小頭の2番手、3番手が府内にあらわれたということは、ことが煮詰まってきているととっていいのかな?」
「香具師(やし)の元締の〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)と接しているところが気にいりやせんな。〔蓑火〕のお頭のやり口とおもえねえんでね」 
今助が言っていたとおり、博打あそびのつながり---?」
「〔蓑火〕ほどのとこの小頭ともなりゃあ、博打なんかにうつつをぬかしとるはずなんぞ、ありやせんですわい」


 


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