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2010.04.25

女将・里貴(りき)のお手並み(3)

長谷川さま。牟礼(むれい)さまがお着きでございます」
襖の外から里貴(りき 30歳)が声をかけると、牟礼郷右衛門勝孟(かつたけ 55歳 800俵)は、やっと掌を離した。

里貴が、「与頭(くみがしら)さま」と役職名でなく、親しみをこめて「牟礼さま」と姓を告げてくれたことに、牟礼は親身を感じた。
場所柄からいって、かなりの重職たちが利用している茶寮〔貴志〕である。
牟礼の西丸・書院番与頭(くみがしら)などは、この店ではいかにも軽々しかろう。

型どおりのあいさつの交歓のあと、
長谷川うじ。里貴どのの心くばり、感心のいたりでありますぞ。倅・千助(せんすけ 14歳)がもう5年早く生まれてくれており、里貴どのがもう10歳ほど遅くお生まれになっておれば、ぜひにもと懇願しましたであろう」
牟礼は手ばなしであった。

ちゅうすけの蛇足)手は襖の前で離れていたと書いたばかり---。

里貴は大仰にのけぞり、
「こんなおばあちゃんで申しわけございません」
齢にこだわってみせた演技であった。

「それも、牟礼さまのお気くばりによっておりましょう」
平蔵(へいぞう 30歳)が、さりげなくお世辞を発した。

女中頭のお(くめ 33歳)の指図で、膳がはこばれた。
「静かだが、ほかの座敷は?」
気づいて牟礼が訊いた。

「お断りしてあります。だって、私が牟礼さまにお礼をする夕べでございますもの」
「それは恐縮至極。国持ちのお大名衆にでもなったようなここちだ」
「存分におくつろぎくださいませ」
里貴は、つきっきりであった。

急におもいついたといったふうに、
「この春のお城での謡はなんでございました? 4年前に招きがあり、落縁の隅で拝観いたしました」
1月3日の恒例の謡曲始の式のことをいっている。

「それはそれは。それがしは西城の書院番士として出仕して以来、25度も新春の祝いを経験しておるが、観能の式典の席に着いたことは一度もなくての---はっ、ははは」

能がおわると、将軍が着ていた肩衣(かたぎぬ)を脱ぎ、観世太夫に授ける。
つづいて老中・若年寄が準じた。

猿楽の徒には、井桁に積みあげた銭緡(ぜにさし)が報償された。

ちゅうすけ注】銭緡については、『鬼平犯科帳』文庫巻1[浅草・御厩河岸]で、密偵・岩五郎いわごろう)が緡売りに出る場面で、「当時の銭は〔穴あき銭〕であるから、これを藁(わら)でよった緡へそ差して束(たば)ねてえおく。この緡の内職は火消役屋敷の小者の内職なのだが、岩五郎はこれを仕入れて売り歩く」

「猿楽衆へ賜う銭緡は、ご書院番のご進物役の方々がお積みあげのなるとお聞きしておりますが---」
やんわりと里貴が謎をかけた。

たしかに、銭差しの積みあげ役は、進物の士の仕事の一つでもあった。
ただし、進物の士は、本丸10組、西丸4組の書院番組からのみ出るのではない。
本丸6組、西丸4組の小姓組番士からも、、それぞれの組から5名ずつ選ばれる。
合計で120名の進物の士がいることになる。

参照】2010年4月11日[内藤左七直庸(なおつね)] ((

牟礼与頭も平蔵も、里貴の胸の内をたちまち察した。
先日、そのことを話しあったばかりであった。
もつとも、平蔵は、わが家の歴代で進物の士の名誉を受けた者はいないと、半分、あきにらめていた。

里貴がかけた謎の成果も大きかったろう、この年(安永4年)の11月11日、40人ばかり選ばれた進物の士のな中に、平蔵の名もあった。


1_360
2_360
(長谷川平蔵宣以の個人譜)


_100ちゅうすけのつぶやき】働く女性が増えた---というより、大事な仕事の大きな部分を女性が担っている今日、女性にどう協力してもらうかが、上司としての器量であろう。
数年前、パトリシア・コーンウェルという米国の女性作家が、スカーペッタというヴァージニア州の検視局長をヒロインにすえたシリーズを日米で大ヒットさせた。3万枚の読者カードを分析した結果、専門職についている日本女性の願望は、スカーペッタのようにセックス関係抜きの男性の後ろ楯であることがわかった。

平蔵里貴の関係は、男性側は不倫といえようが、器量と器量がむすびついた関係と称してもよかろう。


参照】2010年4月23日~[女将・里貴のお手並み] () (

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コメント

こちらはご無沙汰いたしております。パトリシア・コーンウェルは面白いですね。
最近のこのブログを拝見していると、昔の板坂元先生の艶噺の書籍を見るような気が致します。82~90年代前半によく読んだ記憶がございます。その後は1993年の孟嘗君の連載以降宮城谷さん一直線ですが・・・。

投稿: えいねん | 2010.04.26 00:44

>えいねん さん
こちらへ、ようこそ。
『創造と環境』のほうは、使命感みたいなものがあって、緊張を強いられますが、こちらは、若いころから史書類を買いこんでいましたので、のんびりと、艶っぽい話にそれたりしながらやってます。さいわい、asou さんとおっしゃる学識の深い方が知識をわけてくださいますので、なんとかもっています。
艶話といっても、経験不足でも、とても板坂先生の境地にははるかに達しませんが、『鬼平犯科帳』の未完の部分におんな男がからむので、それも視野にいれながらやってます。ときどき、覗きにきて、ハッパをかけてください。

投稿: ちゅうすけ | 2010.04.26 15:32

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